大地は広い。
 北に行けば全てを等しく凍らせる極限ともいえる氷の大地が広がり、反対に南に行けば季節のすべてが常夏になった南国の国が幾つも点在していたりもする。
 東西には同じような風土が広がっているものの、巨大な大陸や無数に散らばる島々など、多種多様なものがあった。
 そして、大地が変われば生き物もまた変わる。
 それらすべてを知るのはとても難しい。

「………………………」

 そう、とても難しい。
 だからこそ世界のあちこちに行くことが出来る傭兵稼業と言うのは、実は一般人などよりも余程それらを知る機会が多くなるのだろう。
 依頼があれば、そこへと向かうのだから。

「………………………」

 モルス山脈という広大な山脈がある。
 標高一万五千メートルを越える山々が連なる山脈で、そこから流れ出す天然の山水と相俟ってその麓には見渡す限りの森と、千は越えるとされる湖がそこかしこに見る事ができる場所だ。
 森や湖が多いということは、必然的に自然豊かでそこにいる動物たちも数が多い。
 数が多い=餌が豊富だということは、魔獣の数もまた等しく多いということだ。
 実際、この森のなかを縄張りにしている魔獣たちは数多く、それ故に人が足を踏み入れようとしない。
 足を踏み入れた場合、命を落としかねないような場所に入りたいとは思わないのが普通だ。何より、ここは自然が広いので神殿や洞窟、迷宮の数もたかが知れていて、それはとっくの昔に踏破されていたりするので物好きなトレージャーハンターも、傭兵達もやって来ようとは思わない。
 
 小松も地理関係として一応知識にはあったのだが、自分がやってくることになるとは思わなかった。
 だが、今、彼はモルス山脈の真っ直中にいる。

「………………正直な話をしてもいいですか」
「どうぞ」
「すっごく、帰りたいです」

 遠くからでも視界から外れるほどの数の山々が連なり、さらに複雑に入り組み偶然にもそれが天然の濾過装置となって一点に水の流れを集中させることになった。
 故に、その水の量は想像を遥かに超える量となって山から下へと……つまり、滝となって流れ落ちていく。
 まるで激しい霧雨の中にいるように全身の至るところを濡らす水滴から顔を拭いながら、小松は目の前の光景にぼそりと呟いた。
 滝の名は『デスフォール』。
 その名の通り、近づいただけで水量だけで一瞬で圧殺されるであろう水量が絶えず降り注ぐ滝だ。
 滝の近くにいればわかるのだが、空を覆い隠す勢いの水煙を上げているのがわかる。遠くからでもその大きさと瀑布のような音は鼓膜を不吉なまでに揺さぶったのだから尚更だろう。

「帰っちゃダメだよ」
「そーだぜ、小松ぅ。ここまで来て帰ることねぇだろ」
「だな……お。上のほうからなんかでかいのが落ちてくっぜ」
「ああ、あれはキャンサーだね。拳ひとつで山を抉って巣穴を作るから、多分、山脈のどこかに作ろうとして足でも滑らせて水脈に落ちたんじゃないかな?」
「あ、滝壺に落ちた」 
「押し潰されてそのままって感じか。っすがデスフォール。このキモさは地上でもそうそう見られねぇからな」
「みなさん、冷静に目の前の光景を解説しないでくださいっ!」

 滝は厚みだけで1キロを越えるというありえなさで、しかも横の広がりもあるので絶景と言えば絶景にあたるだろう。
 今まさに滝の前で佇む小松達の前で激しい水の流れに巻き込まれたらしいキャンサーが無残に水のギロチンによって圧殺されていく光景が広がっていたりもするのだが、そのあまりの光景に『帰りたい』と主張するのは小松だけで、トリコとココ、そしてサニーはのんびりとしたまま、まるでピクニックにでも来ているような気安さで軽口を叩きあっていた。
 そんな小松の叫びもまた、水の音にかき消されていく。
 小松の頭の上に乗っかって目前の光景を物珍しそうに見つめていたフグ鯨が、おちつけ、とでも言いたげに彼の頭をヒレで撫でる。
 その感触に小松はちょっとだけ我に返った。

「うん、撫でてくれるのはいいんだけど、お前のヒレ、なんかしっとりしてるからやめてほしいかも……」

 慰めてくれるのはいいのだが、フグ鯨は水生生物であり、そのヒレはまわりに立ちこめる水気のせいで常よりもかなりしっとりとしていた。
 撫でられるとちょっとゾワゾワした感触がするので、気持ちだけは受け取っていく旨を小松は伝えておく。
 主人の言葉にフグ鯨は不満そうにぷぅー、と鳴いたが撫でる手だけは言われたとおりに止めておいてくれた。
 やりとりを交わすことで、小松も少しだけ気を落ち着かせることができた。こういうことは長い付き合いの気安さも手伝ってのことだろう。
 ふぅ、と息を吐いて小松は改めてトリコたちを見る。

「それで」
「おう」
「うん」
「なんだし?」
「今日、ここに来たのって……えと、『水』のためなんですよね?」

 改めて今回の目的……傭兵としての彼らが受けた依頼の内容を思い返しながら、小松が疑問符を交えて尋ねる。
 依頼というのは、『水』を取ってきてほしい、というものだった。
 水というだけならば子どものおつかいでも出来る。そもそも、ただの水であるならそこかしこに水場は存在している。
 だが、わざわざデスフォールくんだりまでやって来た、ということは依頼の品が『ただの水』ではないことを意味していた。
 依頼主が欲しがっているのは、デスフォールにある『水』。

「ここは巨大な濾過装置だからね。極限まで澄んだ水が必要となると、ここ以外だと手に入れるのは中々難しい」

 ちなみに相手は魔術師であり、儀式の道具のひとつとして必要なのだそうだ。
 儀式を行う際には、様々な呪具を必要とする場合が多い。
 処女の血、最古から燃えさかる火の種、満月の夜に魔獣の心臓を撃ち抜いた銀の弾丸など、『制約』がつくものがそれだ。
 今回必要なのは、澄んだ水。それも、自然の力によって不純物を取り除き、『力』を濾過して溜め込んだ水なのだという。

「どんな儀式に必要なんでしょう」
「さぁなー。魔術もそうだけど、魔術師のヤツらは何考えてんのかわかんねーのが多すぎる」
「それってボクへの遠回しな嫌味?」
「前ら、暴れるなら水ん中に叩き込むからな」






竜恋歌02