思ったのは、ただあなたに喜んでもらいたいということだけで。




 <第四次準備中> −おくりものを、あなたに−




  その時、調理場は極度の緊張に包まれていた。
  調理場という場所柄、そして城全体の食事を一手に引き受けるということもあって大きなそこは人の数も多い。
  よって必然的に人通りも多かった。

  多かったのだが、今はなんていうか……一方通行状態になってしまっていた。

  入り口に人が立っているからだ。
  魏の国では知らぬ者はいないとまで言われる有名人。
  複雑な色彩で編み上げられた布で作られた衣装に身を包み、両手を組んだ姿勢のまま入り口のすぐ脇に立ったままで微動だにしない。
  そのままの姿勢で動こうともせずに、ひたすらに調理場の中を、ジィーッと見つめていた。

  見つめているだけなのだろう。
  それだけなのだが、ものすごい威圧感である。

  言い知れぬプレッシャーが調理場全体を包み込み、人の行き来を阻害してしまっている。

  何か用事でもあるのだろうか、と思うのだが、そもそも『彼』は調理場とは縁のない人物であった。
  切りそろえられた黒い短髪。
  顎に少しだけ残る髭。

  まるで彫像のように眉一つ動かさないまま、その人、ケ艾が入り口で立って一時間が経過しようとしていた。

  もういい加減に何をしたいのだろうかと人々は気になっていた。
  女官たちもそうだが、料理人たちだって同じ思いである。

  何か料理に不手際でもあったのか。
  はたまた材料費のことでお咎めがかかるのか。
  それともまさか……、と様々な想像が、互いに歓談できるような雰囲気でもなかったので個々の頭の中であれやこれやと想像が巡る。

  そんな雰囲気の中、やがてケ艾の組んでいた腕がぴくり、と動く。

  そのまま解かれていく様子を、ついに来るのかと、厨房にいた全員は固唾を呑んで見つめていた。
  腕が解かれ、そうしてケ艾の足が一歩厨房の中へと進む。

  唇が少しずつ開かれ、そこから白い歯がのぞいていくのさえ、まるで低速で動くかのようであった。

 「……すま、ない。」

  ぽつん、と。
  こぼれ落ちた言葉は思ったよりも小さなものであった。

  無口で無表情ということは女官たちにも伝わっていたことであったので、彼の声を始めて聞いたというものも多かった。
  目を丸くし、何事かと全員が注視する。

 「…………頼み、が…ある、ん…だ。」

  途切れ途切れに紡がれる言葉に、その時、偶然にも入り口の近くにいた女官の一人が反射的に、

 「どうされましたか。」

  と、声をかける。
  側にいた彼女の仲間たちがギョッとする中、声をかけられたことによってケ艾の視線が、女官のほうへと移動した。

  見つめられる視線でさえも感情が読み取れない。
  声をかけてしまったはいいものの、どうしていいのかわからずに女官は狼狽えてしまうが、そこは城に仕えて来た身。

 「何か…食べるものをお探しですか?」

  厨房という場所柄もあって、食べるものに関連してのことなのだろうかと予想する。
  もしかしたら先の予測通り、何か不手際があったのかもしれないが、ケ艾は女官の言葉にゆっくりと目を瞬かせる。

  ぱち、と漆黒の瞳が輝き、やがて眉が寄せられるのを見て取らせた。

  困っているのかもしれない、と女官が感じ取った時、ケ艾はもう一度改めて口を開いた。

 「………料理、を……教えて、欲しい…」

  そして、その申し出に女官と言わず、厨房にいた全員が目を丸くした。
  驚きと彼が何を言い出しているのか理解できずにいるための沈黙がその場に流れる。

 「…料理、ですかい?」

  やがて沈黙に堪えかねたのか、それとも料理という単語に反応してか厨房の中でも少し年嵩のいった料理人が女官の側へと行き、ケ艾へと問いかける。

  その問いかけに、ケ艾は、こくりと頷いた。

 「俺らが作ったものじゃなくて。」

  遠回しに何か不服でもあるのか、と言うのだが、それにケ艾はしばらく何も言わずに思案を巡らせてから口を開く。

 「……俺が、作りたい…だけ、なん…だ……
  ここの……者たち…は、実際…よく、働いて…くれて、いる。料理も…すごく…うまい……」

  下手くそではあるが、それは最大の賛辞でもあった。
  問いかけた料理人が感心するのと同時に、話を聞いていた女官が何かに気付く。

  作りたい、という気持ち。

 「…誰かへの贈り物ですか?」

  それはすなわり、自分の作ったものを贈りたいというものにも繋がる。
  そう察知して問いかけると、ケ艾は僅かに瞠目して、それから緩やかに頷いた。

  その様子を見つめて女官は、どうしましょうか、と視線で隣にいる料理人へと問いかける。
  視線で問いかけられた料理人はどうしようか迷い、しばらく呻いて考え込んでいた。







