その日というか、先日の朝の珍騒動があってからしばらくたった時のこと。
張遼は日課にもなりつつある呂布探しをしていた。
荀攸や程cたちの手伝いもあり、執務をこなすようになったとは言え、呂布はひとどころにジッとしていられない。
少し目を離した隙に逃亡する、なんていうことも日常茶飯事だということは変わらなかった。
よって、回数は減ったとはいえ、張遼の呂布探しはなくなる気配はない。
どうせいつものように赤兎のいる厩や、鍛錬の出来る場所にいるのだろう。
それとも、昼寝の出来る陽の当たる中庭か。
慣れてしまった探し場所をいつもように張遼は探してた。
それはいつものことであったし、変わらないものでもあった。
しかし、今回はひとつだけ大きく変わったところがあったのだ。
赤兎は居た。
庭の一角。
厩から連れて来られてきたのだろう。芝生の上に身を横たえている。
その赤兎に寄りかかるようにして、探し主は安眠していた。
既に昼寝状態である。
ただ、その側にいつもと違う姿があった。
「………ケ艾?」
思わず呼びかけると、呼ばれた彼は張遼のほうへと振り返る。
「…張将軍……」
ゆっくりと唇が動いて名を呼ばれる。
呂布のすぐ側。
赤兎も側にいることを黙認しているらしい。
同じように芝生の上でケ艾が座り込んでいた。手にした木簡を広げた姿勢のまま、いつもの無表情で張遼を見上げているのだ。
二人はそうしてしばし見つめ合うこととなる。
張遼は驚きで言葉を失っていたのに対して、ケ艾はいつものような雰囲気だったのだけれど。
<第三次待機中> −解りづらい。解りづらいのだけど、行動が如実にそれを示している。−
「……どうしてお前がここに?」
呆然としたまま問いかければ、ケ艾は眼を小さく瞬かせる。
それから静かに考え込んで、視線を眠ったままの呂布へと向けた。
「…呂将軍…を……ここで、見つけて……」
ぽつりぽつりと返ってくる言葉を、張遼は黙って聞いていた。
ケ艾の言葉が途切れがちだということは先日の一件から既に知っていたし、常日頃から言葉数の絶対数が少ない主の相手をしているのだから待つのは慣れている。
故に、ケ艾も少しずつ、少しずつ、自分の言葉で喋った。
要約するとこうなのだそうだ。
逃亡し、赤兎と庭で過ごしていたところでケ艾がそれを発見。
いつものごとく話しかけようと近づいていったのだが、睡魔に捕まっていた呂布はこれを放置。
ただし、眠りに落ちる直前に、
話ナラ後デ聞ク。
と、言ったのだそうだ。
そして眠りに落ちた呂布が起きるまでケ艾はここで待つことにしたらしい。
丁度提出用の木簡のいくつかに目を通すつもりで持っていたこともあって、ここで広げていた。
そこへ張遼がやって来て……
「………なるほど。」
「……少し、寒い…のでは…とも、思ったの…です、が……」
「いや、呂布殿には赤兎がいる。それよりケ艾、お前のほうは大丈夫なのか?」
「俺、は……体は、丈夫…です、から……」
何とも感情の読めない顔でケ艾は目を通していた木簡の一つを丸めていく。
どうやらそれは目処がついたらしかった。
かわりに、ともう一つの木簡へと手を伸ばそうとしたところを、張遼が手で制するようにして止めてみせる。
「ここで読むのは効率が悪いだろう。」
「……俺は……平気、です…」
「私が気になる。それに呂布殿も起きた後にお前をここで待たせていたと知ったら気になさる。」
寝る前に言ったことは呂布はほとんど無意識のものだったはずだ。
話を後で聞く、というのも、ここで待っていろという意味ではなく、『また後で会いに来い。もしくは行く。』というものであったに違いない。
それでも呂布を引き合いに出したのは効果的だったようだ。
ケ艾は狼狽したように眼を動かし、眠る呂布のほうへと振り返る。
呂布は眠ったままだ。
薄く上下する胸。瞑ったままの瞼は動く気配さえ感じられない。
赤兎がケ艾の視線に気付いて顔をほんの少し持ち上げる。
視線がかち合えば、ケ艾はゆっくりと息を吐いて、そうですね、と呟いた。
「……俺が…勝手に……待って…しまって…」
「それは気にするな。お前も呂布殿と話がしたかったのだろう?」
そう問いかけると、ケ艾は無言のまま小さく頷いた。
その仕草は年齢よりよほど幼い。
それすらも呂布の癖と良く似たものを感じられた。
彼も、無言で頷くことが多いのだ。
ケ艾の頷きにそんなものを感じて、張遼は困ったように表情を緩めた。
