時は、群雄割拠の時代。
  現在において『三国志』と呼ばれるようになる物語にして、事実の、そんな『人』の生み出す産物の時代。

  『そこ』は、時が複雑に絡み合う。
  『そこ』は、時が逆境し、あるいは先へと進む。
  『そこ』は、あるはずのない出会いが存在する。

  そんな、場所だ。

  そしてその国には、数えきれぬ『神』が存在している。
  いや、神というべきものではないのかもしれない。

  彼らを見守り、あるいは力を貸す存在である、と言ったほうが正しいのかもしれない。

  彼らの想いは数多い。
  彼らの想いは幾重にもかさなっている。



  そして、『それ』はひとつではない。
  数多くの存在があるがゆえに、物語はひとつではなく、また思いも同じこと。

  紡ぎ出す糸がひとつでなければ、出来上がるものもまた違うというもの。



  それは気まぐれか、あるいは悪戯か。
  どちらにしれも確信犯のような、そんな思惑がたまにはあってもおかしくはない。
  『いま』まさに起ころうとしていることもまた、思惑であり、思いのひとつ。









  目が覚めたら、背が縮んでいた。




  背が縮んだ。一回りどころか、二回り、下手をすれば三つくらいは縮んでいたかもしれない。
  指が細くなった。
  いや、指と言わず腕といわず、足から腰から、なんでもかんでも自分の体の全てが、『細く』なってしまっていた。

  顔立ちが変わった。
  目元の鋭さはなくなり、だが力強さと凛々しさだけは失われていない。
  頬が丸みを帯び、顎が細くなっていた。
  丸くなったのは顔だけではなかった。

  なんていうか、胸が、あった。

  ふっくらとした胸。
  独特の弾力感のある、二つの乳房。
  細くなだらかな曲線を描き出す腰から下の尻も、なんだか丸くなっていた。

  すべてがおかしかった。
  何もかもがおかしかった。

  自分の体のようでそうでない体に、目覚めたそのままで鏡の前へと向かった。

  覗き込んだそこに映りだした姿を見た。
  絶句した。
  絶句し、自分の体を自分の手で触り、頬をつねってこれが夢でないことを確認した。

  確認し、そして次の瞬間にはパニックに陥った。
  
  数多くの戦場を渡り歩き、人々を恐怖と恐慌に陥れたことさえある鬼神が、今の事態についてもいけずにひたすらに言葉を失っていたのだ。


  その声まで高くなっていて、呂布は動悸と目眩に襲われた。
  いっそ、このまま気絶してしまって、起きた時には全部夢になっていればどれだけいいだろう、とさえ思った。


  鏡に映ったそこに、『小ささ』はなかった。

  かわりに、『おんな』になった自分がいた。


  簡潔に言えばそうなるが、呂布は信じられない思いでぺたぺたと鏡の中に映った自分の顔を触る。

  自分のものなのに、自分のものでないようだった。
  特徴的な顔の入れ墨はそのままであったが、顔全体の印象がまるで違う。

  別人。
  …それならそれでどれだけ良かっただろう。
  しかし、特徴的な顔の入れ墨は、今の映っている自分の姿が『己』のものであることを呂布に教えている。

  ………人の頭の上に乗るような小ささの次はおんなのからだか、と。
  呂布はそう思って小さく溜息をつく。

  まったく、『このせかい』のあれは自分にいったい何をさせたいのか。

  そう思いながらも、幾分か柔らかさがある自分の唇へと指先を当てる。




  がたり、

 「奉先殿。もう朝議の時間になりますが、ご準備のほうはど」




  突然、扉が開いてそこに張遼が現れた。
  部屋の戸を叩かなかったのは張遼に落ち度があるだろう。

  だが、部屋の中に入って顔を上げ、呂布を見た彼もまた、言葉を失っていた。

  いや、思考回路を完全に停止させていた、と言っても過言ではない。
  『どうですか』の、ど、の言葉の状態で唇は止まり、目を丸くして、扉を開けた動作のままで固まってしまっている。

  ちなみに。

  現在の呂布は寝起き、そして昨夜の猛暑のせいもあって、素っ裸である。
  白い肌も、柔らかそうで形の良い乳房も、曲線を描く腰も、丸い尻も、伸びた足も全部。
  全部が、張遼の目にさらされていた。

 「……………………」
 
  ……………………

  二人とも思考回路が完全に停止した状態で見つめ合っている。
  視線は合っておらず、心もここにあらず状態であったが。





 「…………ぎゃぁっっっ!!」





  そして大変に失礼な話であるが。
  先に動いたのは張遼のほうであった。

  これ以上ないくらいの悲鳴を上げ、そのまま部屋の中へとぶっ倒れてしまった。

  最後の根性なのか、それとも忠誠心なのか、ただ単に『裸の呂布』を誰にも見せたくはないという心の現れなのか、部屋の扉を閉めた状態で、だが。

  ばったーーーーん! という景気の良い音と同時に、床の上へと張遼は倒れ込み、目を回して気を失っていた。
  そんな張遼を見て呂布は慌てて彼のほうへと駆け寄っていく。

