あの茹だるような暑さを孕んだ夏から季節は過ぎ、自分のまわりでも多少なりとした変化があったと、御堂筋は感じていた。
髪が伸びた。元々、髪型に関して言えばこだわりなど無きに等しく、割と頻繁に変えていたのだが坊主頭は中々手入れが面倒だという話を聞いたので、今では元の髪型に戻している。
それに、彼が所属している京伏メンバーも三年の引退を経て多少なりとメンバーの入れ替えが行われた。よく見る顔ぶれが変わったとは言え、レースに向けての練習などでの変更点は少ない。それに、引退したはずの石垣も忙しい受験勉強の合間に何くれと無く部のほうに顔を出していて、変化らしい変化があるのを忘れることだって、あった。
窓の外から見える季節も変わった。
割れた歯も治している。
ただ、それ以外の大きな変化、多少の『多』のほうに当てはまるであろう変化は御堂筋のなかでもかなりのものとなっていた。
携帯を扱う機会が夏から増えた(彼にしては、という注釈はつくにしても)。京伏メンバー内での連絡メールの他に、別の相手とのメールをすることが多くなったのだ。電話の回数も同じくで、メールの回数に比例するようにして増えているのが自分でもわかる程度にだ。
その相手というのは割と決まっていて、様々な転換期となった夏のレースから露骨に増えていた。
…………自身の携帯に追加された新しいアドレス(夏から冬にかけて『新しく』はなくなったのだろうが)によって交わされる交流。
それは、自身と浅からぬ縁となった総北の小野田坂道のものだ。
何が切欠となってアドレスが交わされたのかは、実は御堂筋もよく覚えていない。
気がついたら小野田のアドレスが携帯のなかに追加されていたのだ。間抜けにもそれに気付いたのは小野田からメールが届いたときという状況だった。ちなみに、小野田のほうもいつの間にか自分のアドレスが携帯に登録されていてビックリしたらしい。最初に送られてっきたメールの内容がそれに関するものだったので間違いない。
もしかして間違って登録したんじゃないか、という文面もあるにはあったが、それとは裏腹に自分のアドレスが知れて嬉しい、ともそこには書かれていた。
…………間違って登録した。消してくれ、と言われたらどうするつもりだったのだろうか、と御堂筋はそれを読みながら思った。
そもそもいつ登録し、あるいは交換したのかも覚えていないという不可解な状況下であるのだが、それでも消せとは彼は返さなかった。
代わりに、短い文章を返すようになった。
なぜ? と問われれば、なんとなくとしか返さないだろう。
気まぐれに、なんとなく。
それから小野田から御堂筋の元へ、何くれとなくメールが舞い込んでくるようになった。
内容と言えば二人の共通項でもある自転車のことに起因して、タイムが縮んだだの、久しぶりに落車してしまっただの(運良く擦り傷程度で済んだとのこと)、近況報告のようなことが綴られている。
たまに、誰々と一緒に走った!(……)と、やたらと浮かれた文面が書かれていることもあった。絵文字まで使っていたので浮かれ具合が如実に伝わってくるようだった。御堂筋とのやりとりでは顔文字を使うくらいで(それもどうかと)、絵文字は中々使わないので印象に残るものとなる。
ロードに関して言えば敵同士でもある自分へ情報提供のような真似をして何をしているのかとも御堂筋は少しだけ思いはした。思いはしたが、指摘しても無駄なような気がしてやめた。
あとはアニメのことも多少なりと。
多少、と表現したのは、アニメ関連のものになるとメールがわかりやすく長文になり、たまに見ていた話が小野田が言うところの『神展開ktkr!』だったりすると電話がかかってきたりしたからだ。
常の状態で電話をしていると言葉がつまったり何なりするのに、その関連になると途端に饒舌を通り越してマシンガントーク(そして声が大きい)になるのは典型的すぎる。「キモイ」と御堂筋が言うと大人しくはなる。次の電話には忘れてしまう程度なので効果の程は謎だ。
そのせいかおかげかは置いておくとして、小野田の影響で何気なく彼がチェックしている番組に目を通すようになってしまっていた。好みに合わないものは一度見ればどうでもよくなって外すこともあったが、たまに食わず嫌いで内容に目を通しもしなかったもののなかに自分好みのものを見つけたりもするのだ。効果か、あるいは弊害かと言ったところなのか。