  結局。
  作業の邪魔になるから、料理法法だけ教えて欲しいと言ったケ艾に、女官達(最初の女性の他、幾人もが強ばりから解けていた)が「実際に作ってみたほうがいい。」と言って引き留めた。
  料理人たちも「別に今は仕込みの時間だから、隅のほうでよければ使っていい」と言った。

 「……小麦粉を卵とあわせて……そう、そうです。」

  言葉と物で教えながら、料理は進められていた。
  いや、作っているものは菓子であり、簡単な蒸し麺麭のようなものであった。

  何を作りたいのかと女官達が聞いた時に、ケ艾は『菓子が作りたい』と言った。

  贈り物の相手が、甘い物が大好きで特に菓子を食べるのを好んでいるのだと、ケ艾は口にする。

  教えられながらも慣れない手つきで、辿々しく菓子作りが進められていく。
  ケ艾は存外、器用なほうであると思われがちだが、やはり菓子作りが始めてということもあってうまくいかないらしい。
  何度も粉をこぼしながら、それでも丁寧に、ゆっくりと。

  その手つきに側にいる女官たちは勿論のこと、遠巻きにしている者達さえハラハラと見守っている。

 「ゆっくり…なるべく空気も混ぜるようにして。」
 「あ、あの……あまり、生地を乱暴にすると卵の繊維がきれてしまいますから…」
 
  教える立場のほうはそれはもう心配でたまらない、と言った様子である。

  女官のあれやこれやの指導にもケ艾は嫌な顔ひとつしない。
  何か気に障ったことがあるのなら言ってください、という年嵩の女官長の申し出にも、彼は首を横に振った。

  教えを請うのは自分のほうなのだから、と言うのだ。

  不遜な物言いをするつもりは勿論ない。
  だが、気に障るものはあるだろう。しかし、ケ艾は教えを請うのだからそれは当然だと言う。
  気にするな、と。

  それが意外で、女官たちは一息に彼のことを気に入ってしまった。

  何よりも、誰かに贈りたいというその気持ちが真摯なものであるということを知っていたから、尚更だった。

 「将軍。その…お贈りする相手の方は、甘いものがお好きなのですよね?」

  手を動かし、錬った生地を蒸し器の中へと移動させようとしたところで、女官の一人がそうケ艾に質問をぶつける。

  ケ艾はちらり、と視線を動かし、それから、口元をゆっくりと綻ばせる。

 「………とて、も。」

  その笑みは、あまりにも純粋で、まるで子供がはにかんだ時のような印象を与える。

 「とても、好き、だ……」

  ああ、本当に。
  本当に大好きで、だからこそ、それを贈り物にしたいのだ、という気持ちが伝わってくる。

  女官たちがケ艾の普段は見られないような甘やかな微笑みに骨抜きにされ、料理人たちも驚き、そして納得する。



  喜んで欲しい、という気持ちは誰もが同じもの。
  
  うん、と頷いて、料理人の一人が竈の手伝いを申し出る。
  仕込みも一段落ついたのだからいいか、とまた幾人かも手を上げて近寄っていった。



  ……幾人もの手を借りて、菓子はしばらくして出来上がった。

  しかし蒸籠のなかを覗き込んだとき、ケ艾の表情は曇ってしまう。
  同じく側にいた女官の一人が同じようにそれを見つめ、料理人の男がああ、と残念そうに声を上げる。

 「…中落ちしてやがるな…」

  なかおち、というのは、蒸し上がった生地が空気が抜けて中のほうでしぼんでしまっている状態のことを指す。
  味のほうはいいのだが、食感の柔らかさが損なわれてしまっているのだ。
  
  男の言葉に、ケ艾がより落ち込んでしまう。

  表情は動かないものの、なんとなく空気がどんよりと重く、悲しそうになってしまっているのだ。
  それを見てとった男が、失敗した、と気付くのと同時に、女官達の鋭い視線が彼を襲う。

  余計なことを! と視線で物語っているのだ。
  
  男が縮こまるのを後目に、側にいた女官がケ艾に声をかける。

 「大丈夫ですよ、将軍。味のほうは申し分ないはずです。」
 「そうです。ここまで頑張ったんですもの…」
 「まだ夕食まで時間もあります、もう一度。」

  なんやかやと慰めの言葉や奮起の言葉をかける。
  だが、ケ艾は静かに首を横に振った。

 「…もう、仕事に…戻った、ほうが、いい…俺も、邪魔をして……悪かった…」

  声ではそう言うのだが、その悲しそうな、残念でたまらないといった様子と言えば……!

  女官たちは一応に眉根を寄せている。
  遠巻きに見ている者達も、どうしたものかと思案していた。





  …………とーがい。





  そこへ。

  小さな声が掛けられて、ケ艾が目を丸くして急いで振り返る。
  同じくその場にいた者達が振り返り、視線を落とすと厨房の入り口のところに、小さな人影がある。

  ひょっこりと顔を出したその人物に、ケ艾の顔がいよいよ驚きに彩られていく。

 「呂将軍……!」

  コンナトコロデ何ヲシテイル?

