むかしむかしのおはなしです。
御伽噺には、かならず『わるいまほうつかい』がいます。
たとえばそれは、ねむりひめにいとぐるまのはりののろいをかけるために。
たとえばそれは、たかいとうにひめをとじこめたまじょのように。
たとえばそれは、
たとえばそれは…………
ここんとうざい、たくさんの御伽噺のなかで『わるいまほうつかい』はでてくるのです。
それはなぜなのか。
こたえはかんたんです。
だって、『わるいまほうつかい』がいなければ、御伽噺ははじまることさえないのですから。
『Paradice Lost』 <8>
今日も小松は森にある湖の元までやって来る。
季節を幾つ越え、そのたびに湖のまわりは姿を変えていた。
春に多くの花を咲かせ、色とりどりの花の宴を写し取った。
夏には天に昇った燦々と輝く太陽の光を反射させた。
秋に落ちる葉の赤や黄、そして茶の葉を幾つも重ねていた。
冬には雪が積もり、そして凍りついて寒々としていた。
それを、小松はいつも見ていた。
飽くことなく、一日に一度、必ずこの湖のもとへと足を運んでいる。
そして湖をぐるりと一回りして……それからそっと溜息をついて自宅へと戻っていたのだ。
それがもう何年目になるのか、小松は覚えていない。
いや、うまく覚えられない、と言ったほうが正しいのかもしれない。
(…………時間の感覚を掴むのは苦手だから)
湖の淵にたち、今日は春の気配を色濃く残しているためか、色とりどりの花が咲き誇っている。
木々に咲く小さな花はもちろん、草原に我こそはと咲き誇るのもまた、見ているだけで春を感じさせるようだった。
春の花の匂いが風にのって運ばれてくる。
肺の中いっぱいになるかと錯覚してしまうくらいに、濃い花の香りだ。
(時間、)
小松は魔法使いだ。
しかし好んで魔法を使いたがりはしない。その上で、自然そのものをいじるような真似を滅多にしない。
それを厭うている節もあったが何よりも、小松は自分が時間を間接的にも認識してしまうことを恐れている。
(時間、そう、時間)
だから本当は、こうして一日に一度、湖にやってくることも苦痛に近い感覚となって胸を貫いてばかりなのだ。
一日に一回。
そのたびに季節は巡り、いやがおうにも時間というものを認識しなければならなくなる。
(もう、やめよう)
痛みを堪えるように目を閉じ、小松は溜め込んでいた息を吐き出す。
長々と息を吐き、それから顔を上げる。
それでも痛々しい表情だけは元に戻らないままだった。
(もうやめる。きっと、あのこたちはボクのことなんて忘れてる。
遠い日の幼い頃の記憶はそんなもののはずだから)
ボクはもう、忘れてしまったけど、と微かに笑って小松は踵を返す。
これで最後だ。
絶対にここには来ないというわけではないが、一日に一度、という頻度はグッと減ってしまうだろう。
ザクザクと草を踏みしめて小松は森の中へと戻っていく。
(これでいい。そのほうがきっといい)
自分に言い聞かせるようにして小松はさらに歩みを進めていった。
――――これでいい。
確かに、そうなのかもしれない。
少なくとも『わるいまほうつかい』としてであるならば、そのほうがよっぽど良いのだ。
小松は魔法使いだ。
わるいまほうつかい、なのだ。
御伽噺を始めさせるために、そして何より、終結へと導くために必要不可欠な存在。
そのとき、小松は自分の鼓膜を微かに揺さぶる音を聞き取って、足を止めた。
気のせいだろうかと思いながらも、ゆるゆると首を巡らして湖のほうへと振り返る。
……そして、驚きに目を見開いた。
「…………うそ」
呟きをもらし、小松は湖へと体勢を戻した。
その視線の先に、忘れられない色がある。
「………………小松ぅー!」
明るい青色の青年が、こちらを見つけて嬉しそうに手をぶんぶんと振っているのが見えた。
その隣に物静かな漆黒の青年がいて、さらにより輝きを増した煌びやかな青年がいるもの、わかる。
それは忘れられない。
忘れたことさえない、姿だ。
小松は唇を戦慄かせて、つん、と滲む目頭を感じる。
約束は、果たされた。
果たされてしまった、と言っても間違いではないままに。
<つづく>