他にはどうでもいいようなことが書かれている。
学校で何があったのか、とか、部活仲間と何をしていたのか、テストのこととか、色々とだ。
変化はあった。
劇的に何が変わったというわけではないが、それでも確実に。
ただ、とにもかくにも御堂筋にしては密なやりとりを交わしていることは、彼のおじやおばといった家族には知らぬ間に伝わっていった。
彼らの前で御堂筋が電話口のやりとりをしたこともあったので当たり前かもしれない。
何というか、常ならば自分たちに遠慮して電話をするときは別室に移動したりするのに、そのときの御堂筋は普段通りの仕草で掛かってきた電話に出、離れていても雑音となって聞こえくるほどの相手の声に眉を思いっきり顰めて「煩い。声デカすぎ。ウザイ」と三段活用で辛辣にツッコみながらも、電話を切りもせずに相手の話に耳を傾けていたので余計に印象に残ったのだ。
つまり、自然体で接することが出来るくらいの相手なのか、と。
普段、子どもにしてはいらぬ遠慮をしがちな(仕方ないのかもしれないけれど)御堂筋の『変化』に、おばは大層喜び、だからこそ印象に残す結果となった。
さらに言葉少なな彼から電話の相手とは夏のレースで知り合ったこと。関東圏(千葉)に住んでいること。趣味が共通していることなどを何とか聞き出すことに成功する。
その繋がりか、あるいは甥へのおばなりの配慮だったのか、冬休みに入って家族揃って東京へ出かける用事が出来たときに、彼女は御堂筋へ提案したのだ。
「ちょうど近場に行くんやから、その子と遊んできたらええわ」、と。
言われた御堂筋はと言えば、驚きのあまり絶句してしまった。
いきなりこの人は何を言い出すのかという疑問が頭を過ぎり、そういえば折りを見て小野田のこと(名前などは出さなかったが)を聞かれていたなと思い出し、それが今回の提案の切っ掛けとなったことに気付いて狼狽する。
彼女としては中々会えないであろう御堂筋たちへ顔を合わせられる機会を作ろうという優しい配慮だったのだろう。
世間一般で言うところの『余計なお世話』とも返すことも出来ず、どうするべきかと狼狽える御堂筋を後目に「ほらほら、善は急げや! はよぉその子の予定も聞いといて! あ、東京には何日かおるから会う日は翔くんとその子で話し合って決めるんやで? それから……」などと相手の話す隙間を与えずに言いたいことだけ言ってしまうと、ほな連絡しぃ!と放り出されてしまった次第である。
恐るべしは話を聞かない相手か。しかし慌ただしく家事を片付けながらも御堂筋の話をまだかまだかと待っていることだけは雰囲気で痛いくらいに伝わってくる。
仕方が無いからと諦めの境地で思い、メールで小野田に連絡を取ることにする。
………………どう切り出すかで三十分ほど携帯画面を見ながら思案することになるのだが、それは脇のほうに置いておいてもいいだろう。
そもそも御堂筋から新規でメールを送信すること自体がほとんどない。
いつも小野田のほうからメールが送られてきて、それに返事をし、しなくてもよさそうなものは自然と放っておくのが常だったから尚更だ。
電話のときもそうであり、何と切り出せばいいのかがわからない。
新規作成で真っ白なままのメールの文面に視線を落とし、こんなときは何と誘えばいいのかと一人静かに御堂筋は思い悩む。
表面上はあまり出ていなかったが、なんだか背後に背負ったオーラが悶々としてた、とはそれを偶然見つけた従妹の女の子の談だ。
数十分の後、思案の海から我に返った御堂筋は「なにをこんなアホみたいに悩んどるんや」と自分自身を無理矢理納得させ、一気にメールの文章を打ち込む。簡潔に、自分が冬休みに関東へ行くこと。世話になっているおばから小野田と遊んでおいでと言われていること。そんなことなどを書いた。
勢いというのは大切なものだ。
悩んだところでやらなければならない事柄なら、尚更のこと。
書き上げ、読み返すこともせず(読み返すと消したくなりそうだったので)に、メールを小野田の元へと送信する。
ボタンを押した後、『メールが送信されました』の画面になったのを確かめて御堂筋は息を吐き出して携帯を片付ける。ひどく疲れたような気がした。
「あほらし」
呟きをもらし、さて返事はいつになったら来るかと考え、何気なく視線を落とした携帯の受信ランプが点灯したことに気付いて目を見開く。
次いで、携帯が振動し、間をおいて着信を知らせる音楽が鳴り響く。
