−前略−



 くつくつと煮えるスープ。
 鍋には蓋をしているせいもあって匂いはまだキッチン全体に漂うほどではないのだが、それでも蒸気穴から洩れる微かな匂いと、蓋の中から沸き立つスープの音は何とも食欲をかき立てるものであったのは間違いない。

「もうすぐにえそうですねー」
「そうだな」

 キッチンに並んで立ち(小松は専用の台を使って立っている)、そんな他愛のないやりとりを交わしたのは、もう幾度めになるかわからない。
 今は、スタージュンが手ずから昼食を作っているところだ。小松は自主的に手伝いを申し入れてスタージュンもそれを受け入れ、付け合わせの人参のソテーの下準備を任せている。

「……人参の皮は剥けたか?」
「もうちょっとです」
「そうか。まだ時間はある。手元を狂わせないように」
「はい!」

 元気よく答えて小松は動かしていた包丁を持つ手を持ち直す。
 小松はゆっくりとではあるが、一定の薄さを保って付け合わせの人参の皮を丁寧に剥いているところだ。片手に持った包丁は小松用に設えたこともあって(ジョージョー作)少しばかり小ぶりだが、良い切れ味である。

「スタージュンさんのは、おいしそうなエビです……」
「ああ、これはセドル……お前とは面識がなかったな、第六支部の支部長がついでにと今朝私宛に差し入れたものだ。予定していたメニューには入れていなかったが、活きも申し分ないので急遽加えることにした」
「そうなんですかぁ…………じゃあ、セドルさんにも、おれいしなきゃですね!」
「………………」

 無邪気に提案する小松をスタージュンは沈黙したまま視線だけを落として見やる。小松はスタージュンからの返答がないことに気付いていないのか、どこか調子外れな鼻歌まじりで皮を剥いた人参をまな板の上で一口サイズに切り分けていた。
 とん、とん、という少しだけ不規則なリズムを刻む包丁の音を聞きながら、スタージュンは胸の内で「……顔合わせは、もう少し様子を見てからだな」と付け加えておくことにする。
 話に出たセドルには、あまり品が良いとは言えない悪癖があるのだ。

 主に、目玉とか目玉とか目玉とか、目玉に関することについて。

 それはともかくとして。
 小松の横ではスタージュンが手際よくエビの下準備をしているところだった。
 こちらのスピードは、本気を出せば常人など及びもしないような速度と正確無比さを誇っているのだが、(スタージュンにしては)今は人より少しばかり早いという程度。
 わざとそうしていると言っても過言ではない。
 隣にいる小松が観察しやすいように、という彼なりの無言の配慮なのだ。
 他にも、料理中に会話を重ねるのはスタージュンとしては余り好ましいものではないのだが、トミーロッドとグリンパーチから散々『一緒にいるのに会話もしないとか保護者としてありえない!(要約するとだいたいこんな感じ。ただし言葉はこの三十倍ほどの数)』と忠告され、集中を乱さない程度には話をするようになっていた。
 ぽつりぽつりと雨だれのように言葉を落としていけば、小松も料理の疑問や質問、その他にも今のように他愛のない話にも喜んでするようになる。どうやら今回の申し出はトミーロッドたちのほうが正解だったのか、とスタージュンに思い知らせることになる。

「…………あいつらの言うことも最もな部分もある、ということか」
「はい?」

 ぽつりと唇から洩れた言葉は小さなものであったが小松はそれを聞き取った様子で、真ん丸い目でスタージュンを見上げて首を傾げる。
 それを見下ろしながらスタージュンは、なんでもない、と首を横に振った。
 小松はそれを見て不思議そうにさらに首を傾げはしたものの、深く聞き出すつもりは毛頭ない様子でまな板の上へと視線を戻す。
 とん、とん。
 ゆっくりとしたリズムと、くつくつと煮える音が静かなキッチンに響く。
 エビの背わたを流れ作業の動きで取っていたスタージュンは、そこで思い直したように、ふむ、と小さく頷きを零した。
 小松はそれに気付いていない。

