ゆるゆると瞼を持ち上げると、硝子の天井から淡い冬の光が降り注いでくるのが目に映りました。
−…………ゆきみたいだ。
まだ薄く目を開けている状態のためか、視界にはその光がキラキラと輝いているかのように見えます。
光には色なんてありません。
でも、今、見ている光は、真っ白で雪のようだと、思いました。
−ここ、どこだろ……ひかり、がみえるから、てんごくとか?
天国と地獄というものを見たことはありませんでしたが、物語や弾き語りで何度も存在だけは繰り返されていたので(あくまでも想像上のものでしたが)、光があるならばここは天国なのかなぁ、とぼんやりと考えます。
溜めていた息を、そっと吐き出して…………そこでようやく、小松は自分が息をしているということに気がつきました。
「……はれ?」
間の抜けたような声を出したところで、小松の朧気な意識は一気に覚醒へと引き摺り上げられていきます。
ぱちん、と目を開け、何が起きているのか信じられないという動揺と、こんがらがるばかりの思考回路で、何かどうなっているのかと混乱していたところで。
「ようやくお目覚めか」
ぬぅっと、水晶宮の天井を見上げていた小松の視界いっぱいに、ゼブラが顔を覗かせたのでした。
「にゃーーーーーーーーー!!!!
顔すっごぃ怖いぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっっっ!!!!」
「てめぇよりにもよって第一声がそれかぁっ!!!!!」
…………どちらが悪いと言うのであれば、どちらも悪くはないし、タイミングがまずかっただけなのです。
錯乱状態だった小松の目に飛び込んできたのが、よりにもよって頬の傷痕が塞がれていない状態のゼブラの顔で。
いくら小松が目覚めたとは言え、いきなり顔を覗き込んでは相手が驚くというのも無理はなく。
そこで小松が驚きのあまり叫び、その内容があまりと言えば、あんまりにもなものにゼブラが怒るのも正当なもので。
水晶宮に響き渡るほどの悲鳴と怒声は、そうして生み出されたのでした。
(気を取り直して)
仕切り直し、ということで、ひとつ。
「…………え、えと、」
なんとか落ち着きを取り戻した小松は、ようやくというか、自分が置かれている状況に思い至りました。
(その前に、平身低位ゼブラに謝罪しました。
ゼブラも、突然顔を出して驚かせたのは多少なりとまずかったと思っているのか、少々、心にぐっさりと突き刺さる程度の嫌味を口にしただけで、あとに残したりしませんでした)
しきりにオロオロとしながら自分の体をペタペタと自分の手で確かめるようにして触っていきます。
掌には確かな感触。
自身の体温などが伝わってきます。
何度もしきりに瞬きを繰り返す視界には、意識を失う前に見ていた枯れてしまった水晶宮の状態。
遠くからは冬の風の音が聞こえてきました。
「ど、どうして、ボク……」
疑問はそのまま言葉となって唇からこぼれ落ちていきます。
自分は、死んだはずではなかったのかと。
しかし、その考えに反して、小松は自分が生きているということを感じています。
「……なに呆けてやがる」
「ぅぇっ!」
未だ事態が掴めず、混乱状態の小松の隣には、すっかり存在を忘却しかけていましたがゼブラがいるのです。
呆れたような溜息とともに紡がれた声色に、小松は意味不明な声を上げて振り返りました。
見れば、小松のすぐ隣でゼブラが茶色い芝生(芝生とは言えるようなものではないにしても)に腰を下ろして、まっすぐに彼を見つめていました。
その強い視線に小松はドキリ、と鼓動が跳ね上がるのを感じます。
それと同時に、自分の視界が『いつもより』開けているということに、気がつきました。
「あ」
小松は、自分が今、麻袋をかぶっていないことを、思い出しました。
