空に舞い散るのは、あの日と同じ白い六花の欠片。
掌の上へとのせれば、水へと戻ってしまう。とても儚いもの。
深々と、音もなく降り積もる。
音もなく、風もない。
ただ視界を染めるのは、静かに世界をその腕のなかへと抱き留める雪の姿だけ。
静謐の世界で、ぼんやりとそれを見続けていた。
『あなたへのおと』 −それは誰の耳にも聞こえない。けれど確かにそこに在る、おと。−
「……またこのようなところで。」
ぱさり、と後ろから毛布をかけられる。
突然降ってきたその声に身じろぎもせずに、呂布は背後へと振り仰いだ。
座っていたせいか身長差がいつもと違う。
知らず、見上げてしまうその視線の先には、呆れたような表情を遠慮無く浮かべる張遼が立っている。
いつからそこに座っていたのだろうか。
すっかり冷え切ってしまった肌へと指先を走らせれば、ぴくり、と呂布が身をよじった。
「…アツイ。」
何を思ったのかそう一言、声が漏れ出る。
「あなたが冷たすぎるんですよ。」
先ほどまで部屋の中で暖まっていた張遼とは温度差はあるはずだ。
本当にこんなところでこの主はいったい何をしているのだろうか、と人知れず何度目かになる溜息を張遼は吐き出す。
息を吐き出しただけで、それは白く凍えてしまう。
当たり前だ。
今は雪。
寒くないというほうがおかしい。
いっそ、こんな身も凍るような寒い夜に、出歩くほうがどうかしているのだ。
それでも呂布の反応は薄い。
冷えてすっかり白くなってしまった鼻先を眺めて、張遼が手を伸ばす。
呂布の頭の上に降り積もった白い雪たちを払いのけるためだ。
本当にどれほどここにいたのか、と疑いたくなってしまう。
人中の呂布、と詠われているのだとしても、風邪はひくのだ。
「……どうか、なさったのですか?」
声をかければ、うん、と呂布は小さく首を傾ける。
その体は見上げるほど高いというのに、仕草のひとつひとつがいっそ子供じみている。
身体と精神のバランスが激しいのだ。
いや、こんな無防備な姿を見せるのは張遼を除けばほんの一握りの近しい人間しか知らないので、他の人間はほとんど知らないと言っていいのだが。
「……雪ヲ、見テイタ。」
ぽつり、と言葉がこぼれ落ちる。
それは常の彼からは考えられないほど静かで、それ故に雪の中に響く。
張遼の耳の奥の鼓膜を、揺さぶる。
「…それくらい、部屋の中からでも見れます。」
だから部屋に帰ろうと張遼は催促するのだが、呂布の反応は薄いままだ。
ただぼんやりと、空を見つめている。
闇の中に浮かび上がる、白い色をその瞳に映し込んでいる。
雪が降る。
白い、しろい、六花のはなが。
舞い落ちて、降り積もる。
際限なく、すべてのものを覆い尽くしていく。
不意に。
目の前のこの人が、このまま雪に呑まれてしまうのではないか、と張遼は思った。
思って、不安と焦燥に、胸が焦がれた。
「…………文遠?」
気がつけば、
張遼は呂布の首に後ろから腕をまわしていた。
力を込めることはなく、ただまわすだけであったが、それだけでも体温が伝わる。
冷たい温度は、ぬるくなり。
熱い温度は、ひえていく。
すべて伝わればいい、と思った。
伝わって、そしてこの雪に溶けることなどないように、せめて。
「奉先殿、戻りましょう。やはりここは寒い。」
せめて、自分が側にいる内は。
心の声を押しとどめて、けれど伝わればいいと願いながら、張遼は腕を解こうとしなかった。
呂布は視線を動かさなかった。
ただ、しばらくそうしていて、諦めたように小さな息を吐いたのだ。
「ワカッタ。」
頷きながらそう答えて、呂布は後方へと振り返る。
張遼の視線とかちあって、その鳶色の瞳を覗き込みながら、うっすらと唇の端を持ち上げた。
「…帰ルゾ、文遠。」
そう声をかければ、張遼は弾かれたように腕を放した。
その仕草が少し気にくわなかったのか呂布は一瞬、張遼を睨め付けたが何も言わずにそこから立ち上がる。
かけられた毛布を肩からかぶり、ざくざくと雪を踏みつけていく。
その後ろを張遼も追いかける。
ざくざく、と雪を踏み越えて、足跡が白く残る。
二人分の足音が、響く。
静謐の世界は、そうして密やかに打ち破られる。
張遼は呂布が何を考えてそこにいたのか知らない。
呂布もまた、張遼が何を思ったのかを悟っていない。
だけど、
知らなくても、破られるものはある。
たとえこう、と決めなくても、ただ共に在るだけで、なくなってしまうものだってあるのだ。
冷たい静謐の世界は、ない。
新しくやって来たのは、誰かの隣と、暖かい毛布と、灯火。
それから、互いを呼ぶ声。
それだけで、総てが、
<終わり>