目に映るのは、ほのかな花の色。
  この城を構える人物に相応しく、毒々しいまでに煌びやかで豪奢な調度品の数々がひしめきあう中で、庭の片隅にまるで忘れられたかのように咲いている小さな花々だけが季節の彩りを伝えている。

  柔らかで、控えめな色。
  春に咲くひとひらの花。
  それを見つめながら……いや、半ば強制的に花見に誘われて、そのまま閉じこめられるように膝の上に乗せられ、逃げることもままならずに呂布はぼんやりとそれを眺めていた。

  呂布を膝の上に置いた人物は、上機嫌に両足をぷらぷらと上下に動かしていた。

  腰掛けた石椅子(花見用に特別に誂えたものだ)の上で、「綺麗でしょ。」と勝ち気に笑っている。

 「いい天気ね、呂布。」

  董白が、唇の端を持ち上げて楽しそうに呂布の頭を撫でている。
  そんな様子に彼女つきの幾人もの使用人たちが辟易していてもお構いなしだ。

  呂布は人知れず溜息をついた。

  直感と体の思うがままに物事を推し進めることの多い彼にだって(失礼な話だが)、ここ最近、小動物か何かのような扱いを受けていることくらい重々承知している。
  悲しきかな既に魏軍で散々女性たちに慣らされ(餌付けつきで)てしまったので、怒りよりも先にしょうがない、という諦めのようが先に立ってしまうようになっているのだ。

  むしろ「いつものことだ」という思いのほうが強いのかもしれない。

  慣れてしまうと人というものは、意外と神経が太くなってしまう。
  自分の特殊な状況をも飲み込んでしまうのだから、よく出来ているものだ。

  そんなわけで、呂布はすでに慣れたものだった。

  慣れているので董白に抱かれるのも、もうしょうがないという領域まで達してしまっている。
  なので、

 「あ、こっちのお饅頭も美味しいわよ。食べる?」

  ウム。

  董白に差し出された菓子を貰ったりもしていた。
 
  三国最強、人中の呂布と恐れられた呂奉先。
  件の『ちっこくなってしまった』という事態から已然、何の好転も見られない自分の状態に次第に慣れてしまっているようである。






  

  『全力』で里帰りをしよう! −西涼軍の居城にて。呂布、自分の状況にしょんぼりする。−







 「ちょっと、董白!」

  その時だった。
  暢気に(董白だけ)春の花見を楽しんでいた彼女の名を呼ぶ声がする。
  その声の主を呂布は知っていた。と、いうか知らないわけがない。

  目を丸くして振り返るのとほぼ同時に、董白も(名前を呼ばれても平然としたもので)振り返る。

 「呂姫じゃない。どうしたの。」
 「どうしたのじゃないわっ。」

  視線の先で呂姫が立っていた。
  勝ち気というより、強気。母譲りの美貌は妖艶というよりも艶やか、と言ったほうが正しいのかもしれないが、戦場に映える大輪の花。
  その顔に不機嫌さを惜しげもなく滲ませている。

  普通のものが見ようものなら恐怖に凍りつくだろうが、董白も、そして呂布も既に慣れているのでどうということはない。

 「父様をあなたがどうして抱いてるの!」

  びしっと指先をつきつけられるが、董白はつん、と形の良い鼻を別のほうへと向けた。
 
 「いいじゃない。呂布だって別に嫌がってないんだから。」

  ねー、呂布? と同意を求められているが、呂布は何も答えなかった。
  嫌がる云々よりも先に諦めのほうがきているのである。

  それに、呂布は董白をどうにかしようとは思わない。
  董白という存在に、娘である呂姫を重ねてしまうせいなのもある。
  だから実力でどうこうしようという気になれないのだ。

  何も答えない呂布を同意と受け取ったのか、はたまたただ単に悔しかったのか呂姫の眦がつり上がる。

 「……父様…っ!」

  背後に不気味な擬音まで聞こえてきそうな地鳴りまでする怒りの声だった。
 
  別段同意したわけでも何でもない呂布であったが、呂姫の怒りに少々焦る。
  何をそんなに怒っているのか。
  いや、自分の父親が少女に抱き上げられているという状況に腹を立てているのかもしれない。
  ちっこくなってしまったまま元に戻らないのも癪に障るのだろう。

  本当は全然そんなことではない。
  呂姫は、呂布のことが大好きなのだ。口にはしないし、自分では隠しているつもり(まわりにはバレバレ)なので、呂姫以上に人の好意という感情に関して鈍感な節がある呂布には伝わりにくいだけで。

  だが、呂布は自分の父親の状況に娘としてふがいなくて怒っているのだと、そう思った。

  ……呂姫。

  声が。

  呂布から彼女の名を呼ぶ声が紡がれる。
 
  その声を聞いた時、瞬間的に呂姫の気配が鎮まった。
  しまった! とありありと瞳に焦りの色を浮かばせている。自分の発言が呂布にどういったものをもたらしたのかを悟ったのだ。

  しかし呂布はそれに気付いていない。

  …………………嫌カ。

  どことなく。
  本当に、常に側にいる張遼や厳氏、あるいは古参の武将たちでなければ気付かないほどの声色の変化だった。
  だから彼の娘である呂姫にだってわかった。

  しょんぼりしている。

  本人は絶対に否定するだろう。
  そして元の呂布ならば中々口にしないし、とてつもなくわかりづらい。
  だがわかる。どうしたって、わかってしまう。

 「…い、嫌っていうか…」

  先ほどの勢いもどこへやら、呂姫はしどろもどろになって呂布に言いつのろうと唇を動かす。

  そんな呂姫の様子を見て、面白そうに董白が笑みを浮かべる。
  
 「あーあ、呂布、嫌われちゃったわね。」
 「な!」
  
  違う違う! と呂姫はどうにか言おうとするのだが、常日頃から自分の好意の類といった感情を表に出すことを苦手としていたので、その言葉が出てこない。
  喉の奥のほうで絡み合って出てこない言葉に憤りを感じている呂姫に、さらに追い打ちをかけるように董白の片手が呂布の頭の上に乗せられた。