意識を失う直前に、もう必要も無いからと自分で取り去ってしまったのです。
つまり、今、ゼブラの目には自分の『顔』が映し込まれているのです。
瞬間、小松の脳裏を過ぎったのは、一番始めに自分の顔を見て怯えて命を絶った人間のことでした。
同じく、かつて魔法使いが言い放った一言を、思い出して背筋が凍りつくような感覚に苛まれます。
−こわい。
知らず、体が微かに震えるのを小松は止めることができませんでした。
それでも今更顔を隠すこともできず、そしてゼブラも、黙ったまま小松の顔をジィッと見つめているので、動くこともできません。
「…………潰れた鼻だな」
互いの沈黙を破ったのは、ゼブラのほうでした。
揶揄するような声色で伝わってくる音に、小松はビクンッ! と過剰なくらいに体を震わせます。
見開いた目が、恐怖とも絶望とも知れない暗い色をのぞかせようとしたところで、その目元に、ゼブラの指先が触れます。
「思ってたよりも不細工なツラしてやがる」
それは先ほど、小松が『怖い顔』だと言ってしまったことへの意趣返しだったのか。
あるいは、ただ単にからかうためのものだったのか。
ゼブラは触れたままの指を動かして、スゥッと小松の顔を撫でます。
小松は、目を丸くしたまま動くことも、言葉を発することもできず、ただ目の前の彼のことを見つめていました。
時を止めてしまったかのように固まって動けないまま、ゼブラの顔を見つめます。
視界に映るもの。聞こえてくる微かな音。
それと一緒に、触れた箇所から相手の熱が、少しずつ自分の中にある冷えた何かを溶かしていくのを、小松は感じていました。
「……ぶ、」
「あ?」
「ぶさいく、って、ひどいじゃ、ないですか……!」
「うるせぇ」
「確かに、ボク、そんなきれいな顔じゃないですけど、ねっ」
胸の奥で溶けたものは、そのまま小松のなかにあったすべてのものに伝わっていきます。
震える唇で不器用に言葉を紡ぎながら、くしゃっと顔を歪めて笑いました。
「世辞は嫌いだ」
「知って、ます」
「おべっかも口にするだけで吐き気がする」
「そう、でしょ、うね」
醜い、と。
そう、鋭く叫ばれたことがありました。
寄るな、来るな、と伸ばそうとした手を振り払われたこともありました。
その辛い記憶が、ゼブラが触れたところから外へと流れ出していくような気がして、小松は少しずつ軽くなる胸の奥が望むままに、自分の目頭が熱くなっていくのをそのまま好きにさせることにしました。
ほろほろ、ほろほろと、解けるように涙がこぼれ落ちていきます。
「……なに泣いてやがる」
「わかりま、せん」
「わからねぇのに泣いてやがんのか」
「……なんでなく、のかは、わかりません……でも、ぼく、きっと、うれし、いんだと、おもうんです……」
「不細工だって言われて嬉しいのか?」
それさえも、わからないと。
小松は言葉を続けることもできずにフルフルと首を横に振りました。
首を振った拍子に、頬に伝っていた涙が宙に舞って、乾いた地面に落ちて小さな水の跡を作ります。
ゼブラは小松が首を振ったのと同時に宙に浮かしてしまった自分の手を、一度だけ小さく無意味に開閉させたあと、そのまま手をさらに伸ばして小松の体の後ろに回しました。
言葉も無く、伸ばした手で小松の小さな身体を抱き上げ、一緒に自身も立ち上がります。
「ぅ、わっ」
急に浮き上がった感覚に小松が小さな悲鳴を上げて、思わず自分を抱き上げたゼブラの体に驚きのあまり縋り付きます。
クッと、ゼブラは喉の奥で笑いました。
「帰ったぞ」
「…………」
縋り付いた状態なので、小松からはゼブラの顔を見ることは出来ませんでした。
体を離せば見ることはできるかもしれませんが、小松は、それをしようとは思いません。
「…………はい」
