「呂布殿の里帰り、ですか?」
 「そうだ、張遼。」

  張遼の目の前の椅子。
  そこに一人の男が座っていた。

  いや、座っていたというか、魏の国へとわざわざ出向いていたのを呼び止めて『お茶でもいかがです』と言って誘ったのは張遼自身であるのだが。
  その申し出に、男は自分も話があるから、と二つ返事で了承した故に、そこにいる。

  常の戦場で見る鎧姿ではなく、豪奢な服に身を包んでいる。

  武人そのものの気配はそのままであるが、豪奢な色彩はその姿によく似合っていた。
  張遼の差し出した茶をぐぃ、と一飲みにすると、先のような発言をしたのだ。

 「我が弟はこっちから言い出さない限り、帰って来ないからな。」

  そう言って男が、ちらりと視線を流す。
  その先に机の上に特製の座布団をひいて座っている『呂布』がいた。
  小さな湯飲みに口をつけ、もう片方に八等分にされた饅頭の一切れを置いてある。

  つまり彼は…張遼が茶に誘った相手は、呂布の兄という位置づけになる。
  赤兎呂布、そう他国の者からは呼ばれて久しい。
  威風堂々といった風格。まさに王者、いいや孤高の王と言ったほうが似合うのかもしれない。
  触れれば卒倒してしまいそうな眼光とともに告げられる兄…わかりづらいから赤兎の、でいいだろう…の言葉に、呂布が顔を上げる。

 「いい加減、一度顔を見せに来い。」

  きっぱりと言い切る視線には、度し難いほどの威圧感が込められていた。
  戦場で相対すれば並の一兵卒ならそれだけで卒倒するような代物である。

  しかしながら呂布は何処吹く風だ。
  
  まったくもって意に関しない様子で兄の顔を見上げながら、今度は饅頭にかぶりついている。
  赤兎の額に青筋、そして口からは溜息がもれたのを聞いて、慌てて張遼がフォローにまわった。

 「呂布殿。大殿の仰有るとおりです。一度、群雄軍のほうへ顔を出してはいかがですか?」

  ………別ニイイダロウ。

  張遼が兄に味方したのを見て旗色が悪くなったと思ったのか、呂布がぽつん、と言葉をこぼす。
  それを聞いた男がゆるりと首を横に振った。

 「良くない。」
 
  ……大兄。

 「呂姫達もお前達に会いたがっているぞ。」

  お前がいつまでたっても顔を見せないからむくれてもいる、と伝えれば呂布の顔が歪む。
  一応、、元々の勢力の違いもあって南蛮で前は暮らしていた呂布であったが、故郷である西涼のことを忘れたわけではない。

  あそこにいる自分の娘達のことだって、気にはなっていたのだ。
  その表情に気付いたのだろう。
  赤兎のほうがたたみかけるようにして言葉を続けた。

 「一度、戻れ。」

  ……………考エテオク。

 「考えるな。戻れ。」

  呂布がそれとなく譲歩の意志を示したのを皮切りに、これ幸いと赤兎は強く言って聞かせた。
  考えさせろ、そう思うなら帰って来い、という押し問答の末(張遼の少しだけ手伝って)、呂布は渋々西涼に向かうことにしたのだ。

  ただし、それには条件があった。

  張遼ト一緒デハケレバ帰ランゾ。
 
 「……呂布殿、なぜ、私まで…」
 「ああ、そのことに関してだが、張遼。」
 「はい。」
 「お前も一度帰って来い。お前の兄弟たちもそうだが、他の奴らもお前に会いたがっていたぞ。」

  しれっとそう言って赤兎は話を進めてしまう。
  まあそれで呂布が帰る気になってくれるのであれば、と張遼もその申し出を受け入れることにした。
  どうせ、いつも公務に忠実で文官たちから休みをもっと取ってくれとせっつかれていた矢先だったのだ(張遼が休まないことには、彼つきの部下たちにも休みを与えることができない)。

  割とあっさりと数日の暇を貰い受け、呂布と張遼は一路、西涼の地へと馬を進めていった。






  帰りたくないとか、そんなものではなくて。
  ただ、はなれたくなかっただけなのだというのは、全部、内緒の話なのだけれど。






 『全力』でおかえりなさい! −「大好きよ、お父様。」「あ、あたしも……!! あ、あたし、だ、だ…」「(ひめねえさま、ふぁいと!)」−







  結局のところ。
  魏の国での準備もそこそこに、赤兎と張遼の気に入りの馬の背に乗って国を駆け(たまに空間を飛び越えて)、しばし。
  西涼の国に里帰りしてきた呂布と張遼を出迎えたのは、他ならぬ彼らの『弟たち』であった。

