人知れぬ地球の果て。
 そこは何処とも知れぬ場所。
 美食會の幹部数名のみがその場所を知るという、組織のボスが鎮座する最深部。
 巨大なテーブルには堆く詰まれた料理の数々。しかしそれが下品と映らない絶妙な加減でテーブルの上に所狭しと並べられている。
 ひとつひとつを手に取り、しかし普通では考えられないようなスピードによって淡々とカラの食器を生みだしていく主の姿があった。
 しかし、その姿は背を向けているために顔を見ることが出来ない。
 かわりに、なびく漆黒の黒髪と滲み出るような異質な威圧感がその身から流れ出していることがわかるのだ。
 もし常人がこの場にいれば直ぐさま凝固するか、震えて失神するかしか出来ないような異質な空気でもあった。わけもわからず土下座する者もいるのかもしれない。顔すら見えていないにもかかわらず、背を向けられているだけで途方もないプレッシャーが感じられる。
 そのテーブルに向かってアルファロは料理を手に近づいていっていた。
 彼はボスの忠実な部下であると同時に熟練したギャルソンでもあるため、彼の足取りは静かで音一つ聞こえて来ない。8本もの手を使って料理を運んでくる姿もどことなく洗練されたものであり、テーブルに出来る空きスペースを正確に把握してから新しい料理を並べる手際も、飽くことなく食事を続けている相手に不快感をけっして与えないものであった。
 『ボス』の食欲は旺盛だ。
 いや、一般常識の旺盛というレベルなど遥かに超えた量を求めていると言っても過言ではない。しかもただ料理を作って並べればいいというものでもなく、ボスが求めるものは第一級の料理であり、食材に他ならない。
 反面、彼の空腹、あるいは興味を満たすだけの料理はここのところめっきり数を少なくした。いや、空腹は満たせても興味や満腹感といったものを満たすだけの食材自体が残り少なくなってきたといったほうがいいのかもしれない。
 どんなに美味たるものでも、飽いてしまえば興味を無くす。
 故に既に『人間界』でボスの腹を含めた感覚を満たせるだけの食材も減ってきているのだ。
 それを常にボスの側に控えているアルファロも感じ取っていた。
 片腕とも言える存在であり、常に側に仕えているからこそわかることでもある。
 ボスは退屈していた。
 空腹を満たすだけの食事にも飽いてきたと言っても間違いではない。
 巨大な肉の塊を手に取り、直にかぶりついて能動的に咀嚼と嚥下を繰り返したところで、ボスの手が不意に止まった。
 それは次に食すものを選んで止まったのではなく、何か別の意図を持って止まったと言える動きだった。そんなボスの変化に気付いてアルファロの手も止まる。視線をボスのほうへと流せば、それに気付いたのか、もしくは最初からアルファロが聞いているという前提なのか、おもむろに彼の口が開く。

「アルファロ」
「はっ」

 名を呼ばれ、恭しくアルファロが頭を垂れた。

「退屈だな」

 側で頭を垂れるアルファロに向かって簡潔にボスが言い放つ。
 そんな言葉をかけられたアルファロは一瞬だけ言葉に詰まった。それはほんの一瞬のことであり、ギャルソンでもありウエイターで、何よりボスの右腕としての矜恃が彼を直ぐさま我を取り戻させる。
 ボスをそうと感じさせるのは先に挙げたように、『満たされていない』という証でもある。そして、そうと思わせるのは自分を含めた部下達の力不足と言って過言ではない。
 さらに深く頭を下げて謝罪を口にしようとしたアルファロだったが、その動作は他ならぬボスが手を翳すことによって止められることになる。
 それは物言わぬ『気にするな』という合図でもあった。
 発言に深い意味がないものでもあったのかもしれない。
 ボスの合図に気付いて顔を上げるアルファロに向かって、さらに彼が訊ねる。

「スタージュンはどうしている?」

 しかし何の予兆もなく紡がれた名前にアルファロの動きが今度こそ止まってしまう。しかも傍目からもわかるくらいに数秒間、文字通りの意味で凝固してしまっていた。

「…………ヤツが、どうかしましたか?」

 数秒の沈黙の後にアルファロが思わず訊ね返してしまう。
 質問に質問を重ねるのは褒められた態度ではないが、それくらい彼の驚きが強かったという証でもある。
 普段見られないようなアルファロの態度にボスは静かに一瞥を返す。しかしそれ以上は叱責するわけでもなく、再び言葉を続けた。

「少し前から幼子と共にいると聞いた」
「……はい」

 スタージュンが幼子を囲っているという話は……囲っている、という表現は適したものとは言い難いが、口の悪い美食會の幹部たちはそう言い合って久しい。堅物でもあるスタージュンが、グルメ細胞すら持たないただの子どもを養っているということで面白がってもいるのだろう。
 もちろん、スタージュンは自分が裏でそう揶揄されていることは承知している。
 それでも別段気にする様子もなく涼しい顔で静観を決め込んでいた。おかげで揶揄している者達も反応がなければ面白くもない、と早々に話題に出すのをやめてしまったのだ。たまに口には出すが、それも最初の頃と比べれば大人しくなったと言えよう。
 もしかすればスタージュンはそれを見越していたのかもしれない。それは本人だけが知るところでもあるので、聞き出すことも出来ないので予想することしか出来ない。

(……トミーたちも随分とその幼子に入れ込んでいるとも聞いたが)