  ことん、と首を傾げながら呂布がケ艾たちのほうへと近づいていった。
  ケ艾は驚き、それから慌てて蒸籠の中にある菓子を隠そうと横に置いていた蓋を手に取る。

  良イ匂イガスル。

  くんくん、と呂布の鼻が甘い匂いをかぎ取った。

  その言葉にケ艾の手が止まり、視線が右往左往へと動く。
  
  ケ艾。

  名を呼ばれるがケ艾は慌てているのか返事が出来ない。
  何をそんなに慌てているのか、とまわりにいた人間が疑問符を浮かべる中、ひとり、女官長が気付く。

  気付いて、それからふんわりと笑みを浮かべた。

 「呂布様。こちらを。」

  浮かべた笑みのまま、自然な動作で蒸籠の中にあった蒸し麺麭の角を千切って呂布へと差し出す。
  あまりにも自然な流れであったのでケ艾はそれが自分の作ったものであることを失念してしまう。

  呂布が甘い匂いに誘われるようにして長のほうへと近づき、片手を差し出す。

  慌ててケ艾がそれを止める間もなく、長が笑いながらそれを手渡しして、呂布はそれを口に入れてしまった。

 「あ……っ!!」

  どうしようかと言葉を失い、しどろもどろになるケ艾だが、呂布はもぐもぐと口の中の蒸し麺麭を租借している。
  
  ……甘イ。

  やがて、くしゃり、と呂布が双眸を崩した。
  感想を言い、美味しそうにそう一言口にすれば、ケ艾の動作は完全に止まってしまった。

  言葉を探すように口が僅かに開閉するなか、呂布の言葉を聞いた長は満足そうに目を細めて頷いてみせる。

 「美味しいですか?」

  少シ固イガ美味イゾ。

 「左様ですか。」

  菓子に固いも何もあるのだろうかと思いつつも女官長は何度も頷く。

 「これはケ艾様がお作りになられたのですよ。」

  ケ艾ガ?

 「はい。」

  あなたに食べていただきたくて、ということは言わなかった。
  そんなことを口にしては野暮というもの。

  その言葉に呂布は顔を上げる。

  ケ艾。美味イゾ。

  に、とこぼれる笑顔。
  向けられた笑みにケ艾が目を丸くし、それから徐々に意識を取り戻して頬を赤く染める。

 「そう、です、か…」

  かぁ、と赤くなる頬を止めることが出来ずにいるのだが、呂布は気付かずに笑いかけている。

 「……はじめて、で…あまり…うまく、できなく、て…」

  ソウナノカ?

  問いかけながら呂布は不思議そうに首を傾げている。

  マダアルノカ。

 「は、い…」

  ……………………

  言葉はなかった。
  ただ視線と差し出した小さな両手が、もっと、と蒸し麺麭を催促していた。

  それを見たケ艾の頬と言わず耳までがゆでだこのように赤くなり、それから、堪えきれずに笑みをこぼす。

  はい、と頷いた。




  今度はちゃんと切り分けられて、ケ艾の手から呂布へと渡される。
  呂布はそれを美味しそうに食べていった。




  それを女官達や料理人達はそっとその場から離れ(室内ではあるものの)、こっそりと夕食の準備へと入っていく。
  邪魔をしてはいけない。
  それをしては可哀想。

  そんな思いやりがあってのもの。

  甘い物が大好きで。
  それを贈ってあげたい相手など、今の態度で知れたようなもの。












  それからこれはただの余談になるのだけれど。
  ケ艾はそれから幾度も厨房へと顔を出すようになり、女官達や料理人達とも仲良くなっていったという。

  そして。

  菓子作りのほうはと言えば、天からの授かりものなのか、あるいは愛のなせる技なのか。

  ォォォォォォ………!!!

 「…………嘘でしょ…」
 「ケ艾らしいですねぇ、まさか短期間でここまで上達するなんて。」

  キラキラと目を輝かせる呂布のすぐ前。
  唖然と、そして憮然と遠巻きに親友達が見守る中、彼はといえば。

 「……呂将軍。」

  山のような饅頭、杏仁豆腐、月餅、粽などを作ってしまえるほどに、菓子の腕が上達していたという。

 「どこから、食べたい…です、か?」

  ちなみに今彼が造り上げたものは、薄い桃色の皮に包まれた桃饅頭。

  ゥォォォォォォ……!!!

  子供のように全身で興奮しながら呂布は声を上げ、ケ艾は笑みを浮かべる。





  とりあえず、全部。

  そう呂布が言ったので、ケ艾はまた、はい、と嬉しそうに頷いた。





 <終わり>