  飛将軍の名をそのままに、頭の飾りを揺らしながら赤兎の上に乗っている呂布のほうへと駆け寄ってくる男。
  もう一人は細い目が特徴的な男であり、こちらはゆっくりと近づいて来る。

 「小兄。」

  先カ。

 「久しいな。息災だったか?」

  そう言いながら近づいてきた弟の顔を見ながら、呂布は赤兎の手綱を離した。
  兄である呂布がまるで小さな子供のおもちゃのようにちっこくなってしまったことを噂や手紙、そして先日、魏の城に赴いた赤兎から聞いていた飛将は、少しだけ驚いた様子を見せたものの、大きな変化は見せようとはしなかった。
  手を差し出し、呂布を抱っこする。

  先。

  ただ、その扱いに呂布のほうが不満そうに眉を寄せた。

 「仕方ないだろう。片手で持ったら落っことしてしまいそうなんだ。」

  落トスノカ。

 「わざとじゃない。」

  それはわかってほしい、と飛将が小さく唇を緩める。
  飛将はとっつきにくそうな印象もあるのだが、上の兄たちの気性がとことん激しいせいもあってとばっちりを受けることが多い。
  呂布の兄弟のなかでも割と口数が多いほうなのだ。

  それを見て呂布も仕方がない、と溜息をつくことで飛将の腕の中に収まった。

 「張遼も久しいな。」

  そして落ち着いたところで、声がかかるのを待っていた張遼のほうへと振り返る。
  馬の手綱を引きながら側に立っていた張遼が緩やかに頭を下げた。

 「お久しぶりです。飛将殿も息災そうで…」
 「ああ、何しろ戦に出られないからな。体のほうが鈍って仕方ない。」

  先の引っ越しやら何やらで『排出停止』と『登録禁止』をくらったままの飛将は苦笑して応えた。
  ただしその言葉は戦に出られないという不満はあるものの、笑い話に出来るくらいには落ち着いているらしい。

 「そのうち呼ばれることもありましょう。」
 「だといいがな。」
 「あなたの弓の腕前は、まさに天下無双でしょう。あなたを望む声は、戦場でも聞こえていますよ。」

  そう思ったからこその言葉だったが、飛将はそれを意外そうに受け止めたらしい。
  目を丸くしていたが、やがて、そうか、と小さく呟いた。

 「その時はお前の腕も見せてくれ、『神速将軍』。
  お前の武勇、この西涼の地でも畏怖とともに語りぐさになっているぞ。」

  挑戦的な顔だった。
  その顔と言葉に、呂布と兄弟であると言った証が見て取れて、張遼も表情を緩める。

  ……先。

  そうして二人が無言のことばを交わしていたところで、飛将の腕から呂布が声をかける。
  どことなく不機嫌そうだった。
  それに気付いた飛将が顔を下へと向けると、睨み付けられた。

 「……小兄、何に怒っているのかはわからないが睨まないでくれ。」
 
  怒ッテナイ。

 「嘘だ。そのくらい俺にだってわかる。」

  怒ッテナイゾ。

 「まあ、それならそれで…」

  そう言いながら飛将は横にいる赤兎の手綱を手に取り、ゆっくりとその場から歩き出した。
  赤兎もされるがままに引かれていき、かっぽかっぽという蹄の音が響く。

 「小兄。さっそくで悪いんだが、俺の新しい『弟』にあってほしい。」

  新シイ……?
  
  呂布はその単語に首を傾げているが、やがて思い出したように小さな手を打った。

  馬ノホウノ飛将カ。

 「ああ。あいつが兄上に会いたいと言ってうるさいんだ。今日、戻ってくることになったと伝えたら、止めるのも聞かずに鍛錬場にいる。」

  鍛錬場?

 「相手を、してほしいと。」

  ソノクライナラ構ワンガ……

 「助かる。あれで放っておくと面倒だからな…」

  そう二人の兄弟は言いながら城のなかへと進んでいった。
  どうやら新しく来たという『森川』の呂布が新たな兄弟間の火種になっているらしい。

  こちらでも色々とあったのだな、と思いながら張遼はその後ろ姿を眺めていた。
  そこへ、とんとん、と肩を叩かれる。

 「兄者。」

  振り返ると、何時の間に側へ寄ってきたのか張遼の弟である『獅子』が立っていた。
  確かに飛将のと二人揃って出迎えて来てくれたのは見えていたのだが、どうにもこの弟は物静かだ。