  体を揺さぶり、おい起き…いや、ちょっと待てなどと言いながらも、倒れたいのはこっちなんだが、と呂布は心のうちで思った。







  純情 −三国最強にして最凶の鬼神の場合。−







  まあ、なにはともあれとして。
  身体的な変化はあったのだが、それ以外、つまり精神的、心や魂については呂布は呂布のまま、何の変わりもなかった。

  とりあえず部屋にあった服を身につけてみたものの、裾や丈が余るは何やらで括り上げて、無理矢理縛っているような状態。
  
 「………奉先殿、ですよね?」

  俺以外ニ何ダト言ウンダ。

  目の前の寝台の上に座ったまま腕組みをし、ぶすっとした表情をしたまま呂布がそう言う。
  眼光鋭く睨み付けられても、普段のものの半分の怖さもないのは秘密だ。

  おそるおそると言った感じで張遼が問いかけ、返ってきた答えに緩く首を横に振る。

 「いえ、あの…………お小さかったのでは…」

  知ラン。

 「知らないって…」

  朝起キテミタラ、コウナッテイタ。

  またそのパターンですか、と張遼が、がっくりと首を俯ける。
  困り切った表情で、ゆるゆると顔を上げると、答える呂布は物珍しそうに自分の指先を見つめていた。

  何度も握るようにして手を動かし、肌へと指先を滑らせる。

  見つめる瞳は丸みがあり、大きさもある。
  だがその中にある漆黒の色だけは、それだけは呂布自身のものであった。

  間違えるはずもない。

  その瞳を一目見ただけで、張遼は『彼女』が呂布だということを理解したのだから。
  (理解したが故に悲鳴など上げてぶっ倒れたのだが、それは言わないお約束だ。)

  見上げるような長身はすっかり縮んでしまい、今は張遼の顎から下くらいしか身長がない。
  引き締まった体はそのままに、だが筋肉は確実に落ちたような印象を受ける。
  
  ………ぶんえん。

  ぽつり、と言葉がかけられた。
  その声を聞いて張遼が、はい、と返事をしながら顔を上げる。

  ドウシタライイ?

 「……どう、と申しますと?」

  コレガ、アノ姿ト同ジモノナラ、シバラクハ元ニ戻レナイ。

  あの小ささも異常だったが、今度の『女になる』といった状態もかなり異常であった。
  色々と思うところもあるのだろう。
  それに、またおかしな状況になってしまうかもしれない。

  ……ああ、と張遼はなんとなく思った。

 「奉先殿。」

  名前を口にした瞬間に、張遼の心は、すとん、と決まった。
  決まってしまえば心は落ち着いた。

  指先が伸び、呂布の腕を緩やかに掴む。

  細い。
  掴めばその細さに、また驚くのだがそれを表情に出すことはない。

 「あなたは、あなたです。」

  どのような姿であろうとも、目の前にいるのは呂布でしかない。

  他の何者でもなく、他の誰でもなく。
  


  不安、なのだと、張遼は今の呂布の心の状態を理解した。
  口にしない上に、おそらく自分自身でもわかっていないだろうが、張遼はそう察知した。

  無意識のものであろう。

  だからこそ、張遼は理解し、そしてそれ故に心が落ち着いた。



 「我が主君。我が将軍。我が鬼神。」

  腕を持ったまま、引き寄せて手の甲へと頭を垂れて自分の額を押し当てる。

 「我が、戦神。」

  




  しばらく、何の言葉もない。
  ただ沈黙だけがその場は支配し、だけど呂布が息を呑んで張遼を見つめていることだけは伝わっていた。

  そして、やがてくふり、と声が漏れる。

  …オ前、ハ、

  紡がれる言葉に張遼が閉じていた瞼を開けて、顔を上げる。
  目の前にある顔が、くしゃり、と不器用な笑みを浮かべていた。

  マッタク、ショウガナイヤツダナ。

  その笑みもまた呂布そのもののモノである。

  不器用で、いつまでたっても慣れないその顔は、張遼の心を確かに熱くした。
  そうして誘われるようにして張遼も唇を緩める。

  ひそやかに笑い合い……だけれど、胸の奥の跳ね上がる鼓動だけは聞かぬふりを決め込んで、張遼はこれからのことを思案する。


  とりあえず、どうしようか。

  どうして、くれようか。


  出てこぬ答えに頭の痛い思いもあったが、それでも微笑む呂布の顔を見るだけで、どうにでもしてくれようとも思えるのだから不思議なものだ。










  …………そしてこれはまだ二人が知らぬことなのだが。

  今回の『変化』は呂布だけに起こったことではなかった。
  この世界すべてに、余すところなく、『巻き起こって』いたのだ。

  すなわち、昨日は男だったものが、おんなへと変わっているということ。

  部屋の中で笑い合う二人は知らないで当然なのだが、今現在も、部屋の外は阿鼻叫喚の混乱状態であるということ。




  ……さて、どうなりますことやら。






 <終わり>