『さあ、笑って。世界は君の為にこそ微笑むのだから。』


「笑ウ、トハナンダ。」

 あの人は突然そんなことを言い出した。
 何を言っているのだろうか。冗談のつもりなのだろうか、と思いながら振り返ると、そこにあったのは冗談のひとつもない、真剣な目の色があった。
 突然過ぎる問いかけをどうにか心の奥でやり過ごし、至極当然の問いかけとして返す。

「どうしてそれを私に聞かれるのです?」
「ココニ、オ前ト俺シカイナイカラダ。」

 つまりここにいるのが私でなくても聞くつもりだったのかと思いながら、小さく首を傾ける。
 さて、どうしたものかと思案するしかない。
 そもそも『笑う』、とは様々な意味がある。
 感情というものに様々な面があるように、その感情のひとつをとってみてもさらに違った意味合いを持っているものが多い。
 どういった意味で笑う、ということを知りたいのか。

「……………ふ、む…」

 だが、それを目の前の人物にぶつけてみたところで、不機嫌になるだけだということは目に見えている。
 疑問に疑問で返すのは自殺行為にも等しい。
 先ほどの問いかけも、まだ彼の人にとって許容範囲だとわかっていたから返したに過ぎない。
 それがわかるくらいには側にいた。だから、わかる。
 返答に余計に困ってしまい、私は眉を寄せる。
 笑う、ということ。

「……呂布殿。」
「ナンダ。」
「私は明確な答えを返すことが出来ませんが……それは、身の内から溢れ出すものなのですよ。」

 どんな意味合いであれ。
 どんな笑い方であれ、作り物でなければ笑うというものは自然と溢れ出すもの。
 感情の赴くままにだ。感情が引き金となる表情は大抵そんなものだ。
 身の奥のほう、鼓動とともに息づくもの。
 心、と言わなかったのはわざとだ。

 目の前のこの人は、ひとのこころ、を理解出来ていない。
 理解できていないものを引き合いに出すことは出来ないから。

「身?」
「はい。」
「………デハ、」

 どうして、お前は俺といると、笑うのだ?

 大真面目でそう問いかけられた。
 私は思わず言葉を失ってしまう。
 どうして、だなんて。そんなこと、決まり切った話だというのに。

 しかし答えないわけにも行かず、思わず赤くなる頬を片手で隠しながらも、なんとか視線を逸らしながら言葉を紡ぐ。

「……………嬉しい、からですよ。」
「嬉シイ?」
「はい。」

 こういうことを本人を目の前にして口にするのは恥ずかしい。いっそ、穴でも掘ってそこに埋まりたいくらいだ。
 それでも、きっとこの人は答えを聞かなければ満足しないだろうし、わかってもくれないのだろう。そしてもう一度、顔を上げて口を開く。

「…嬉シ、イ…ノカ?」
「ええ。」

 頷いて答えると、彼の人は不思議そうに目を瞬かせて、ことり、と首を傾げた。
 その様子はまるで幼子のようで……こんなに大きな幼子など、いるわけないのだけれど……私は思わず、口元を綻ばせていた。

「ソウカ。」
「はい。」
「……俺モ、嬉シイ。」

 お前と同じだな、とそう言って笑う。
 その顔があまりに嬉しそうで、私は益々、笑ってしまっていた。

 すると、彼がまた、おかしそうに笑った。

「本当ダナ、張遼。」
「は?」
「笑ウノハ、勝手ニナル。」

 はじめて知ったと、あなたは言った。
 言いながら、あなたはまた、











『いとしきみへ。』


 どちらから先に、なんてことは、覚えていない。

 覚えていないということは、それが至極どうでも良いことだったからであろう。
 それとも自然とそうなっていたから、覚える必要もなかったということなのか。
 ただ、触れていた。気がつけば、それが当たり前のように、自然の成り行きそのままのように。
 
