ある日、目が覚めたら『おんな』になっていました。
純情可憐 -次代曹家最強の方の場合。-
とりあえず、父親は珍しく目を剥いて、叫んで混乱状態になってしまった。
母親は、あらあらまあまあどうしましょ、と口調はいつもどおりだが、かなり取り乱しているのが手に取るようにしてわかった。
三番目の弟は、それを伝えたら1分間くらい固まったあと、気を失って倒れた(賈詡たちに医務室に運び出されていった)。
末の弟は、どんな原理でそうなったのか理解できずに、と、とにかく解剖とか、と口走った時点で自分で自分の頭をポカポカと殴り始めたので、慌てて止めた(自分の発言に憤ったらしい。いくらなんでも言っていいことと悪いことがある)。
次女というか、妹は、ショックでやっぱり倒れてしまった。彼女は一緒に来ていた献帝に、自室に運ばれていった。
叔父の夏候惇たちには言えなかった。
彼らは彼らで混乱の坩堝にいるようで、部屋から出る出ないの大騒ぎをしていたから。
それで、二番目の弟は、
………この場合、いもうと、になるのかもしれない。
そう、彼も、自分と同じような状況になってしまっていた。
彼は何やら自分の状況を受け入れて(というより、面白がっているようで)、自分の胸をしげしげと眺めたり、つっついてみたり、揉んでみたり(さすがにそれは止めたのだけど)。
あにきのよりおっきぃ! …と、いう一言は、かなり、私の胸を突き刺した。
いや、別に胸の大きさなんてこのさいどうでもいい。
どうでもいいのかもしれないけど。
やっぱり、なんとなく、くやしい。
しゅん、と落ち込んでしまう。
とにかく、ある朝、目覚めたら私は……曹昂、字を子脩は、おんなになってしまっていました。
「……どうしよう。」
そう呟いた声は聞いたこともないようなものだった。
自分の声のはず。
本当に自分のものだったはずなのに、聞いたこともないような高い少女特有のものだった。
それに再度、私の心は折れそうになる。
「そうだな。」
そう言って弟が私の髪を指先でいじる。
「どうしよう……どうしよう、子桓。」
「そうだな。」
弟、子桓はその返事ばかりで、指先でいじる髪のほうしか見ていない。
「……聞いてるのかい、子桓。」
「聞いている。」
「じゃあ……」
後ろに振り返ると、至近距離に弟の怜悧な顔があった。
朱色の入った目元が、伏し目だったところからゆっくりと持ち上がって、静かな湖畔のように澄んだ色をのぞかせる。
「どうしようもできないだろう。」
そして薄い唇から紡ぎ出されたのは、それはもう冷たい一言。
「……どうしようも、って…」
「他にも同じ症状が現れたという話はあとを立たない。子文もそうだったんだ。そして、あいつも、それに今までも、誰一人として『元に戻った』という報告が成されていない。」
被害は城中に広まっていた。
いや、もしかしたらこの城だけではないのかもしれない。
町や村は勿論のことで……もしかしたら、他の国にだって広がっているかもしれない。
今だって献帝殿と偶然一緒にやって来ていた華侘殿が走り回っているそうなのだが、事態は一向に改善の兆しさえない。
つまり、長期化するかもしれない。
しかもそれがいつ治るのかさえ検討もつかない。
そのことを改めて気付かされて、私は自分の血の気が頭からサァッと引いていく音を聞いた。
「……まあ、どうにかなるだろう。」
そんな私の顔を見たのだろう。子桓の声が少しだけ優しくなる。
顔はいつもどおりの表情。
でも、相変わらず瞳の奥が優しい色をしているのを、私は知っている。
細くて、それでも十分すぎる力強さを秘めた指先が私の頭をゆっくりと撫でた。
「そうかなぁ。」
その指先があんまりにも優しいものだから、私は、思わず泣いていた。
「本当に、どうなるんだろう。」
「大丈夫だ。俺がいる。」
いったい何の確信があるのかなぁ……、そう思ったのだけど、それは子桓なりの慰め方だろう。
不器用で、それなのに、どこか真っ直ぐで。
おかしくて思わず声をたてて嗤うと、その拍子に涙がこぼれ落ちる。
鼻の奥がつん、と痛くなって、あとはもう堪えきれなくなって。
ああ、弟の目の前で泣くなんていつ以来だろうか、とそんなことを思った。
ほろほろ。
涙がこぼれ落ちる。
