不幸とは、連鎖するものである。
たとえば道ばたにある石に転んだとしよう。これが最初の不幸だ。
運が悪い、そう思っていたところへ、続いて何らかの『不幸』がやって来る。
続けざまの『出来事』。
それは誰しもが経験しているものであるはずである。
故に、連鎖は限りなく続く螺旋のようなものであることもご存じのはずであろう。
だからこそ、
「…………その、手を……離、せ……!!」
前方には両手に武具を構え、鬼気迫る表情で立っている鄧艾。
「嫌だね。」
頭上で、にかぁり、と挑発そのものの意味で浮かべる笑みをのぼらせている錦・馬超。
「誰が手前の言うことなんか聞くかよ。」
言葉でさえも喧嘩を売っているも同然の物言いだ。
いや、実際誘っているのだろう。
にやにやとしたままで、体勢も構えている様子もなければ武具もない。
腰に双振り大刀を下げているものの、それを扱うような仕草は見せていない。
そもそも片手が塞がっているのだ。使ったとしても、武の差は歴然。
しかし、その片方の手に提げられたものが問題であった。
鄧艾も手出し出来ないまま、構えから動けずにいる。
「魏のヤツに命令されて答えるような、そんなもんは俺にはない。わかってんだろ?」
俺を誰だと思っていやがる、と。
そう言って馬超は、深く、深く、笑う。
それを見た鄧艾の気配がさらに色濃く怒気に染め上がる。
武人の達人が見れば、その強さに恐れおののくほどの気配。鋭利な刃物が己が身に突き刺さるかのような錯覚さえ、受けるはずだ。
「………どうあって、も…退かぬ、と。」
「おう。それに、『こいつ』とは俺が先に遊ぶんだしな。」
そう言って、馬超は『塞がっていた』片手をポンッと、上へと向ける。
つまり『放り上げた』のだ。
鄧艾の眼が見開かれ、驚きに彩られるのを見ながら馬超は落下してきた『それ』を片手で受け止めてみせた。
「邪魔すんじゃねぇよ、魏の犬が。」
「………!!」
イイ加減ニ……!!!
その時。
『それ』が抗議の声を上げた。
馬超が視線を落として自分の手のほうを見、同じく鄧艾も馬超から視線を外す。
シナイカ!!
先ほどからまったくもって蚊帳の外で自身の『所有権』をかけて対決など始めようとしている輩たちに向かって、呂布は腹の底から彼らを怒鳴りつけた。
不幸とは、連鎖するものである。しかも自分自身の都合などお構いなしに降りかかってくるものでもある。
「でっかいわんこ」と、「にゃんこ」と、ついでに「でっかいわんこ」がもう一匹。
-想像するならば、セント・バーナードとシベリアンハスキーが本気で喧嘩している場面だと思っていただければ(え)-
そもそもの始まりはと言えば、ここのところ日課となっている鄧艾と呂布の朝の挨拶から始まった。
「………おはよう、ございます…呂、将軍。」
ン?
てっふりてっふりと廊下を歩いていた呂布が顔を上げれば、前方やや斜め上のほうから鄧艾がこちらを見下ろしている。
呂布が視線を持ち上げたのに気付いて、鄧艾は膝を折ってその場に身を屈めた。
それだけで視線は近くなる。
オハヨウ。
相変わらず棒読みな挨拶であるが、それでも言葉を返してくれたのが嬉しいのか鄧艾の唇の端がほんの少し緩む。
「………張、将軍…は、いらっしゃら…ない、の…です、か……」
アイツハ朝カラ行軍ニ出テイル。
「そう、なの…です、か……」
珍しいこともあるものだ、と鄧艾の目が驚きに瞬いた。
行軍、というのはつまるところ『戦い』に出たということだ。
確かに曹操(魏武)が先日、戦の準備をしていたことを鄧艾も知っている。
それに司馬家の嫡男たちが駆り出されていったのも知っていた。
だが、呂布をおいていくのには少しだけ驚く。
そもそも、
「…呂将軍は……ご一緒、しなかった…の、です…か?」
と、不思議そうに鄧艾が問い返す。
そうだ。
呂布ならば張遼とともに出かけていくのではないか、と思ったのだ。
張遼だって客将で魏に招かれているとはいえ、『一応』、『曲がりなり』にも敵国であるここに呂布を残していくなどとは考えられない。
そう思っていると、呂布は不機嫌そうに眉を寄せる。
アイツガ、此処ニ残レト。