メールの受信ではなく、着信だということに僅かな疑問が頭の中で過ぎりながらも御堂筋は無意識に携帯の受信スイッチを押してしまう。
こうなれば勢いで、耳元に携帯をあて「なん?」と声を出したところで、
『御堂筋くん、どこに行く!?』
脈絡も何もあったようなものではない言葉がいきなり鼓膜を激しく揺さぶってくれた。
耳がキィーンと痛くなるような声量で、思わず眉をしかめて反射的に携帯を離した御堂筋には勿論電話越しの小野田は気付いた様子はなく、
『アキバとかかなっ、あ、中野もいいかもしれないねっ! どっちも冬休みに合わせてイベントとかやってるんだよ!! 御堂筋くんはどこ行きたいのっ?』
と、大声で捲し立てている始末だ。
……いつぞやの『脚本家と監督さんマジ神!』と話したとき(過去最大の声量だった。今、それが更新されたわけだ)よりも大きな声だった。御堂筋は携帯から距離を置いていても内容が明瞭にわかるくらいに聞こえてくる声量に思い切り渋い顔をして、しばらく待った。
「大声出すな。携帯越しでも音割れとるし、鼓膜痛いやないか」
彼の息継ぎの合間を狙って耳元から携帯をずらし、電話口に向かって感情を抑えた声でそう告げる。
苛立っているのだと口調と声で存外に伝えれば小野田はたちまち我に返ったらしく、電話口からでもわかるくらいに慌てて返してくる。
『ご、ごめん! つい、大きな声出しちゃった』
今度は配慮してか落とした声に溜息をつきつつ、ずらしていた携帯を耳にあてて御堂筋が口を開く。
「いきなり電話してくるから何かと思うたわ。興奮しすぎや」
『ご、ごめんね』
しゅんとして再度謝罪の言葉を口にしたあと、小野田は黙り込んでしまう。そうなると御堂筋もこれからどう話を続ければいいのかわからずに、自然と互いに沈黙する時間となってしまった。
興奮気味だった小野田の口調に改めて『キモイヤツや』などと幾分失礼なことを思いつつ(口に出しても小野田は怒りもせず、かわりに困ったような顔をするだけなのだろうけれど)、それだけ自分との邂逅を望んだのではないかということを思いつき、御堂筋は微かに声をもらす。
『?』
それが電話口でも聞こえたのだろう。僅かに声を出して疑問符を浮かべる小野田に、「なんでもない」と言って、改めて話を切り出す。
「ともかく」
『う、うん』
「お前の好きにすればええ」
『…………へ』
間抜けな声がしてきたがそれに関しては何の感想も返さず、さらに続ける。
「ボクはそっちの地理に明るうないし、お前のほうがよぉ知っとるはずやからな。任せる」
言外に『どこに行くかは小野田が決めればいい』と含ませれば、小野田は黙り込んでしまう。
脳裏にこぼれ落ちそうなくらいに大きな目と、丸い眼鏡をかけた姿を思い出してしまい、きっと阿呆面をさらしているのだろう、などと簡単に想像できてしまった。
口を半開きにして、こちらを真っ直ぐに見上げている、そんな姿を。
『い、いいの?』
「ええ言うてるやろ」
『う……うん!』
途端に弾むような声で小野田が答えた。
声だけで嬉しそうなのが如実に伝わってくるようで、本当にこいつは同い年なのかという疑問が頭を過ぎる。あまりに純粋に向けられてくる感情は、御堂筋にはないものでどう対処していいのか判断に困るときがあるのだ。
歳を重ねる度に、恥ずかしさなどから隠したり照れたりして相手への好意の類などといった向けるのを躊躇ってしまうようなものを、小野田はあっさりと示す。無垢なまでに真っ直ぐで、自分だけでなくまわりの人間も未だに持っているものは少ないだろうから、どうしていいのか判断しかねるものばかりだ。
『そういえば冬休みのいつから来るの? 冬休みの始まる日はボクと同じなのはわかってるけど……』
「なんでそんなん知っとるん」
『前、メールで御堂筋くんが教えてくれたから』
そういえばそんなことを話題にしていたような気がすると思い返しながら、とりあえず関東に行くのは冬休みが始まってすぐあたりからだということ。そこから年末くらいまではいるということなどを御堂筋は告げる。
小野田のほうは部活はあるが事前に申請しておけば休んでも大丈夫だから、御堂筋の一番都合が合う日でいいよ、と返し、ならばと二人が会う日と時間を決めていく。
場所はやはりというか、秋葉原になった。
ついでに、御堂筋が移動の関係上持っていけないからと、小野田が自転車で行くことをやめることにする。