「…張将軍……?」
「ああ、いや何でもない。それよりここから移動しよう。まだ寒いしな。」
「……呂将軍が…まだ…」
「連れていけばいい話だ。赤兎、すまないが呂布殿を連れていくぞ。」
赤兎に向かってそう言うと、彼も正しく理解した様子で丸めていた首をゆっくりと持ち上げる。
呂布を寒さから守るための行為であったので、赤兎が動いた瞬間に小さく呻くような声が聞こえてくる。
それを見たケ艾が何も言わずに自分の肩にかけていた布を呂布へとかけた。
ぱさり、という音と同時に寒さが少し遮断されたこともあって、呂布の声が止まる。
そのまま起きる気配もなく、すぅ、と小さく息の漏れる音が聞こえる。
「……呂将軍は……よく、眠って…います…」
ぽつりと呟く声は気遣うようなものをのぞかせている。
無表情で、何を考えているのかさっぱり掴めないと常日頃から言われ続けているケ艾だったが、心根は真っ直ぐなのだろう、と張遼は思う。
ケ艾の指先が呂布へと伸ばされ、だが触れることなくおろそうとするのも見た。
「……ケ艾。呂布殿を連れて先に部屋へ行ってくれないか。」
だから思わずそう言ってしまっていた。
張遼もどうしてそんなことを言ったのかわからない。
考えるよりも先に、言葉が唇から落ちていってしまったのだ。
言った本人も驚いていたのだが、言われたケ艾のほうも驚いていた。
眼を丸くして張遼のほうを見る。
「…でも……俺が…触ったら……呂将軍、は…」
起きてしまうのではないだろうか、と言葉が続くのかと思った。
実際張遼もそう思っていた。
そんなことはない。
と、いうより呂布は張遼が触っていても起きる時は起きる(大抵は眠った時も多いのだが)。
しかしケ艾に気を遣わせるのもどうか、と思い直した。
「…嫌がる、でしょう…」
そんなことを聞くまでは。
「…は?」
ケ艾の言葉の意味が理解できずに、張遼は素っ頓狂な声を上げて固まってしまっていた。
言ったケ艾のほうはと相変わらず読めない表情のままであった。
ただ淡々と、
「俺が……触ると、嫌がる…」
そう、短く呟いた。
「そう呂布殿が口にしたのか?」
思わず強い調子で張遼が聞き返す。
するとケ艾はまた黙って首を横に振った。
ケ艾がそう思っているだけ。ただ、それだけの話。
だが何となく胸に重苦しいものを感じて張遼は詰めていた息を吐き出した。
「……私が赤兎を厩へ連れて行く。赤兎は、呂布殿以外では一部のものにしか繋がれるのを許さないからな。」
「………です、が…」
「呂布殿は、本当に嫌いなものならば触るのさえ許されない方だ。」
だが、と切り返してケ艾を見やる。
彼は続きの言葉を待っていた。
「心を許しているものなら、側にいることを許す。第一、そうでなければお前の前では眠ったりしないぞ。」
だから、そう言った。
張遼の言葉にケ艾は困惑したような様子であった。
けれど、どことなく表情が先ほどとは違うようにも見える。
「…………怒り、ま…せん、か?」
「乱暴な持ち方をしたりしなければな。」
「…俺が、触れ…ても…」
「この前のことを思い出してみろ。お前が触れて、怒ったりしたか?」
いいえ、とケ艾は小さく答える。
その答えを聞いてから張遼は赤兎の背を叩いて、そこから起きあがるように促す。
それを見たケ艾が慌てるようにして眠る呂布の体をかぶせた布ごと抱き上げた。
片手で思わず抱いてしまって、おろおろしたように視線が動いている。
本当にここのところ、ケ艾の珍しい部分ばかり見る。
そんなことを張遼は思った。
口に出すことはなく、呂布を離されたことで立ち上がった赤兎を促してその場からゆっくりと歩き出す。
「先に私の室へ行ってくれ。鍵は開けてあるから、中に入っていればいい。」
ではな、と手を振ると、ケ艾は動かしていた視線を止めた。
表情が変わり、了解した、と言わんばかりに頭を下げる。
それを後ろに見やり、張遼は先へと歩を進める。
(触るな、と言って、伸ばした手を叩き落とされたことがある)
しばし張遼の後ろ姿を見つめながら、ケ艾は眼を閉じる。
腕のなかの呂布は相変わらず眠ったままで起きる気配さえもない。
(けがらわしい、うっとうしい、そんな言葉を浴びせかけられることは、日常茶飯事だった)
ああ、やっぱりここは寒いな、と。
そんなあてもないことをケ艾は思った。
思って、それからそれを言い訳にするかのように腕の力を少しだけ強めていた。
−終わり−