 触れた指先。
 触れる体温。
 伝わってくるもの。
 
 それは自分とは違う、もの。

 どちらが先だったかなんて、そんなことは覚えていない。
 ただ、気がつけば触れていた。
 触れられていた。

 不器用な指先が辿々しく、自分の頬を撫でる感触も覚えている。
 その静かな瞳を見つめながら自ら手を伸ばして頬を撫でたことも、覚えている。
 
 気がつけば、触れていた。

 そしてもう、触れればどうなるのか、なんて。
 知っていた。
 わかってもいた。

 もう、後戻り出来ないことも、この目の前のひとを丸ごと受け入れ、自分をさらけ出すということも、全部、知っていた。

 それでも止められなかった。

 触れずにいられるはずなどない。
 この指先は、気がつけばすでに触れていた。
 どちらが先だったのかを思い出せないほどに、自然なもので。

 どちらが先だったのか、なんていうのはとっても些細なこと。

 どちらが先なのかを思い出せないくらいに、自然に。
 極々、自然に、触れていた。

 胸に沸き上がる感情に抗う術など、私は知らなかった。どうでもいいような気がして、知ろうともしなかったのだ。









『君、死ニタモウコトナカレ』


「忘れません。」

 忘れてしまえ

「けっして、忘れはしません。」

 忘れてしまえばいい。
 俺はそれを望まないし、お前に覚えていて欲しいとも思っていない。

「けして。」

 覚えていたとしても、辛くなるだけなのだというのであれば、
 いっそ、忘れてしまえばいい。

「けして…!!」

 そうしてお前は、辛い思い出だけを携えていくのだろう? 今まで積み重ねてきたものすべてをそれへと挿げ替えて。

 うれしいこともあった。
 たのしいとおもうことも。
 わらいあってことも。
 かたりあったこともあっただろう。

「どうか、」

 なのにお前は、俺をあいしてくれたこともぜんぶ、辛い何かへと置き換えてしまうのだろう?
 なら、いい。
 そのほうが、俺はかなしい。

 かなしい。かなしい。かなしい。かな、しい。

「……………あなたを、忘れさせないでください……    !!」

 つらい。くるしい。
 それはみんな、お前が俺に与えたもの。だから、俺はそれを望まない。

(君よ。私は、あなたのこころの死を、願いはしない。)

 望まない。

(願うならば、ただ、ひとつだけ。だからどうか、心が死んでしまう前にすべてを )










『陽の当たる場所。』


 よく陽の当たる暖かい場所には猫が寄ってくるとか、そんなことが言われたりなんかしています。
 そりゃ、暖かい場所はひなたぼっこには最適です。
 ぽかぽかとした陽気は体に優しくて、つい眠りに落ちてしまいそうになってしまいます。

 それはわかります。
 わかって、いるのですけど。

「……どうしてお前達は私のまわりに集まってくるのかなぁ……」

 思わず曹昂は苦笑を浮かべてしまう。
 そうでなくたって、今の状況には本当に笑うしかない。

 右肩に曹植が頭を乗せていて。
 左肩に曹彰がもたれかかっていて。
 膝の上に曹沖が小さな寝息をたて。
 極めつけに、背中に曹丕が瞼を閉じたまま微動だにしない。

「お前達、寝苦しくないのかい?」

 しかも揃いも揃って寄りかかって眠っている(倉敍は、枕にしているような状況)のだ。
 始めに来たのは誰だったかなぁ、などと思い出す。
 思い出してみると、確か曹沖だった。
 ここのところ寝不足みたいで、目の下に隈なんて作っていたら少しだけ休むように促したのだ。
 すると、だったら兄上の膝を貸してください、なんて言い出すから。
 枕がなくて眠れない。
 でも、兄上の膝だったら……
 まあそのくらいで弟の寝不足が治るならお安いものだ。だから膝を貸したのだ。
 すると曹沖が寝息を立て始めたくらいに曹彰と曹植が揃ってやって来て、ずるい! なんて言い出した。
 そのままあれよあれよと言う間に二人が両肩に寄りかかってきて、うんうん唸っていたら(動けない)、さらに曹丕がやって来て………

 何故かその光景を見つけた曹丕の眉間の皺が濃くなって、兄上。背中を借りるぞ。なんて言い出したりして。
 あとはもうこちらの話も聞かずに目を閉じてしまったのだ。

「…………私は枕なのかなぁ?」
 
 眠っている弟たちに向けて恨み言のように呟いてみた。
 誰も答えてくれなかったのだけど、言わなければやっていられない。
 小さく曹昴は溜息をついた。
 本当に、大きくなったのに、みんなどこか子供の頃と変わらないのだから。