「………………む」

 代わりに、スタージュンが漏らした声には気付いて、再び視線を上げた。

「どうかしたんですか?」
「あぁ……」

 今度は、はっきりとした言葉が返ってきた。
 どうかしたのかという問いに対しての返答に、曖昧ではあるが声が返ってきたのだから何かあったのだと、小松が目を瞬かせながら無言のままスタージュンの続きの言葉を待つ。

「……私としたことが、エビに使う材料を失念していた」

 そしてしばらくして返ってきたのが、それだった。
 スタージュンの言葉に小松は「え」と声を上げて目を丸くしてしまう。
 それほどにスタージュンの言葉は子ども心ながらに意外だったのだ。何しろ『あの』スタージュンが料理に関するもののことを使用する直前になって思い出す(つまり、忘れていた)など、今までなかったので仕方ない。

「揚げたエビにつける『葉塩』だ」

 小松の驚きを余所にスタージュンは何の材料を忘れたのかも先んじて答えた。
 ちなみに『葉塩』というのは草原に育つグルメ食材のひとつで、その名が由来する通り、ありとあらゆる『葉物系の塩』を持つものである。
 例えば、抹茶塩の味のする葉塩や、ハーブソルトの味がするものなど(しかも多種多様なもの)がわかりやすいだろう。
 それらは多岐に渡っていて、群生地は数多い。
 捕獲レベル1をギリギリ満たすというもの(群生地を知っていればいいので)なので、愛用者も割と多いのだ。

「ここにはないんですか?」
「ああ。ちょうど備蓄も切らしている」

 我に返った小松から慌てて尋ねられるがスタージュンの返しは素っ気ないほどにあっさりとしたものだった。

「え、えと、びしょくかいの……」
「美食會の備蓄倉庫にも欲しい種類のものはない」

 新しい提案にもスタージュンはすげなく否定するばかりだ。

「昨日、ちょうど大量に欲しい葉塩を……『抹茶塩』味のものを使い切ったからな。私も覚えている」
「そ、そうなんです、かぁ……」

 それは確かに、と小松もコクコクと何度も納得するように頷いている。
 そこでスタージュンはもう一度小松を見下ろした。その瞳の奥に、何かしら隠したものを潜ませていたのだが、小松が気付く様子はない。

「……小松」

 だからこそ、うーんうーん、と子どもなりに『困りましたねー』と唸りながら首を捻っていた小松が自分の名前を彼から呼ばれたとき、我に返り、ワタワタとしながら慌ててスタージュンのほうを振り仰ぐことになる。
 そのときには、相手の瞳の奥に隠された『もの』も見えなくなっていた。

「お前が取りに行って来てくれるか?」
「…………………………はぇ?」

 突然の言葉に小松は一時、何を言われているのか理解できずに十数秒ほど固まったあげく、素っ頓狂な声を上げてしまうことになる。
 捻っていた首をより深い角度にしたところで、それを見守っていたスタージュンが続けて口を開く。

「私はここから長い時間、手が離せない」
「…………ぇ、ぇと、う?」
「少しくらいなら目を離せるが、目的の地まで移動するだけで最短でも十分はかかる。そこで目的のものを探し、採取をし、再び戻ってくるほどの時間は取れない」
「ぅ、ぅ?」

 未だ何を言われているのか理解できないのか、それとも頭をフル回転させて言われたことを理解しようとしているのか……おそらく、思いも寄らない状況なので後者のほうが強いのだろう……小松がさらに意味不明な声を上げてしまう。
 それが落ち着くのをスタージュンは静かに待った。
 ここでなし崩し的に『外』へと遣ってしまうこともできたのだろうが、それを良しとしなかった。
 ただ、静かに待つ。
 そうすれば、ようやく……本当に、一分か二分かかっただろうか。小松が傾げていた首を元に戻し、パチパチと瞬きを繰り返しながらでも真っ直ぐにスタージュンを見つめる。

「お、おつかい、ですか?」

 結論としてはそういうことになったらしい。






poco あ poco りとる×2