 そして件のスタージュンのみならず、彼と立場を同じにしているトミーロッドやグリンパーチもまた、幼子に随分とほだされているという噂をアルファロは耳にしていた。
 実際にその場面を目にしたわけではない。
 アルファロはボスの側に控える役割があり、側から離れることはほとんどない。よほどのことがない限りであり、離れることがあったとしてもそれはボス自身から直々に命令があったときくらいだ。
 そして命令があったわけでもなく、ただの下世話な噂をわざわざ確認しに行くほどアルファロとて暇ではない。
 そこまで数瞬思考の海に沈んでいたアルファロであったが、今がボスからの問いを投げかけられていたことを思い出して、静かに答える。

「以前、クロマドからの報告がありましたが、その時から変わらず共にいるそうです」
「変わらず、か」
「はい」

 クロマドからスタージュンが幼子を美食會で養うことを許可したという報告を受けていた。一応。幹部にはある程度の権利を与えられており、報告は義務づけているが余程のことがない限りその権限を却下することはない。
 スタージュンの直属の上司とも言えるクロマドが許可したのであればこちらがとやかく口を出す必要もなく、よって、彼と幼子との義理親子生活は今までつつがなく続いていたのだ。

 しかしそれ以上の詳しい報告がない。

(噂レベルのものなら幹部たちの話から聞くことが出来ている。だが、あくまでもその程度だ)

 そこはアルファロも気付いていた。
 もちろん、必要のないものであるからと報告しなかったのだろう。
 そもそも美食云々とまったく関係ないという……いくらスタージュンの正式な後継という役割はあったとしても、だ……そういう実情もあった。幼子の養育状況など詳しく知ったところで何の益も無い。
 だが、それにしても報告が少なすぎたのだ。
 ボスのところに上げられる報告は本当に必要最低限のものだけ。しかも、スタージュンからのものだけという状態であった。
 他の幹部たちの『ちゃんとした報告』については無きに等しいと言っても間違いではない。
 第三者からの報告がないというのも、あるいは自由すぎる美食會の風潮から考えてみれば当たり前のことかもしれないが、そうではないとアルファロは直感していた。

(おそらく、トミーたちがそうしているのだろう)

 そして必要最低限、という点から顧みても、報告を上げている直接の関係者であるトミーロッドやグリンパーチ、そしてクロマドたちが揃って(申し合わせたわけではないだろうが)口を噤んでいるのは明らかだった。
 そしてそれは、

「…………随分と、入れ込んでいるということだが」

 ボスに興味を持たれないための策でもあった。
 しかしこの瞬間、いや、件の幼子の話題が出てしまったという時点で予防線は破られたといって間違いない。先の一言こそ、ボスが興味を持ったという証だからだ。
 そもそも以前から興味はあったのかもしれない。
 それが今、この瞬間に表に出てきてしまった、ということか……ただの退屈を紛らわすためのボスの気まぐれや戯れであったとしても、トミーロッドたちの思惑は崩れてしまったのだ。

(そして、そう思わせるくらいにはトミーやグリンだけでなく、クロマドも幼子に傾倒しているからな)

 傾倒という言葉に関しては、他人に対しての気遣いが皆無である美食會において(自身の楽しみや快楽に忠実という部分が強いので尚更)、特異な反応であった故の揶揄めいたものを含ませた結果だ。
 そしてその反応によってボスが興味を持ったのだろう。
 しかしそれを指摘して良いものかとアルファロが言葉に詰まる。
 思えばこの話題に関して珍しくも彼は返答を詰まらせることが多い。
 そんなアルファロの反応こそが余計にボスの関心と興味を買っていることは、彼は幸運にも気付いていなかった。
 斜め後方に控えるアルファロへ向けてボスが緩慢な動作で振り返る。
 殊更ゆったりとした動作はどこか王者然とした雰囲気を醸し出しており、さらにテーブルの上に並べられていた料理の数々に向けられていた顔がアルファロへと向けられた。
 振り返った彼は……美食會のボス、三虎は口元を僅かに歪ませる。
 それが笑みだとアルファロが気付いたのは、次の言葉が投げかけられてからだった。

「会ってみたい」

 短い一言だ。
 誰に、というものもないたった六文字の言葉。
 しかしそれだけで三虎の忠実な片腕たるアルファロは彼が何を望んでいるのかを理解した。
 理解してしまった、と言ってもいい。

「……はい」

 少しお待ちを、とはかろうじて口に出来ただけだ。
 恭しく頭を下げながら胸の内でアルファロは必然的に今回の『騒動』に巻き込まれるであろうスタージュンのことを思う。
 美食會の幹部のなかでも『まとも』な部類であるスタージュンは貴重な人材でもあるが、同時に面白味がないと揶揄されることも多い。
 誇り高き武人であり、冷然とした眼差しの彼を思い出しながら、アルファロが胸のうちでそっと溜息をつく。

(……スタージュン、強く生きろよ)

 それは三虎に忠実であり、彼の決定如何に対してもほとんど私情を挟まないアルファロにとって珍しい反応でもあった。
 つまるところ、そう思えるだけスタージュンを不憫に思ったと言っていい。

 そんなアルファロの胸のうちを知ってか知らずか、三虎は唇を僅かな笑みに歪ませたまま視線を虚空へと投げかけ、腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。



 −以下省略−






poco あ poco りとる×3