「相変わらず今も自転車でそこまで行っとるんやな」
『あははは……うん、癖みたいなものだし。でも、今はトレーニングも兼ねてるんだよ。もっと遠くまで走ることもあるけど』
「ふぅん」
二人が会う日は、クリスマスを過ぎたあたりである意味で秋葉原が冬休みの間で言えば落ち着いた期間となるはずだと小野田は重ねて告げる。
それでも平日よりは余程人は多いだろう。
人が多い中を歩くのは億劫だが、今更予定を変更したいとも言いだす気は無い。
『じゃあ、もっと詳しいことはまたメールで連絡するね』
「わかった。ほな」
『うん、じゃあね』
楽しみにしてるからっ、と最後に付け足して小野田からの連絡は終わった。
ツーツー、という無機質な音を聞きながら、御堂筋も携帯を離してオフのスイッチを押す。
そこから虚空を見つめしばし空白の面持ちで惰性から息を吐き出した。
「……遊ぶことになってしもた」
おばからの半ば強引なススメがあったとは言え、自分からの誘いに小野田がこれほど早く返事をかえしてくるとは思いもしなかった御堂筋は嵐のように過ぎ去った時間を徒然と思い返すことになる。
とにかく、相手からの了承は貰えたのだからとフラフラと(わかりづらいのだが、フラフラしていた)おばの元へと御堂筋が報告に行くと、彼女はやたらと嬉しそうに「そう、やったやないの!」とハイテンションになってしまった。
何をそんなに喜ぶことがあるのかと御堂筋は内心首を傾げるか、あるいは溜息をつきたい気分になったがそれをおくびにも出さずに、「じゃあ翔くんの服とか見繕わなあかんな! ちゃんとした格好せんと嫌われてまうで!」と言い始めたおばを残してその場を離れることにする。
何か不吉な単語が聞こえたような気がしたが、気にしてはいけないような警告めいたものを自身の中に感じて御堂筋はおばの後ろ姿から離れたのだ。
自室に戻り、ドアを閉めると今まで感じたこともないような種類の疲労を感じて、木製の扉に背を預けてズルズルとその場に座り込む。
「………………はぁ」
溜息がもれた。
疲労感はぬぐい取れず、未だに自分の中にくすぶっているようで何とも座りが悪い。
ちらりと手元を見れば、ずっと握りしめたままだった携帯がそこにあった。
「おかしなことになってもぅたな」
自分で今更言うのもおかしな話だが、それでも御堂筋は独り言をやめるつもりはなかった。自然と滑り落ちるがままに任せて言葉を紡いでいく。
おばの思いつき(そうとしか思えない)で関東くんだりまで行って、小野田と顔を合わせることになった。
思い返せば件の人物と会うのは、あの夏以来のことになる。
数ヶ月の月日で何が変わるというわけでもない。
妙な縁で始まった連絡の交換もしていたし、その間、小野田はあの時のままの反応で別段劇的な変化らしいものはなかったから尚更だ。
そこで唐突に、御堂筋は気付いた。
「……そういえば、ふたりきりでボク、何の話すればええの」
呟きは自身の呆然の大きさと比較して思わず出てしまったものでもあった。
御堂筋は他人との『普通』に慣れていない面がある。
それは彼がこれまで気付いた実直とも、あるいは偏屈とも揶揄されてしまうような勝利への真っ直ぐすぎる……自分自身とそれ以外のものに対しての線引きが生み出した産物とも言えるような代物だった。
年頃のこどもたちが普通に重ねるような交流がなかった。
自分から排除している面も強かったし、そんな御堂筋をまわりも遠巻きにしていたせいもある。
京伏の面々とはそんなプライベートな会話をすることはなかった。
絶対しない、というわけではない。それでもまわりと比べれば驚くほどに回数は少ないはずだ。
必要ない、と切って捨てていた部分も強い。
だからこそ、小野田とふたりだけで出かけたとして、何を話せばいいのかがわからない。
二人の共通項でもあるものの話をすればいいのかもしれない。
だが、どれを話せばいいのかが想像もできない。
気付いた事態に御堂筋は固まった。
こんな姿、誰かに見せられるような代物ではない。
気にせずにいればそれですむ話なのかもしれないが、このとき、なぜかそのことが御堂筋の脳裏に重くのし掛かった。それを無視することがとても出来ないような重さでだ。
(どうしてそこまで気になるのか。どうしてそれほどに重くなるのか。
その意味を、彼はまだ気付かないままで)
1と10−=心の距離として、−