「…言った、の、です…か……?」
ソウダ。
その時のことを思い出したのか呂布が唸り声まで上げだしてしまう。
鄧艾がそれを見てオロオロとし始めたのを見て呂布も一寸思いとどまって、それでも胸の内は収まらずに息を吐く。
夕刻ニハ戻ルト言ッテイタガナ。
「…そう、です…か…」
ふむ、と頷いて鄧艾はもう一度思い直す。
呂布には勿論運ばれてくる職務がある。それに、見ていると魏の中にも彼と親しい者達は幾人もいた。
武官たちは勿論のこと、文官、軍師…そして女性達や、果ては曹操の息子たちでさえも彼と親しく話を交わしたりしているのも知っていた。
……確かに、命を狙われるのではないかとか、そういう心配はないのかもしれない。
それほどに呂布は魏軍に馴染んでいた。
それが良いか悪いかは、まあ別問題だとしても。
「………呂将軍。」
ナンダ。
それに、鄧艾自身もいる。
相変わらず杜預からは「客将であるあいつに懐かないでくださいよ!」などと言われているのだが、羊祜がそれを素手で殴って止めつつも笑顔で「好きにしてください。」とも言っている。
陳泰は何故か複雑そうな顔をしていたのだが、「あんたはまわりが言っても聞かなさそうですしね」と笑っていた。
その通りなのだが。
実際のところ、鄧艾は自分の意志で呂布から離れようとは思わない。
『近づくな』と言われてしまえばもう二度と、金輪際、側に寄らないつもりでいるのだが、呂布は変わらず相手をしてくれる。
だから今のところ、鄧艾は今の関係を崩すつもりはない。
「…なら……今日は…俺に…付き合って、くれま、せん…か…?」
オ前ニ?
「……はい……」
こくりと頷くと、呂布は不思議そうに鄧艾を見上げる。
そこに拒絶の意志はない。
「…鍛錬、の…相手……も、して…いただき、たい…です、し……この前の…話の…続き、も…」
前ノ? ………………馬上ノ武具ノ扱イカ?
「はい…」
話の内容を覚えていてくれたのも何故だか嬉しくて、鄧艾の笑みが深くなる。
「…駄目、です…か?」
………別ニイイゾ。
しばらくの沈黙のあと了承の答えが返ってきて、鄧艾がありがとうございます、と頭を下げた。
そうだ、後で呂布の執務の手伝いもしよう。
張遼や荀攸たちほどではないにしても、今回の礼はすべきなのだし。
そんなことを思いながら鄧艾は下げていた頭を上げた。
そこに呂布の姿がなかった。
「…………っ?」
「呂布ーーーーー!!!!!!」
ウガ!!!!!
変わりに聞こえてきたのは、明るく笑い飛ばすかのような声と呂布の声であった。
驚いて鄧艾を体ごと上へと視線を向けると、そこにいつの間にか『別の人間』が立っていたのだ。
何時の間にそこにいたのかはわからない。
だが、腕に呂布を抱いている。
「ひっさしぶりだな! 相変わらずお前はちっこい!! 俺の片手でも抱き上げられれるぜ?」
馬超!?
服装は軽装であったが茶色の髪と、にかと笑う歯からは八重歯が覗いている。
西涼の、それもほんの一握りのものしか持たないとされている銀に光る瞳がそれが誰かを象徴しているかのようであった。
馬孟起。
馬超と呼ばれた青年は、子供のように無邪気に顔を崩しながら呂布を片手で抱き上げ、もう片方の手でわしゃわしゃと彼の頬をなで回した。
ヤメナイカ!!
「あははは! 怒ったって全然怖くねぇよ! いいじゃねぇか、久しぶりに会えたんだしさ。」
本当に心底嬉しそうに笑っている。
感情表現がストレートで、上がり下がりも激しく、熱しやすく冷めやすいという気分屋なところがあるこの馬超のことを、呂布は辟易しつつも嫌えないでいるので尚更混迷は深い。
そもそも珍しいもの好き、おかしなものも大好き、強いヤツなら尚更! という、それぞれが個性的な馬超兄弟の中でも特にこの青年に呂布は好かれている。
何の遠慮もなく奪取されるのは、すでに西涼陣営へと里帰りしている間に慣れてしまった。
怒りが湧かないかと聞かれると、呂布は絶対に首を横に振るのだが。
ダイタイ、ドウシテオ前ガ此処ニ……
溜息をつきつつも、問いかけると馬超は一瞬不思議そうに眼を瞬かせてから、ああそのことかと呟く。
「親父の付き添い。」
馬騰モ来テイルノカ?
