彼の手は魔法を生み出す。
そう、どこかの誰かが彼の小さな両手を評したことがあるのを、ぼんやりと思い出す。
魔法のよう。
それはなんてありきたりで、陳腐な言葉だろう。
魔法だなんて、そんなもので片づけないでほしい。彼のあの手は、あの指から次々と生み出される料理の数々は、魔法なのではなく、彼がこれまで培ってきた努力と修練の賜物で、あるのだから。
まあ、でも。
そうは思っても、確かに食材を使って生み出され、できあがっていく料理は確かに、魔法と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
ひとくくりで片付けるなと言いながら、これでは他人のことをとやかく言える筋合いではないか、と苦笑が漏れた。幸い、彼には気付かれていない。
茹で上がり、ホカホカの暖かい湯気を立てる生パスタ。そこに添えられるために作られた、何種類かのソース。定番のものばかりだが、どれも色鮮やかで、食欲をそそる匂いを浮かべている。
パスタはどこで手に入れたのかと問えば、今日来るのがわかっていたから作りましたと、あっさりと返された。
この種類を用意するだけでも手間がかかるだろうに、さらにパスタまで手作りだとは。
それでも何でもないことのように彼は笑っている。
彼の調理能力には、ただ驚かされるばかりだ。
さらにその横で、磨かれた白い食器の中にスープがそそぎ込まれていく。黄金の、コンソメスープ。
それだけでもうお腹がぐぅ、とその存在を主張した。
早く味わいたくてたまらないのを、涼しい顔で気づかせないようにするのが精一杯だった。
そのくらいは、したい。
お腹を空かせて待っているのがバレるだなんて、どこかの食いしん坊でもあるまいし。
リビングのテーブルの上に食器を並べるのを細々と手伝っていると、お客様なんだからそんなことしなくてもいいのに、と彼は苦笑を浮かべていった。
お客様という単語が少し悲しい。
よそよそしさを感じるのに、それをうまく伝える術を持たないことに気づいて、代わりに、自分が邪魔なのかと返してみる。
案の定慌てて、そんなことないです! と力一杯返してくれる彼に堪えきれずに吹き出してしまった。
その途端、恨めしそうに唇をとがらせた彼に、笑みが止まらないまでも謝ることに徹した。
それからまた、手伝いを再開する。
今度は彼も何も言わなかった。
テーブルの上にすべてを並び終えると、本当はもっと作りたかったんですけど、と彼は言った。
これだけでも十分だったし、昼食に邪魔してしまったのは自分のほうなのだ。
それは変わらぬ本心で、偽りのないものだ。
それを隠さず告げると、彼は嬉しそうに笑った。
笑う顔が、子供のように幼い、純粋さで溢れている。眩しいと思ったのは、今だけではない。
賞賛は、本音だ。
そこに嘘偽りや、おべっかなんていう無粋なものもない。
何より、自分だけではない、ほかの人間も彼のことを認めているのだ。あの品はないが味覚は破格のトリコや、偏食で融通の利かないサニーまでも、そのことをちゃんと知っている。
だからこそ彼はその小さな、それでいて大きな手を誇っていいはずなのに、いつまでもそれをしようとしない。
そのことが歯がゆくもある。
ただ、自信みなぎる彼を想像しづらいというのも、本音のひとつだった。
食と料理への飽くなき探求心こそが、彼の技術を向上させている要因のひとつにもなっているのだから。
二人向かい合って座り、いただきます、と手を合わせる。
スープを一口掬い上げて、口元へと運ぶ。
どうですか? と不安そうに問いかける彼に、おいしいよ、と笑顔で返した。
すると安堵したように声を上げ、彼もまた自分の料理を口にしていく。
もっちりとした触感の生パスタに、順番に少しずつソースをかけて口にしながら、視線を感じて顔を気づかれない程度に上げると、彼がこちらを見て嬉しそうに笑っていることに気がついた。
笑っているのは、どうしてなんだろうと思い、それからああ、と自分で気がついた。
食べてもらえるのが、嬉しいのだろう。
彼の料理は、彼の思いで溢れている。
あたたかで、純粋で、何より、とても美味しい。
それを一言で言い表すにはどうしたらいいのかと考えたところで、とっておきのものがあるじゃないかと気がつく。
彼の料理は、いとしい、と。
愛しい、ただそれだけ
title:『愛しいきみと』 直青