 「獅子。」
 「久しぶりだな。」
 「ああ。この城に戻ったのが随分と前のように思う。」

  そう言いながら先ほど、自分たちがくぐった門を見上げる。
  張遼が魏の武将と成り、そして幾つもの時を越え(いつからそうなっていたのかは、はっきりとはわからないが)その中で故郷でもある西涼の地へと帰ってくることは、ほとんどといっていいほどなかった。
  だが、いつ帰っても西涼の空気は、肺の奥、そのまた奥のほうまでよく馴染む。

  細胞のひとつひとつが、懐かしさで焦がれているような気がして張遼は目を細める。

 「戦場では中々お前とあたる機会がないからな。」
 「俺はたまに呂布殿と肩を並べる機会が増えたが……」
 「呂布ケニアというヤツか。」

  あれはあれで相手にすると厄介なのだが、火計などにはさぞ辛かろう。
  軍師一括である陳宮の苦労が目に見えるようで、張遼はおかしそうに喉を鳴らした。

 「そういう兄者は、相変わらずだな。」
 「そうか?」
 「戦場で安定した実力を誇るのは難しい。その点、兄者の武は本当に安定していると思う。」

  弟の称賛に張遼は面痒い思いで、頬をかく。
  獅子はそんな張遼の様子にも、表情が読めない顔をしていた。
  相変わらず無愛想なことだ。

  戦場ではあれほど滾るこの弟の激しさは、若さ故のものかもしれない。
  
  ……あるいは、彼の『心』が呂布軍筆頭というものに重きをおいているせいもあるのだろう。
  張遼は呂布の部下であるという思いはある。
  しかし、張遼はすでに『魏』の武将でもあるのだ。

  心が完全に呂布軍にあるわけではない。
  悲しいことに、そう思えるほどに戦場も時間も、仲間たちの絆も、多くを重ねてしまっていた。
  それをかなしいとも、また、重いとも思わない。
  だからこその、『今』の張遼を形作っていると言っても過言ではないからだ。

  だが、目の前の獅子はまだ呂布軍の将として『現在』を生きている。

  あの背を見、あの武を追いかけていた、遠い記憶。
  懐かしさとともに訪れる苦みを、張遼は小さく首を揺らすことでやり過ごした。

 「兄者?」

  そんな兄の様子に獅子が怪訝そうに声をかける。
  張遼は気にするな、と言ったふうに片手を上げると、そのまま持っていた手綱を引いて歩き出す。

  これ以上聞くな。
  聞いても話すつもりはないという意思表示なのだろう。
  それを悟った獅子もまた、それにならって歩き始める。





  懐かしい風が吹く。
  匂いも、空気も、すべてはあの頃のまま。
  それを過去のものとするつもりはないが、引きずるつもりもない。

  張遼は、あるがままに『今』を受け入れている。
  変化を。





  二人が並んでしばらく進んだところで、そういえば、と思い出したように獅子が口を開いた。

 「兄者、蒼天の兄はどうしたんだ? 赤兎の呂布殿は兄者にも帰って来るようにと言っていると思うのだが……」

  そう問われて、張遼はひくり、と唇を震わせた。
  赤兎呂布は、魏にいるもう一人の『張遼』……蒼天のにも、一度里帰りするように伝えていたらしい。
  それはわかっていた。
  なんとなく察してた。

  『知っていた』のではなく、『悟っていた』というのは、

 「……その…蒼天の、郭嘉殿のところから…離れようとしなくてな…」

  こういう裏事情があってのことだった。
  それを察したのだろう。獅子もまた、複雑そうな表情で眉間に皺を寄せて、明後日のほうを向いた。

 「……あの方も、相変わらずだな。」
 「私たちのなかでもとりわけ生き方に正直な方だからな。」
 「正直すぎはしないか。」
 「それを面と向かって言えるものならな。」

  そう思いながら、張遼は小さく溜息をついた。
  次兄でもあるあの兄は武というものに関してはかなりのストイックさを誇っている。
  その点に関しては尊敬すべきものもあるのだが……少しばかり、そういった正直さに呆れることもある。

  それを思い当たり、獅子は諦めたように頷いた。

 「今度、長兄殿に言えばいい。」
 「あの人なら殴りかねないが。」
 「一度でも殴ってもらったほうが世のためというやつだ。」

  かなり辛辣な言葉が返ってきたのだが、まあ確かに恋人と一緒にいたいから実家に戻らない(要約するとこんな感じだ)、ということを聞いたら、呆れたくなるのも仕方ないだろう。
  苦笑をこぼし、さてこの件はどうしてくれようかと思いながら、張遼は西涼の主城の門をくぐり抜ける。




  季節は春。

  移り変わりの季節に、呂布と張遼は生まれ故郷へと帰って来ていた。




 −つづく−