『むかしむかし』から、さらに時は流れて。
(……ついてねぇな)
暗く深く澱んだ森の奥深く。
すでに誰も近寄らなくなって久しくなり、『呪いの森』として恐れられるようになったその中で、一人の青年が仰向けになって倒れていました。
昼間であろうと深く生い茂った枝に阻まれ、地面の上では陽の光ひとすじすらもありません。
そんな中で、青年は、たったひとりで暗い天を仰いでいます。
(まったくついてねぇ。オレとしたことが、こんなちゃちなもんに引っかかるとは……とんだお笑いぐさだ)
横になったまま動かない……いえ、動けなくなってしまっている彼のまわりには、淡い光を放つ花があちらこちらに咲いています。
小さな花です。
ですが、そんな小さな燐光を放つ花によって、青年は動けなくなっていたのでした。
(見たこともねぇ種類だな。ココの野郎が集めてる薬草の類にもなかったから新種なのは間違いねぇ。
花粉で獲物を動けなくさせるのか、食虫植物のたぐいだとしたらもうとっくの昔に行動を起こしてるはずだ。
てことは……これはただ単に外敵から身を守るための防衛策ってところか)
ああ、まったくついてねぇ、と他人事のように青年は思いました。
(チョーシに乗ってんのなら絶滅させてやるところだがなぁ)
けれど花は青年を捉えるためではなく、ただ自身を守ろうとしているのだとしたら、不必要に近づいた己のほうが『調子に乗っていた』のだと青年はそう結論づけて考えるのをやめました。
花の持つ毒は青年を死に至らしめるような物ではありませんでしたが、体を動けなくさせ、さらに少しずつ意識を奪っていきます。
それは青年がこの状態から回復するために必要な生理的な体の反応だったのかもしれません。
(この花のせいで森にいる動物も近づいて来ないだろ……まあ、寝るか)
次に目覚めれば体も回復しているだろうとして、青年は少しずつ意識を手放していきます。
目を閉じれば、微かに甘い花の香りがしました。
(……次に目覚めたときに、雪が始まってたら面倒なことになるが)
少しずつ少しずつ。
まるで眠りに落ちてしまう前のように、意識がほどけ、まとまらなくなっていきます。
霧散する意識の向こう側。
瞼の裏の闇がなお深くなるそのなかで、かさり、と青年の鼓膜を揺さぶる音が聞こえました。
それは、風の音ではなく、枝が揺れる音でもなく、足音だということを青年は気付きますが、花の粉によって落とされていく意識は元に戻りません。
−…………
(……あ?)
−……、…………。
(なんだ。言いたいことがあるなら、もっとはっきり喋りやがれ)
そうは思っても青年の唇は少しも動きません。
一度閉じられた瞼を持ち上げることさえ酷く億劫でした。
苛々とする心とは裏腹に、青年に語りかけてきた音の主は、それ以上は何も口にはしませんでした。
声のかわりに、青年の頬に小さな指先が触れてきました。
それはひどく辿々しくて、くすぐったいくらいに触れるか触れないかの、遠慮がちに伸ばされた指先。
(………………)
とん、と。
青年の……百里先に落ちた金貨の音さえ聞くことが出来る鼓膜が、小さな音を聞き分けました。
それは、小さな鼓動。
(……ちっちぇなぁ)
それは触れる指先の主のものだと、青年は気付きます。
その音を聞きながら青年は意識を手放しました。
青年は、この森のずっと向こうにある街で暮らす狩人です。
(街で暮らしているのに狩人を生業にしているのは割と珍しいのですが、浅からぬ縁から彼とともに暮らす三人の昔なじみのうちの一人も同じように狩人をしています)
腕はとても良く、喧嘩も強いのですが、いかんせん青年は乱暴が過ぎ……喩えるならば、『調子に乗っている』と当人が定めた判断基準により、そうと感じたものに対して情け容赦のない態度で接することが多々とあったので街の人々から恐れられていました。
共に暮らしている昔なじみにも喧嘩をふっかけることがあるほどでした。
彼らの場合は、相手にせずに軽く払いのけるのを常としていましたが。
(たまに、同じく狩人をしている青い髪の青年と取っ組み合いになることがありました。
そういうときは、年長の青年に後でこってりと絞られます)
あるとき。
青年は街で『呪いの森』の噂を耳にしました。
ある日を境に暗く淀み、歪んでしまったその森は、人々から恐れられて誰も入り込もうとしません。
ですが人々が入り込まないがゆえに、獲物が多いのもまた、人々の噂になっていました。
屈強な男たちが徒党を組んで巨大な獲物を仕留めて帰って来ることもありましたが、逆に、返り討ちに遭ったのか二度と帰って来ないものたちも後を絶ちませんでした。
そんな色々なものを込めて噂になっていたのですが、それを耳にした青年は何かを思い立ち、呪いの森に狩りに向かうことを決めます。
しかもたったひとりで。
元々、ひとりで狩りをすることが多かったのですが、呪いの森に向かう、と言った青年を一緒に暮らしている昔なじみたちは一様に渋い顔をしました。
そもそも、なぜわざわざ遠くの森まで向かう必要があるのか、と。
獲物が目的なのかと問われ、青年は頷きました。
そして、それだけが目的ではないのだと、言いました。
その目的が何なのかは青年は言いませんでしたが、止めても無駄であることは昔なじみたちはわかっています。
ただ、呪いの森のあたりはもうすぐ吹雪の季節になるから、それまでに帰って来るように、と言い含めました。
そうして、青年は狩りに向かいました。
呪いの森へと。
深く、歪み、澱みに堕ちた森の奥へ。
tasty dish and the Beast 01