「…………」

 静かに枯れ果てた温室の中。
 天井の透明度の高い硝子から降る冬の弱い光の、そのしたで、小松は身動ぎもせずに横たわっていました。
 寝ているのではないかと思うくらいに、静かでした。
 何の音も、聞こえてきません。
 呼吸の音も、鼓動も、なにひとつとしてでさえ。
 そこにあるのはひとつの静謐、ただ、それだけをゼブラは黙したまま聞いていました。

 やがて、
 何がきっかけになったのかはわかりません。
 ですが、立ち止まっていたゼブラの足が、ふらりと大樹の側にいる小松のもとへと動き始めます。
 一歩を進めるたびに、ザクリ、と枯れた葉や枝、あるいは乾いた果実などを踏みつぶす音が、静寂を裂いて、ゼブラの耳に聞こえてきます。
 さらに一歩、ゼブラは小松の元へと近づきました。
 小松に注視したままだったゼブラは、横たわる彼のすぐ横に見慣れた麻袋が投げ捨てられているのを見つけます。
 それはつまり、今、小松が素顔を晒しているということにも繋がりました。
 その時になってようやく、ゼブラは小松の顔へと視線を映したのです。








 そこにあったのは、とても言葉では言い表せるものではありませんでした。







 顔が、あるのはわかります。
 人の顔がそこにあるのだと、ゼブラもそれだけは理解できました。
 ですが、それ以上にゼブラを本能を刺激したのは、途方も無い忌避感だったのです。
 認識するのを、本能が拒絶しているのがわかります。
 激しい嫌悪感。
 背筋に走る怖気のような虫唾。
 ありとあらゆる負の感情が湧き出てくるような、そんなものを、一目『それ』を見ただけでゼブラは感じ取りました。

「………………そうか」

 常人ならば、一歩退き、あるいは悲鳴を上げて逃げ出しかねない感覚に苛まれながら、ゼブラは忌々しそうに表情を歪めます。

「これが、『呪い』の本体なんだな」

 小松にかけられた『魔法』の……いいえ、随分と前から、これが魔法などという生易しい側面ではなく、『呪い』というものだと気付いていたゼブラは、魔法使いが残した魔法の正体に、気付いたのです。

 小松にかけられていたのは、『死』です。

 『死』というものを、呪いとして小松に植え付けたのです。

 人が恐れる最たるもののひとつでもあるもの。
 それを目に見える……いえ、目に捉えることはできません。死とはそういうものです。しかし、感覚や本能で敏感に伝わるものでもありました。
 だからこそ魔法使いは、それを与えたのでしょう。

 (小松が助けた一番はじめの人間が、彼の『顔』を見て怯えて自ら命を絶ったのは、そのためでした。
  死というものは目には見えないもののはずなのです。
  しかし、『感覚』に受け入れてしまえば、それは明確にそこに実際にあるものとして認識されてしまうのです。
  言葉にできない、といったのはそのせいです。
  死というものは、感じるものであり、言葉に表せるような生易しいものでは、ないから)

 『何よりも醜く歪んだ』と言ったのはそのためでした。
 誰もお前を愛さないと言ったのも、そうです。

「………………」

 ゼブラは口を閉ざしたまま、しばらくの間動きませんでした。
 ジッと小松を見下ろしたままです。

 しかし、やがて、

「オレをナメてやがんのか」

 臓腑の底から絞り出すように、地を這う低い声を唇から紡ぎ出しました。
 そこに浮かび上がるのは、激しい怒りの感情です。
 表情でさえも、悪鬼でさえ生温いほどのものを浮かべています。

「こんなもんで、」

 ざり、と更なる一歩で、ゼブラは近づきます。

「この程度で、」

 さらに一歩。

「こんなちゃちぃ『呪い』なんぞに、オレが退くとでも思ってやがんのか」

 それは、何に対する怒りだったのか。

 この程度と口にした『呪い』を放った魔法使いへのものだったのか、
 それとも、この程度で願いや夢を諦めてしまっていた小松へのものだったのか、

 あるいは、こんなものとゼブラが切って捨てるようなものに、小松の命が失われてしまうことへのものなのか。

 …………そのどれもだったのか、全部、違っていたのか、それがわかるのは、ゼブラ当人だけです。

「小僧」

 怒りの気配を色濃く残したまま、ゼブラは小松のすぐ側まで近づき、そこで足を止めました。
 呼びかけても、反応はありません。

「バカ野郎が」

 腰をかがめて、ゼブラが手を伸ばします。
 『死』のその先。
 指先にあるのは、頬の感触でした。

「こんなもんに振り回されやがって」

 紡ぐ声は、それでもそのときだけは、静かなものでした。

「オレとの約束は最初から破るつもりだったってわけか。チョーシに乗ってんなぁ……?」

 静かに、ただ、静かに。

「       」

 長い、溜息。
 それと一緒に紡がれた言葉は、ゼブラ以外には誰も、そして、なにものにも聞こえることのないものでした。





 ぽつり、

 …………そのとき、すべて枯れ落ちたと思われていた大樹に最後まで残っていた小さな赤い花片が、ひらり、と、落ちていきました。






tasty dish and the Beast 20