 ……根本的な話として、全員が長兄に構って欲しくてやっているのだということを、彼自身はまったくもって自覚していないのだけれど。

 まあ仕方ないよね、と曹昂がついに諦めの境地に達し、仕方なく庭の様子をぼんやりと眺めることにした。
 
「兄様たち!」

 しばらくして、高らかな怒鳴り声が魏の城、中庭の一角に響き渡った。
 その声で眠りこけていた曹彰が、

「んあっ!」

 と、声を上げて飛び起き、同じく完全に熟睡に入っていた曹沖が片目を擦りながら寝ぼけ眼であたりを見回す。
 ただ目を閉じていただけの曹植と曹丕は、瞼を開けて前方を見た。
 すなわち、腰に手を当てて、怒りの形相で仁王立ちしている曹皇后のほうへ、である。
 仁王立ち。しかも表情は普段の彼女からは考えられないほど怒りに満ちていた。
 背後に毒々しい気配を背負い、愛らしい表情など裸足で逃げ出すような気をバリバリに放っている。

「せ、節……?」

 そんな彼女を前に、曹昂はしどろもどろだ。
 未だかつてこんなに怒っている彼女を前にしたことがあまりないので(過去に幾度かあるらしい)、おっかなびっくりである。

「何をしていらしゃるんです……?」

 口調はまだ礼儀正しいが、大地の底からはい上がるような薄ら寒いものを含んでいる。
 赤子が聞いたら失神して泡を吹いてしまいそうになるくらい恐ろしい。
 実際、そんな彼女を目の前にしている曹植と曹沖は手に手を取って後退し、曹彰は曹昴の背後(曹丕の後ろ)に隠れてしまっている。
 曹丕は我関せずで肩の骨を動かしているが、そんなことはおいといて。

「いつまでも兄弟揃って戻っていらっしゃらないから、皆さん、心配しているというのに……!」

 もしかして拐かされたのではないかと女官達など大わらわだ。
 なのに、
 なのに、なのに、

 ふるふると彼女は怒りに細い両肩を奮わせている。
 しかし、間違えてはいけない。
 背後に夜叉像など見えそうな気配があるのだ。心配するよりも先に、曹昂もあまりの事態に何が起こっているのか理解できずにいる。

「揃いも揃って昂兄様に甘えてべったりなんて、どういう了見をしていらっしゃるのですかーーーーー!!!!」

 どっかん!
 
 まさにその擬音に相応しく、節ちゃんの雷が落ちた。
 ちなみに特大。当たると痛いどころか、当たると瀕死のダメージを受ける。

 普段は水計を使っているのに、もしかして落雷も打てるようになったりするのかな、なんて曹昂はそんなことをぼんやりと考えていた。

(以降、現実逃避のため、削除なのです。)










『ご帰還です!』


 長い遠征であった。

 たかが君主同士の戯れ。
 しかしながら三国どころか、他の勢力まで絡んだ大決戦ともなれば、長い戦いになることは明白であった。
 魏の国から出陣を申し渡されたトウ艾も、随分と長い間、戦場に立っていた。
 戦線に立ち、陣を巡らせ、策を使う。
 稀代の軍師である司馬家の秘蔵っ子。そして今や魏の国の中でも頭角を現しているトウ艾は、どこの戦場でも引っ張りだこであったせいもある。

 魏の国。
 その主国となる城の門をくぐれば、わき上がる歓声とともに出迎えられた。

 色とりどりの花々が舞い上がる。

 風に乗って視界を埋め尽くす勢いで、赤や黄色、白に青、紫に桃色。
 そんな数え切れない花弁が、風に舞っていた。
 その舞い上がる花々をトウ艾は黙って見上げている。

 ………トウ艾!

 その時だ。
 聞こえてきた声に、トウ艾は馬の足を止めさせた。
 急いで振り返ると間髪入れずに、ぴょんっと、腕の中に飛び込んでくる一つの塊。ぽすん、と腕の中に反射的に抱き込むと、その独特の小ささに目を丸くした。