「おぅ、大兄のほうだけどな。なんでも夏候惇のヤツに用事だとかなんとか……なぁ、そんなことよりも俺と遊ぼうぜ?」
……………………………………断ル。
しばらくの沈黙の後に呂布はそう一言で申し出をぶった切った。
途端、馬超が不満そうに、えー! と声を上げる。
お前は幾つだ、と呂布は心で問いかけた。口には出さなかったが、めんどくさくて。
「なんでだよ! 今日は張遼のヤツもいないんだろ?」
ソウダ……何デオ前ガ知ッテイル?
「今日の戦いの相手、俺の兄貴。」
全突VS神速対決か。
それは中々に見応えがありそうだな、とうすらぼんやりと呂布は思った。
戦場を所狭しと騎馬軍団が暴れ回る姿を想像しながら、視線を下ろして呂布は馬超を見る。
今日ハ先約ガイル。
「先約?」
ソコニイルダロウ。
スッと呂布が鄧艾を指さす。
先ほどから黙ったままで二人のやりとりを眺めていた鄧艾が、いきなり自分を引き合いに出されて驚いたように眼を丸くする。
だが、先約、という言葉を聞いて少しだけホッとしたように表情を緩ませていた。
それとは裏腹に先ほどまで完全に彼の存在を無視していた馬超が鄧艾のほうを見ながら、眉間に皺を寄せている。
オ前トハ、マタ今度ダ。
「………………………呂布。」
ぽつん、と名を呼ばれて呂布が何事かと視線を上へと持ち上げる。
そもそもとっとと下ろせと思っていたので口を開こうとしていた。
それは、敵わなかった。
腕の力が先ほどよりも強まり、呂布の視界がグンッと引っ張られるようにして動く。
鄧艾の姿が遠くなり、つんのめるような感覚に襲われる。
すなわち、馬超が後方へと飛び退いたのだ。
それを見た鄧艾の目が驚きに見開かれるのも見えた。同時に、頭上で馬超が笑う気配を上らせたのも聞いた。
「やだね。」
馬超!
「俺は今、お前と遊びたいんだよ。つーわけで、呂布は貰ってくぞ!」
最初は呂布に、続いて鄧艾へとそう言い放って、馬超は笑いながら廊下を走る。
その速さたるや常人では想像もつかないような脚力である。
足音も軽く廊下をひた走っていく。
呂布が何事か怒鳴っても全然聞く耳など持たなかった。
それを呆然と見送っていた鄧艾が、廊下に残される。
だが、直後、廊下を通りかかった文官たちは彼の『気配』に残らず失神することとなる。
気配は、常人でさえも当てられたら一撃で気絶しそうなほどのものを孕んでいる。
普段が冷静沈着、感情を表に出さない分、鄧艾の『怒り』の気配は凄まじいものがあった。
遠く、執務をしようとしていた羊祜と陳泰が何事か、と気付くほどのもの。
武将たちも何が起きたのかと発生源を探そうと躍起になった。
しかし、発生源を特定しても、残らず全員が引き下がった。
鄧艾はそれからしばらくして動き出した。
ずん、
と、重苦しい音と気配を残して、一歩、前に進み出る。
それから後はもう、激烈であった。
双振りの得物を両手に携え、鄧艾はその場から走り出した。
何事かと問いかけてくる同僚達にも見向きもせずに、ひた走る。
それを見た全員は後に語る。
「あれは鄧艾ではない。あれは………まるで、伝説上の生き物、雷虎のようであった。」
と。
雷虎とは、雷を使役する伝説上の神獣である。
雲を渡り、雷を振らせる。
その速さたるやまさに電光石火。触れればきっと焼き殺されるどころか、雷によって感電死させられる。
そう思い、彼らはもう見送るしかなかった。
だがそこは忠節心。
どうにかしないとこの城が危ういと察知して、勇気ある幾人かが、鄧艾を抑えつける事の出来る幾人かの人間のもとへと駆けていった。
しかし、そんなこと鄧艾は知らない。
故に馬超を追いかけ、探し、そして見つけた。
庭の一角。
西日の差し込むそこで、馬超の長身を発見したのだ。
そして二人は対峙することとなる。
それに巻き込まれる形となった呂布を間に挟んで。
-不幸とは、連鎖するものである。本人が望まないというのに、まるで嵐のようにお構いなしに。
<つづく>