かわりに、縋り付いた状態よりももっと近くに、と回す手に力を込めて頬を寄せます。
「おかえりなさい」
何が起きたのか、小松はまだよくわかっていません。
どうしてゼブラがここにいるのか、だとか。
呪いはどうなってしまったのか、とか。
自分にかけられた呪いは……どうして、解けたのか、だとか。
そんな色々な疑問をひとまず横にして、小松は、今、一番自分が言いたいと思った言葉を口にしました。
小松の短い言葉に、ゼブラは機嫌を良くした様子でニヤリと口元を緩めて、抱き上げた状態のまま一歩を踏み出します。
「それにしても、腹減ったな」
「……何か食べて来なかったんですか?」
「向こうでそれなりに食ったが、ここに来るまでにみんな消化しちまった。小僧、作って食わせろ」
「そうですか、じゃあ何か簡単に…………って、温室の野菜が全滅してたんだった!!」
「あぁ? 備蓄倉庫になんかあんだろ。それで適当に見繕え」
「うー……はぁい」
互いにやりとりを交わしながら、二人はすべてが枯れてしまった温室のなかを歩いて行きます。
小松はゼブラに抱き上げられた体勢のまま、彼の肩越しに、赤い花の咲いていた大樹を見上げました。
そこにはもう、なにもありません。
「…………」
「小僧、どうかしたのか」
「いえ」
急に黙り込んでしまった小松に気がついたゼブラが尋ねますが、彼はすぐさま首を横に振って「なんでもないです」、と答え、視線を逸らしました。
赤い花も、顔を隠すために麻袋も、もう必要のないものです。
「食事、何が食べたいですか? 備蓄になっちゃいますから、レパートリーはいつもより少ないですけど」
「腹が膨れるもんなら何でもいい」
「……ゼブラさんって大抵そればっかりですよね」
「うるせぇ、てめぇはずべこべいわずにとっとと作れ」
「ストレートに暴君発言された!」
いつものように。
まるで、何事もなかったかのように、二人は互いの言葉を交わしました。
静かな温室で、それは二人の耳朶を緩やかに叩きます。
「そ、それなら、食べる前にゼブラさんの頬、縫わせてくださいねっ!」
「あぁ? おちょぼ口でうまい飯食えってのか」
「い、痛そうで見てられないんですよ……!」
「…………好きにしろ」
「好きにさせていただきます」
軽口をそのままに、二人はさらに進んでいきました。
「あとのことは、それからだなぁ?」
しかし、温室の壊れた(ゼブラが吹き飛ばしたので)ドアをくぐる寸前、ゼブラは一層低い声でひとりごとのように呟いてニヤァ、と人の悪い顔で笑いました。
何と言えばいいのか、これほど悪役顔と表現できる笑みを浮かべることが可能なのも、珍しいものです。
小松は見えませんでしたが、見えたら見えたで身の危険を感じて恐怖で凍りつくくらいの迫力がありました。
ただ、命の危険の類ではないので、安心しても良いでしょう。
……安心していいのか、という声が聞こえてきそうですが、結局のところ、見えていない小松にはどうすることも出来ないのですから。
「あとの、こと?」
小松は聞こえて来た言葉の意味がわからず首を傾げます。
「気にすんな」
「気にしたいような……」
「オレが腹一杯になったら、教えてやる」
嫌でもな、とはあえてゼブラは言わずにいました。
すべては、そう、お腹を満たしたあとで。
そうして二人は、温室から食堂へと向かっていったのです。
−やがて、歪んだ城と森はまるで黒い波が音の無く引いていくかのように、一息に元の姿を取り戻していきました。
それは、小松の呪いが解かれたという証でもあります。
こうして、森の奥深くにある城に住む王子にかけられた呪いは無事に解かれのでした −
『そのあと』のことはぜんぶ、めでたしめでたし、に落ち着くということで。
tasty dish and the Beast 21