「呂、将軍……」

 オウ。

 名を呼ぶと、顔を上げてニカリ、と歯を見せて呂布が笑う。

 遅カッタナ。

 その声が少し聞かなかっただけだというのに、随分と懐かしいような気がしてトウ艾は唇の端を不器用に持ち上げる。

「……呉との…戦で……少し、手こずり、ました…から。」

 先に戦を終わらせて帰ることになった呂布とは違い、最終決戦までもつれ込んだ呉の「大軍師」との争いは、三日三晩どころか、一週間ほどの長期戦にもつれ込んだのだ。
 よく見ると、少しスッと尖った印象になったトウ艾の細い顎を見た呂布が、言葉を止めて見つめてくる。
 それでもトウ艾は、疲れた表情を極力見せないようにしながら、言葉を続ける。

「ただいま、戻り…ました……」

 ン。

 こくりと頷きながら、呂布がゆっくりと手を伸ばす。
 伸ばしたその先にあるトウ艾の顎の先へと指先を当てて、確かめるようにして動かした。

 ただいま、と言われたのならば。

 ……オカエリ。

 そう返すのが必要だろう、と呂布は思った。
 その言葉を聞いたトウ艾の瞳が、一瞬、丸くなって、それから蕩けるようにして唇が緩む。

「…はい…」

 緩んだ唇から、目を細めて、そのまま顔に笑みが刻まれる。

「……ただいま。」










『君が紡ぐ物語。』(元ネタがあります。わかった人は同志!!)


 ―部屋の外には、雨が降ってるんだ。

「………もうずっと雨ばかりで、三日前からそうだったから君は子文と喧嘩してたりもしてた。」

 くすり、と微笑む声が、

「子建はそれを見て大声で泣いて、
 私は仕事をしてるはずなのに、いつのまにかお前達の仲裁に入っているんだ。」

 声が、聞こえる。

 二人は向かい合って立っていた。
 足下には何もない。
 前後左右。
 どこを見てもどこが何かわからない。

「雨の日にはいつも一緒だった。
 遊びには行けないから、私の執務室にはいつだってお前達の玩具が転がっていて、私はあやうく積み木で転んでしまいそうにもなったんだよ?
 仕事をしようと思ったんだけど、子文はつまんない、って言って後ろから抱きついてきて。
 子建は大人しかったけど、本を持って私のほうをずーっと見ているんだ。
 お前は、」

 優しい眼差しは変わることなんてない。
 包み込むような柔らかな目元。
 笑う唇はうっすらと三日月型で、少しだけ白い色を覗かせている。

「お前は、私の背中に寄りかかるから、私は動けなくって困ったものだったね。」

 穏やかに紡がれる。
 過去の光景が、色鮮やかに蘇っては消えていく。

「そのうち、」

 ―雨が、上がるんだ。

 そう言って彼は嬉しそうに微笑んだ。
 三日月の形をした唇が解かれ、こぼれる吐息はその感情を堪えきれなくなってしまって熱く、落ちる。

「玩具を全部片付けて。
 本は山積みにして。
 私はまだ仕事が残っていたはずなのに、お前たちは早く早くと言って、外に連れだそうと腕を引っ張るんだよ。」

 小さな手が二つ。
 それから少しだけ大きな手が一つ。
 曹昂の手を引いて進んでいく。

 その先には、扉がある。

「さぁ、外に行こう。出かけよう、って。」

 開く、扉の先の光が、

「……何故、」
「うん。」
「なぜ、笑っていられるのです!」

 開く扉の先、その前に立って曹昂は笑ったままだった。
 あの頃の優しい眼差しのまま扉を指さしている。

「……また会えるから。」
「……!!」
「また会えるよ。諦めてさえしまわなければね。」

 だから、と言って優しく笑った顔のまま、先へ行くように、と無言の眼差しが語りかけてくる。
 それを首を振って拒否しようとするのだが、眼差しは変わらない。

「だから私はここにいるよ。」
「兄上!!」
「かわりに、君に」
「兄上、待ってください!」

 思わず声を荒げ、手を伸ばす。
 その手を、掴まれた。
 掴んだ手の感触にハッとして目を開けると、ゆっくりと引き寄せられて、そのまま抱きしめられた。
 耳元で、あの懐かしい声が響いている。

