そもそも。
 城下の人間たちは、自分たちを見下ろすように建っている城に、この世のものとは思えない美しい獣が住まうことを知っていました。
 しかしむやみやたらにそこに近づいたり、街人以外の人間たちに言い触らすようなこともしなかったため、他の地に住まう人々が知ることはありませんでした。
 暗黙のうちに取り交わされた不可侵でもあります。
 獣は城下に住まう人間たちに関わろうともしませんでしたが、かわりに危害を加えることもありません。その必要性がなかった、とも言えます。
 しかし出生はどうあれ自分たちを統治する……サニーは、そういう立場の生まれでした……『人種』である相手にわざわざ反抗しようとする酔狂な人間もいませんでした。サニーは関わりを持たないという姿勢を貫き、暴利を働くようなこともしないという、ある意味で出来た統治者であったため、なおのことでした。
 それこそが不可侵。
 自分と美しいもの以外には興味がないサニーと、自分たちの生活さえ守られればそれで構わない街人たちとの、利害が一致したという結果から生じたものでもあります。
 ……なにより、サニーは街を脅かそうという輩を(それが獰猛な化け物相手であれ、人間の軍隊相手であれ平等に)ことごとくを返り討ちにしていたのです。
 サニーにとって、それは自分の持ち物を他人に勝手にされたくはない。興味はないが、好きにされてはおもしろくないというエゴの元に行われた部分も大きいが、それでも自分たちの生活を守ってくれるのであれば理由や大本がどうあれ、結果がすべてだという部分もありました。
 サニーもまた、自分に干渉してこない人々を、あえてどうこうするつもりもなく、イビツながらも両者は不文律の関係を続けることになります。
 それは長く変わらないものでした。
 これからも変わらない、と、サニーもそう思っていました。
 けれどある日、その『不文律』は唐突に打ち破られることになるのです。

 それをもたらしたのは、もちろん、小松でした。
 ある日、何の前触れもなく、彼はサニーの目の前に姿を現しました。
 人間が誰一人として寄りつこうとしない城。
 高く張り巡らされた城壁を、その小さな体でどう飛び越えたのかはわかりません。それでも、小松はある日突然、サニーの前にやってきたのです。
 城の中に作られた中庭。
 そこは手入れも行き届き、大理石で作られた石像が華美にならない程度に、それでも見栄えとを考えられて作られたそこで、目に映る景色を彼が何気なく移していたときのこと。
 静かで優雅な昼下がり。
 その静寂を破ったのは、彼の特徴的すぎる悲鳴でした。

 …………ゃぁぁぁぁぁぁぁぁ……

「……ぁん?」

 耳にしたとても品の良いとは言えない悲鳴に、調和の取れた景色に満足とともに浸っていたサニーは訝しげに眉を寄せます。
 秀麗な顔が不機嫌さとともに歪められ、声のしたほうへと視線を向けます。
 それは、上から聞こえてきました。
 ……上? と、サニーが顎をあげてみれば、ちょうど悲鳴の主こと小松が落ちてくるところとかち合います。
 そう、彼は落ちてきたのです。
 上に向けられていた視線が、落ちる光景と悲鳴とともに下へとさがり、どさり、という音が響きました。
 文字通りの意味で降ってきた珍客に、サニーは目を見開きます。
 体が自然に警戒態勢になり構えを取りましたが、上から落ちてきたこと、目に映ったのが小男であること……なにより、今まさにごろごろと落下の痛みで転がっている小松をみて、警戒心はあっても間抜けな姿に呆れの胸のうちにあったのです。
 サニーは無言のまま、小松を見極める意味も込めて相手の出方を見ます。

(…………見れば見るほど、美しさの欠片もねぇんだけどな)

 感じる気配も強いとは言えないものです。
 巧妙に隠しているのかとも一瞬考えましたが、それにしては今感じるものがお粗末すぎました。
 判断に迷っていたサニーを、痛みをようやく堪えたらしい小松が涙目のまま視線をあげて見ます。

(うわ、見れば見るほど品のネェ顔)

 大きい鼻に、美醜で言えば十人並みをさらに下まわるような顔の造形。
 それでもサニーはなぜか目を離すことが出来ませんでした。

 サニーを見つめる大きな目が、こぼれ落ちそうなくらいに真っ直ぐな瞳とともに、こちらを見ているのです。

(……底が、しれねぇ、のか?)

