「…………なんだ」
休む間も惜しいとばかり全力で戻る道を進み続けていたゼブラは、城を取り囲んでいた森の異様な雰囲気に気がつき、思わず足を止めました。
深く澱んだ森。
呪われた城を囲むに相応しい、歪んだ気配。
確かにそれは、街へと向かうときに通ったときと同じものでした。
しかし、ゼブラは見た目ではなく、感覚から伝わってくる気配に表情を歪めます。
それは森に、『気配』がまったくなかったからでした。
獣という獣。
森に潜んでいた動物も、あるいは獰猛な獣たちでさえも、すべての気配が無くなっていたのです。
死んでしまったわけではありません。
まるで恐れを成して何かから逃げたあとのように、気配が消え失せていたのです。
ゼブラの聴力は、広く、深い森のすべてから生きている動物達の音が消えていたのを、聞いていました。
「何が起きてやがる」
異様というなら、本当にありえないものでした。
動物というのは、縄張りから離れることを厭います。
余程のことが無い限りは、一生をそこで過ごすのです。
だからこそ、今のこの状況がどれほど『おかしい』のかを、狩人でもあるゼブラは敏感に感じ取っていました。
「…………ちぃっ!」
鋭く舌打ちをし、ゼブラは止めていた足を再度、走らせます。
異様な雰囲気の大元。
それが、森の中心部にある城から発せられているであろうことを、彼は本能で察していたからです。
森の中を、ただひたすらに彼は走りました。
正門をくぐり、前庭を突っ切り、城の中へと入って。
「……小僧、どこにいやがる!」
ゼブラは廊下を進みながら、大声を上げて小松を探しました。
それでも、小松は姿を見せません。
あたりは静寂と静謐に、包まれていました。重苦しいほどの気配です。
ゼブラの聴覚は、城の中にいるはずの小松の『音』を探りました。
普段なら苦も無くあの小さな鼓動を聞き取ることができます。
けれど、今、ゼブラの鼓膜に、その音は聞こえてきませんでした。
「返事をしろ!」
そう、『聞こえない』のです。
ありえません。
百里先に落ちたコインの音さえ聞き取るゼブラの耳が、城の中にいるはずの小松の音、ただひとつとして見つけることができないなど、ありえないはずでした。
しかし、何の音も、しないのです。
何も、聞こえて来ない、
「小僧ぉ!」
いくら呼びかけても、返事ひとつ、ありませんでした。
恐ろしいほどの静寂だけが、物言わぬ気配となってゼブラのもとに、ひたひたと忍び寄ってきます。
聞こえないということ。
何の音もしないということ。
それが示す意味を、知らないゼブラではありません。
「…………っ?」
焦れたように表情を歪めるゼブラは、そこで探していたのとは別の音を聞き取り、バッと顔を上げました。
そして誘われるようにして廊下を目的地に向かって進んでいきます。
広い城のなかで、しかしそこはもう勝手知ったる……というもので、大して迷うこともなく、ゼブラは聞こえてきた音の発信地に向かいました。
「――――――ッ」
そこにいたのは、扉を背にして座り込んでいる小さな子ペンギンでした。
ペンギンもまた、テリーと同じく『呪い』によって蝕まれているのか……あるいは、疲れ切っているのか、弱々しく肩を落として丸くなっています。
それでも、姿を見せたゼブラのことに気がついたのでしょう。
バッと顔を上げて、ユゥン! と、甲高い鳴き声をあげて、すぐさま彼の元に走り寄ってきました。
よたよたとした何とも頼りない足取りでしたが、飛び込むように必死になってしがみついてくる姿は、何かあったことをゼブラに知らせるのに十分な姿でもありました。
ゼブラは飛びついてきた子ペンギンを背をかがめて片手で受け止めてやります。
「おい、お前、ひとりでなにしてた」
ユーン……!
どれほど心細かったのか、ウォールペンギンは目に大粒の涙を浮かべて、すんすんと鼻を鳴らしてゼブラに縋り付きます。
しかし、幼いながらも何があったのかをゼブラに伝えようとするためか、顔を上げ、縋り付く片方の手を離し、スッと扉を示しました。
そこに何かある、とゼブラに知らせるために。
「ここか」
ユン!
ゼブラがその意図に正しく気付いて短く言葉を返せば、子ペンギンはそうだ、と言わんばかりに頷いて声を上げます。
丸い頭を掌で一度だけ撫で、ゼブラはしがみついているペンギンの体を脇に追いやります。
離れていろ、という声も無い合図でしたが、それを子ペンギンは正しく察し、涙を浮かべた表情ながらも、ゼブラから距離を離しました。
「……泣き虫はあいつ似だが、根性もそうだな」
それを横目で見て、ゼブラが呟きます。
十分に離れたのを認めて、閉ざされた扉の鍵を確かめる間も惜しい、と言いたげに、拳を固めて力を込めました。
遠慮もなく放たれた拳は、轟音とともに水晶宮へと繋がる分厚い扉を吹き飛ばしました。
「………………」
吹き飛ばされたドアから覗いた光景に、ゼブラは人知れず息を呑みます。
目の前に広がるのは、信じられないようなものでした。
街からこの城まで、確かに往復でかなりの時間がかかるほどに距離が離れています。
距離にしてほぼ半日。
朝に出かけ、夜を向こうで迎えて……そして、真夜中に街を出て、ここに戻って来たときには、朝を迎えていました。
一日以上。
……しかし、たった一日。
そう、たった一日、ただそれだけのはずだというのに。
「……これが、『呪い』か……!」
水晶宮のなかにあったすべての植物が、見るも無惨に枯れ果てていました。
すでに何がここにあったのか判別さえできないほど、ありとあらゆるものが枯れ、朽ち、緑の姿を残すものはまったくと言っていいほどありません。
苦々しく呟いたゼブラは水晶宮のなかへと一歩、足を踏み入れました。
かさり、と降り積もる落ち葉と、乾いてカサカサになった地面の上で、足音が立ちます。
「小僧! ここにいるのか!」
さらに一歩、そうして勢いをつければあとは止まることなく、ゼブラはあたりを見回しながら声を張り上げます。
しかし呼びかける一方で、「ここにいるわけがない」という思いが、頭の片隅でありました。
なぜなら、ここもまた、何の音もしないからです。
聞こえるのは、枯れた葉や枝、あるいは樹が動く掠れた音。
生きている音は何一つとしてしていません。
「いるなら返事しやがれ!」
なにも、
なにひとつとしてでさえ、
いるわけがない。
別の場所にいるのだろうと、そう思いながら、それでも沸き上がる口の中で砂を噛むような気持ちの悪い予感が、止むこと無くゼブラを苛みます。
やがてゼブラは、見つけました。
水晶宮のなかで一番大きかった大樹の根元。
赤い花が咲き誇っていたのを見上げることが出来た、その場所で、倒れている小松の姿を見つけたのです。
ゼブラの鼓膜に、小松の鼓動の音は聞こえてきませんでした。
tasty dish and the Beast 18