 「呂姫は怒ってるみたいだし、どう? これからあたしの部屋に来ない?
  お菓子だっていっぱいあるし。」

  行きましょう、と董白は子供らしい笑みを呂布に見せている。
  呂布はそれを彼女の膝の上から見上げ、しばし黙り込んでいた。

  思案しているのは見てわかる。

  だから呂姫は焦った。
  このままでは誤解されてしまう。そのまま、断定されてしまう。

 「お、お父様……!」

  自分の想いが決めつけられてしまって、諦められてしまう。
  それに呂布は、自分が嫌われていると思ったら、もう側には来てくれない。

  呂布自身が気に入っていたとしても、相手に嫌われていると察したら、もう来ない。
  
  来てくれなくなってしまう。
  それだけは回避したかった。何よりも、呂姫が呂布にそんな想いを抱いているなどと誤解されてしまってはたまったものではない。

 「お父様…っ! あ、あたしは、嫌いじゃないわ…!!」

  董白の物珍しそうな視線に、呂姫はつんけんしそうになってしまう自身の性質を必至に堪える。

 「嫌いじゃないのっ…」

  天の邪鬼なことをしてしまう自分の性質だって、呂姫は十分承知していた。
  だから好意を出すのは恥ずかしい。

  カァッと熱くなる頬を感じる。

  多分、後々まで董白にからかわれることになるのだろうけれど、そんなことはいい。

  ………姫。

  ようやく呂布の視線が自分のほうへと向けられる。
  表情の読み取りにくいその視線が、探るような意味合いを持っていることに呂姫は気付いている。

 「あ、あたしは…!!」

  自分よりも先に董白と会っていたこと。
  董白の膝の上にいて、嫌がりもせずに黙っていたこと。
  (いや、嫌がるよりも先に諦めのほうがきていたのだということを、呂姫は知らないから)

  それが悔しくて、
  それが、何故だか腹が立って。

  だから怒っていたのだと、そう言わなくてはいけない。
  呂布は口にしないとわかってくれないところがある。
  自分の父親というものを呂姫だってわかっているのだ。

  自分以上に、不器用であることくらい。

 「お父様のことが…す……」

  呂姫の表情と言葉に、呂布の視線が驚きに見開かれていくのがわかる。
  そうして、それとともに嬉しいような予感になっていることも。

  

 
 「す、す………すき、な!!」




 「りょっふーーーーーーーー!!!!!」




  ガバァッと。
  呂姫の渾身の告白とほぼ同時に、場違いな明るすぎる声がその場に響いた。

  同時に董白の膝の上にいたはずの呂布が抱き上げられ、ギュゥギュゥとその『侵入者』に捕らわれている。

 「…な!」
 「ちょっと!!」

  突然のことに呂姫が勢いを削がれて言葉を失い、董白は自分の玩具(まって)を取り上げられたことに勢いよく顔を振り仰ぐ。
  二人の視線の先にあったのは、砂色の髪。
  いや、大地の色をした髪と、琥珀をそのまま溶かし込んで入れたような瞳の色をした青年がそこにいた。

  悪戯童子そのものの表情で、笑いながら呂布を両手で抱きかかえている。

 「ひっさしぶりだな!」

  会いたかったぜ、と掛け値なしの喜色満面の笑顔で言われて、抱き上げられた呂布も吃驚して言葉もない。
  だが、腕が苦しいのか、べしべしとそれを叩く。

  馬超!

 「お、苦しかったか。わりぃ、つい嬉しくってな。」

  にっかりと歯を見せつつ馬超は笑う。
  
 「魏の城にまだいるって言うから会えないなーって退屈してたとこだ。」

  ………何ノ用ダ。

 「いんや、会いたかっただけ。」

  ああ本当に。
  馬超兄弟の中でも特に、この末ッ子である彼は自分の感情をストレートに口にする。

  しかも剛速球でど真ん中に投げ込んでくるのだ。
  当たると痛いどころか、当たるもの全部吹っ飛ばしてしまうかのような威力がある。
  
  掛け値なしの好意は、呂布にとっては苦手なものもある。

  どうしていいのかわからなくて、困る。

 「ちょっと、馬超!!」

  馬超の腕の中で辟易していた呂布よりも先に我に返った呂姫が、怒りの眼差しで彼を呼ぶ。
 
 「お父様を返しなさい!」
 「そうよそうよ!!」

  同じく董白が眉をつり上げながら椅子から立ち上がる。

  馬超はそんな二人の様子を見てどこふく風。
 
 「やだ。」

  お前は何歳児だ、というツッコミが入りそうな返答をした。
  
  歯を出したまま、笑い、そしてその場から走り出す。
  嫌だという体現なのだろうが、それを見た呂姫と董白の怒りの声が背後から聞こえている。




  馬超の腕の中で上下に揺れながら、はぁ、と呂布は溜息をつく。
  なんだか大騒ぎだ。

  しかも、自分のことなど放っておいて(中心にあるはずなのに)まわりは何やらドタバタとしている。

  呂姫が何を言いたいのか。
  董白が何をしたいのか。
  馬超は相変わらずだとか。

  まあ、そんなことはいつものことかと思いながら、呂布はもう一度溜息をつく。




  時は春。

  呂布は里帰りをしていた。
  南蛮の居城ではなく、西涼へと。

  



 <つづく>