 疑問系になったのはどうしてなのかはわかりません。
 けれどサニーは裏表のないその目に、なぜか底知れないものを感じました。
 しばし二人は互いを見つめます。
 惚けたような顔をしていたほうと、顔をしかめたサニーというほうという対比はありましたが、それを打ち破ったのは前者でした。

「…………ぁっ!」

 積めていた息を吐き出す声とともに、小松の顔に歓喜の感情が瞬時に浮かび上がります。

「          た、」

 感極まったようにして絞り出す言葉がなにを示すのか、サニーにはわかりませんでした。何を言ったのかも、わかりません。
 考える間もなく弾かれるようにして小松が立ち上がったからです。そのままあっという間に距離を積め、小松がサニーの側へと走りより、手を伸ばします。
 その早さ、迷いのなさは、サニーがとっさに状況を理解できずに硬直してしまうほどの想像外の動きでした。
 伸ばされた小さな指先がサニーの髪に触れ、頬に触れます。
 自分以外の体温を感じたのはいつ以来でしょう。
 仄かな高い他者の体温は、電撃のような衝撃をサニーに与えました。

「…………やっぱり、キレイ、だなぁ」

 言葉を無くすサニーを見つめ、小松はようやく彼にも理解できる言葉を呟きます。
 ほぉ、とため息をつく音。

「っ……!」

 それを聞いたサニーがようやく我に返りました。

 バンっと、音を立てて触れていた小松の手をたたき落とします。

「……勝手に触んな」

 痛みと、サニーにたたき落とされたということを理解できていないのか、丸くなった瞳と驚愕の表情を浮かべる小松に、サニーは厳しい目で口を開きます。
 底知れない冷たい声に小松の体がビクンッと大きく竦みました。
 小松の動きが完全に止まったのを見計らって、サニーはその場から一息に跳躍し、庭の大きな木の枝の上に降り立ちました。本来なら自分の許しもなく城に侵入した小松を断罪すべきだとも考えましたが、先に目にした真っ直ぐすぎる目を思い出してしまい、そんな気分になれずにいました。

「一度しか言わねぇ、去れ。ここはオレのもんだ」

 暗に、去らねば排除すると含ませて告げます。
 姿を消した……小松側の認識からすれば、サニーの姿は突然目の前から消え失せたようなものだったので……相手の声に小松もハッと我を取り戻した。

「あ、あ、あの!」

 ですが、そんな彼の口から出たのは、

「ボ、ボク、あなたに会いに来たんです!」
「………………ハァ?」

 続け様の、予想外な言葉でした。
 言葉の内容に関しては含むものは感じられませんでした。恐らく、言葉そのままの意味で小松はサニーに会いに来ただけなのでしょう。
 キョロキョロとあたりを見回しながら小松はさらに続けました。

「何の許可もなく入っちゃったのはすみませんでした!
 一応、許可は貰おうかと思ったんですけど、このお城、城壁はあっても門もなくて話を取り次いでくれそうな人もいなかったので……」

 誰も入れるつもりはないので、この城には門はありません。
 入る場所はなく(サニーは壁を難無く飛び越えることで事足りたので)、門がないので門番を置く理由もなく、さらに言えばこの城にはサニーを含めて『人間』がいません。

「…………会いに、来ただって?」
「はい!」

 疑問とともに言葉を落とせば、小松は勢いよく頷いて肯定しました。
 その瞳と表情に嘘はひとつとして含まれていません。

(なら、なんでオレに会いたいんだ?)

 しかし疑問がなくなるわけではありませんでした。
 サニーに会いに来たというのであれば、その理由が何なのかわからないのです。

(大方、オレの噂でも聞いてやって来たんだろうけどな)

 先にも上げたように、サニーのことは統治している城下以外では知られることはあまりありませんでした。
 それでも、噂がないわけでもなかったのです。
 人の口に戸をするのは、とても難しいものです。
 しかしサニーは元々、自分ことが人々の口から出されるのを禁止したわけではありません。
 彼はあくまでも、人々とは関わらないことを前提としていたからです。

 無論、興味本位で近づいて来た……この場合は、門のない城壁によって引き返すことが大抵だったので、どうでもいい相手でした。あるいは、獣を、ひいてはサニーを倒して名を上げようとした輩もいましたが、この手の不届きものに関してはことごとくを返り討ちにしていました。
 話はズレましたが、つまるところ、小松もその手と同じ……前者の、興味本位でここにやって来たのだろうと、サニーは当たりをつけました。





(……そう、この時、彼は本人にその真意を聞くことをしなかったのです。
 当たりをつけて予想しました。それ以外の理由を考えつかなかった、という内情もありましたが、それはつまるところ、彼もまた『勝手に』相手を値踏みしたも同然でした。
 そしてそれを彼は後々後悔することになりますが……それはまた、こことは別の話です)





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