ああ、私は、どうやら思ったよりも参ってしまっていたらしい。
「………泣くな。」
優しい指先が、頭を撫でて目元を拭う。
拭いきれなかった涙が鼻筋を通って唇へと落ちていく。
しょっぱい味がした。
「うん、ごめん。」
「泣くな。」
「うん、ごめんね、子桓。」
「……謝るな。」
拭う指先が離れて、そのまま、ぎゅぅっと抱きしめられる。
いつもなら同じ体格のはずなのに、今は子桓の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
骨格まで変わってしまっているようだ。
そう思って、すん、と鼻をすすった。
その瞬間、抱きしめる腕がまた強くなった。
ぎゅぅぎゅうと痛いくらいなのに、でも力加減で私の体が悲鳴を上げるほどのものではなくて、ただ抱きしめられるというより、抑えつけられているような気がするだけで。
ああ、わたしのおとうとは、かげんができるくらいにおとなになったんだな、と。
私はそんな場違いなことを考えて、少しだけ感動してしまった。
おかしな話だけれど、弟の成長を肌で感じて嬉しかったんだ。
それはそれと、して。
「…ところで子桓。」
「なんだ?」
「いいかげん、離してくれないかなぁ…」
というか、この状況をどうにかしてほしい。
今の私の状況……いや、実はさっきからなんだけど。
私は子桓の膝の上の座らされていた。
えーと、あんまり言いたくないといいか、考えたくないというか………膝抱っこ、されていたりするんだ。
「なぜ?」
「なぜって……えーと、私はお前のお兄ちゃんなんだし…」
「スキンシップだ。」
即答されて私は言葉に困窮した。
「…スキンシップ?」
「そう、スキンシップ。」
私が側にいるのは嫌なのか、と。
痛恨の表情で聞き返されてしまった。
そんなことを言う子桓の表情は、それはもう見ていられないものだった。
秀麗な顔が曇り、悲しげに目元が揺れて伏せられている。
声のトーンだって全然違った。
なんていうか……胸に、落ちてくる。
「………嫌じゃないけど…変じゃないかな…」
「全然。」
これまた即答。
しかも迷いもない一言に、私は、そう、と頷くしかできなかった。
頷いた私を見た子桓の顔が、嬉しそうに緩む。
秀麗な顔に浮かんだ微笑みは、まさに子桓が父である曹操の子供だということを知らしめるには十分すぎるほどの威力があった。
間近で見ていた私が言葉を失ってしまうくらいの、威力だった。
何も言えず、ただ私は子桓の指先を受け入れるしかなかった。
膝の上も……仕方ないから、今だけでも、我慢するしかない。
……これは曹昂がまったく知らない話になるのだが。
曹丕が曹昂を膝抱っこなどしていたのにはワケがあった。
牽制のため。
まわりの男たちによる、無言にして絶対的な『宣誓』でもあったのだ。
曹昂はまったくもってわかっていないようなのだが、おんなになったしまった『彼』はそれはもう目を惹くような容姿を持っていたのだ。
元の男性の頃のものでも、優しくて柔和な雰囲気がある『やさしいおにいさん』をそのまま絵に描いたような感じであった。
しかし、彼の体のパーツは極めて優秀な作りをしていたのだ。
ほんのりと丸くなって桜色を染めた目元。
大きくて、潤んだ瞳は淡い黒の瞳。
それらがふるえるような細い睫に彩られている。
優しい口元は元々だったが、全体的に細く淡く、そして柔らかくなったせいか、よりいっそうの華奢さがある。
顕著なのが首筋。
今にも血管が浮き出そうなほど白い肌に、その首は雰囲気とは正に真逆の、誘うような色香を放っている。
体つきは元の服を無理矢理着ているせいもあってかよくわからないが、だぼだぼの服の袖からのぞくのは、白魚の指先と桜貝を乗せたような桃色の爪。
……はっきりと言おう。
今の曹昂は自覚がないだけに『非常にマズイ。』。
なんていうかこのまま放っておいたら馬鹿で粗野な男どもにどう映るのかと思うほどだ。
だからこその牽制。
だからこその、膝抱っこ。
過保護というか、ああ、ブラコンここに極まり、と誰かが溜息をついた。
まあもっとも、
今も曹昂の漆黒の髪を指先で梳いている曹丕の思惑は、他にもあるのかもしれませんが。
それはまた、別のお話。
<終わり>