「かわりに君に、私の『  』をあげるよ。」

 だからまた、

 そう言って、声は消えていく。静かに、静かに、景色とともに、真っ白になって。










『おさないひ。』


 あにうえ。

 幼子の声が聞こえてきて、庭先にいた少年はその声のほうへと振り返った。
 振り返る先にいるのは、少年のすぐ下の弟。

 しかん。

 名を呼ぶとパタパタと拙い足取りで近寄ってくる。
 それを両手を広げて待っていると、途端に、ぽすん、と胸の中に飛び込んでくる暖かな存在。

 その瞬間。
 ふんわりと甘い香りが鼻腔を擽った。

 あにうえ。
  
 何の香りだろうかと思っているところへ、弟がもう一度呼びかけてくる。
 甘い。
 甘い、匂い。

 あにうえ、はなが

 抱きしめる手を頭のほうへと動かすと、指先にかさりと触れる薄い感触。
 顔を上げると、弟の頭の上に花片が落ちていた。

 芍薬の花が咲いていたんだね。

 淡い色のそれと匂いには覚えがある。
 そう言うと、弟は丸い目をくりくりとさせて、少年の胸から不思議そうに顔を上げた。

 どうしてわかるのですか?

 どうして、って。

 ふふ、とおかしそうに笑う少年。
 抱きしめていた腕を放して、弟の頭の上へと指先を近づける。

 だってね、しかん。
 お前が私に、「春」を教えてくれているからだよ。

 そう言うと、弟は不思議そうに少年を見上げて、それからそっと目を閉じた。
 春の音が聞こえる庭で。
























『なかないせかいと、きみがいるせかい』


すべてが終わろうとしている。
赤く染まる視界のその中で、彼は自分の<死>がすぐそこまできていることを感じ取っていた。
これが自分の役目だと。これこそが家臣として、すべては子としての務めなのだと。
そう覚悟もしている……きちんと覚悟も、していた。
けれど耳の奥のほうで誰かの泣く声が聞こえている。
とても懐かしい、声だ。小さな、小さな、姿。
その瞬間、曹昂は刹那、夢を見る。
思い出すのは庭。
咲き乱れる花々のその下で蹲っている弟の姿。
しかん、と。
声をかけて曹昂が近寄っていく。けれど振り返らない。曹丕はじっとして動かなかった。
そんな曹丕の後ろ姿を見つめながら、曹昂は小さく溜息をつく。
なんて不器用な子だろう。そんなことを思いながらソッと近寄って、腕を伸ばす。
小さな弟は子供だった彼の腕でも抱き上げられるくらい、軽かった。
しかん、
優しく声が響く。
いいんだよ、ここには私しかいないから。
誰にも言わない。これは、私と、しかんの秘密だから。
だから、ないても、いいんだよ?
そう声をかけると押し殺したような嗚咽と、ギュッと肩の布を握りしめる感触がした。
聡明で、人の感情に聡い弟は、人に自分の弱いところをけして見せようとしない。
泣くということがその最たるものであった。
下手で我慢して、心の奥底で傷ついても泣かない弟。
曹昂はそれをとても心配して……そして、自分の側で泣かせるということを決めた。
あやして、甘やかして、秘密に、して。
そうしてようやく、曹丕は泣いてくれる。
それでも声をあげまいとして必至で唇を噛みしめているのがわかるから、困ったように曹昂は苦笑する。
腕の中の暖かな背中を、ぽんぽん、と叩いた。

そこで夢は醒める。
終わりを、感じた。
でも、もしもここで自分が終わってしまったら、あの子はどうなってしまうのだろう。
泣くのがとても下手で、自分の前でしか泣けなかった弟。
出かける前に「帰ってくるよ」と、約束したのに。
しにたくない、と。
曹昂はその時はじめて、強く思った。足掻いた。
それでも終わりの時は確実に近づいてきている。止められない速度で、そこまできていて。

「………しかん、」

それが『さいご』だった。全部全部、おわってしまった。




【追記】
 最初は遼呂遼で、そのあとに曹家、んでもってケ艾と呂布。
 まあ、何はともあれ雑多ですね。
 雑食性とはよく言われますが、よくもまあといった感じです。

 遼呂遼は甘かったり辛かったり色々としていますな。 曹家もそんな感じですけど。

 曹丕と曹昂はカップリング的には大好物(兄弟ものとか)だったのでこの頃(書いてる当時)からよく出しています。
 曹家の皆さんも書いていて凄く楽しい。
 よろずが出始めているのはトウ艾と呂布あたりからだったんですが、曹家の人々を書くようになって幅がさらに広がりましたね。
 後悔はしていません。反省はちょっとしています(なんぞそれ)