ふと、眠りから目を覚ます。
眠りの淵からスゥッと音も無く、そして湖の底から水面へと引き上げられたかのように一息に。
それは眠りからの目覚めの早さとは裏腹に、睡魔の残り香も残さないようなほどすっきりとした目覚めだ。
眠りから目覚めたゼブラは意識の覚醒とほぼ同時に目を開ける。
独特の倦怠感もない状態でふぅ、と瞼を開け、そして目に入った光景に「……ッチ」と微かに舌を打った。
ただし、それは腹が立っただとか忌々しいなどという苛立ちに満ちたものではなく、俗に言うところの『しょうがないヤツらだ』程度の意味合いしかない。
そしてそんな『ヤツら』でもある相手は、ソファに腰掛けたゼブラの膝の上でスースーと何とも呑気な寝息をたてていた。
「…………揃って阿呆面で寝こけやがって」
悪態をつく気も失せたのか、呟きを漏らしながらゼブラが自身にとっては少しばかり窮屈な背もたれに肘を乗せて顎を手に乗せる。
ゼブラにとっては、と注釈を入れたのは、世間一般からしてみれば彼の座っているソファは特大サイズのもので、大人が座っても悠々と過ごせるような型だったからだ。
実際、このソファの持ち主である小松も…………今、ゼブラがいるのは彼の部屋だ。家主は小松であり、ゼブラは客人ということになる……有り余るほどのサイズであり、彼が座ると子どもがソファに乗ったような印象さえ受ける。
大は小を兼ねると昔から言うが、特大すぎると小を兼ねるはずがない。
だが、持ち主の小松は特に不平を言うことはなかった。
大きさに目を瞑ればこのソファの座り心地は最高で、小松のところへやって来る規格外すぎる面々が座るにも適していたからだ。
今はゼブラがソファの半分以上を占領していた。
座り心地に関しては彼とて文句はない。
先にも挙げように少々窮屈ではあるが、苦にはならない程度というほうが珍しいのだ。
そんなゼブラの膝の上に小松は寄りかかるようにして座ったまま微睡んでいる。
ちなみにさらに小松の腕の中にはそこが定位置でもあるウォールペンギンの幼子のユンがすっぽりとジャストフィットで収まっていた。
双方とも、眠りに落ちたまま起きる気配もない。
『揃って』とゼブラが言ったのはこのためだった。
一人と一匹は何とも無防備に安眠を享受している。
なぜこの体勢になったのかと言えば、まあ……『恋人同士、密室、二人きり(ユンは一匹なのでカウントせず)……あとはわかるな?』である。
つまりイチャイチャしてたんだよ。言わせるなよ、恥ずかしい。
……閑話休題。
まあ、眠りに落ちる前の二人と一匹の様子についてはおいておくとして。
とにもかくにも、しばらくして睡魔に誘われるようにして三者は眠りについたというわけだ。
ひとり目を覚ましたゼブラはジッと小松とユンに視線を落とす。
寝言らしい寝言もなく大人しく眠りについている小松と、ゆーん、とたまに小さな鳴き声は上げるもののすこぶる静かなユンというのは実は珍しい光景でもあった。
起きていれば双方ともうるさいくらいなのだから仕方ない。
強面、巨躯という人間の子どもが目にすればナマハゲに遭遇したときと同等にギャン泣きしそうなゼブラ相手にもまったく物怖じせずに、『あそんでー!』とひっつてくるユン。
そして既にゼブラの恋人という位置に落ち着いた小松は、彼に対等に意見する程度に『うるさい』。
(…………ふん)
これで調子に乗っていたのであればゼブラとて容赦はしないが、それが微塵もない。
途端、
そこで唐突にゼブラは膝の上にいる彼らから意識を外して、聴覚を『外』へと広げる。
ゼブラの聴覚は常人など遥かに及ばない特殊技能として扱われるほどのものであり、数十キロ先のコインが落ちた音をも拾い上げられる。だが、音を雑多に拾い上げているわけではない。
もしそんなことをすれば音が『多すぎる』世界では生きてはいけない。
脳の処理反応を程なくオーバーしてしまうだろう。
ゼブラは自分が聞く音の判別も可能だったのだ。
今までは小松の部屋ほどの範囲に留めていたものを一気に広げる。
鼓膜に聞こえてくるのは、喧しいほどの音の洪水。
風や木々を揺らす『自然』の音をかき消すようにして傾れる雑踏。
多種多様な機械の駆動音。
人々の声。
反響する声の羅列。
声。
声。
声。
音。
声。
声。
声が、
「…………ゼブラさー、ん」
唐突に、すぐ側で発せられた声にゼブラはスゥッと自然と閉じてしまっていた瞼を開けて音の聞こえる範囲を狭めながら視線を落とした。
むにゃもにゃと意味不明な寝言を口にしながら、先ほど自分の名を(寝言だろうが)口にした小松を見る。
小松は相変わらずなんとも穏やかな顔で目を閉じたままだ。
「なんだ、小僧」
聞こえていないのも、意識がないこともゼブラはもちろんわかっている。
先ほどの呼びかけが眠りのなかにいる小松が無意識に発したもので、自分を意識して口にしたわけではないものも。
それでもゼブラは問いかけに答えた。
やはりというべきか、答えに返事はない。
だが、小松は体勢を崩すこともなく、かわりに何かを求めるようにスリ、ともたれたままのゼブラの胸に頬ずりをした。
それが求めの答えだったのか、満足した顔でふんわりと表情が崩れ、安心したと言わんばかりに寝息が再開される。
………………沈黙。
(こいつ、起きてんじゃねぇだろうな)
その一部始終を見、あるいは擦り寄ってきた感触を服越しに僅かに感じることとなったゼブラが胸の内で呆れるようにして呟く。
だが問いかけたところで答えはないのだ。
起こす気もないのでゼブラは頬杖をついたままそこで再び瞼を閉じる。
瞼の裏の暗闇のなか、聞こえてくるのは寝息の他には一定のリズムを刻む二つの音だけだ。
一定のリズム。
小さな、小さな音。
(あぁ、こんなとこまで似てやがんのか)
クッ、と短く笑うと、今度こそゼブラは深く息を吐き出し、そのまま数秒もたたないうちに眠りへと再び落ちていった。
(好きなときに好きなように睡眠をコントロールできるのも美食屋の特技のようなものだ。
そうでなければハントのときなどで色々と苦労するので(睡眠は=重要な休息))
そうして部屋のなかには静寂が戻る。
響くのは三つになった寝息、ただそれだけで。
ハッピーバースディ
-穏やかな誕生日の一幕-