ふと気がついて窓の外を見れば、いつの間にか大粒の雨が降っていた。

「あー、雨降ってるしー!」

 それを見つけたリンがパタパタと軽い足取りで窓辺へと近づいていく。

「さっきまでは曇りだったのに、いつのまに降ってきたんだろ」

 少女特有の高く、明るい声でそう言いながらリンが「ねー、お兄ちゃん?」と後ろへ振り返る。
 視線の先は、先ほどまでリンが座っていたソファの向かい側。

「知らねぇ」

 興味ない、と言いたげに話を振られたサニーが言い捨てる。
 視線は妹のほうを見ようともせず、自身の爪先に注がれていた。
 もう片方の手に硝子製の爪ヤスリを手にして、爪先を整えているのに意識を集中させているのだろう。
 しゃりり、と独特の音が響く。

 そんな兄のつれない様子にはリンも長い付き合いで慣れっこなのだが、「もうっ」と頬を膨らませて腰に手を当ててサニーを睨む。

「そんなこと言っていーんだし? 今日、小松さん来るのに」

 リンの言葉に、サニーの手が一瞬だけ止まる。
 それは直ぐさま、なんでもないと言いたげに動きを再開させたのだが、リンはそれを見逃さなかった。

 今日はこの第一ビオトープに、小松が顔を出しに来ることになっていたのだ。
 名目上は、IGOの使いで、ということになっている。新種の食材云々で現場の意見を取り入れたいという名目もある。
 それに合わせて、今回はリン(ついでにマンサム)が『新しいフレグランスが出来たの! 小松さんの料理にも役立つかもだから、ちょっと見に来てほしいしー』という提案も相俟って、ここに来ることになっている。
 一応、料理というか、レストランに添える香りとしての使い道もあっての申し出だ。
 
 ただ、まあ、久しぶりに顔を見たいというのも本音だった。
 リンは『猛獣使い』という肩書き上、この島から離れて頻繁に外で出歩くのは難しい。
 だからこそ、友人に会う機会はあれば利用するのも悪いことではないだろう。

「会いたいなら素直に言えばいいのに」
「っるせ」

 サニーも研究所にちょっとした用事があって帰ってきたところだった。
 ただ、その用事とやらは既に終わっていて、帰ろうと思えばとっくの昔に出て行くことも出来ていた。
 ならなぜサニーはここにいるのかと言えば…それは、「お察し下さい」ということで。

 しかし小松がヘリに乗って来る、という時間帯になって降り始めた大粒の雨に、リンは小さく肩を下げた。

「雨が強くなったら、ここまで来るの中止になっちゃうかもしれないし」

 まわりを大海に囲まれたこの島の気候は、時に激しく移ろうことがある。
 大粒の雨、ということは、海の上はきっとここより雨も強く…何より、風も強くなっていることだろう。
 いくらIGO所有のヘリとは言っても、急な天候不順に堪えきれるほどではない。
 特に、風はヘリの操行上、もっとも気をつけなければならないもののひとつだ。
 気流を操って飛ぶことの出来るような構造上、風の急激な変化は、いつ何時、大惨事を招き入れるかわからない。

「……あーあ、」

 眉をハの字にしてリンは見上げていた窓から視線を逸らす。

「ウチも、久しぶりに小松さんに会いたかったんだけどなー…」

 この前会ったのはいつだったけ? とリンは残念そうに溜息をついた。
 あんまりにもしょげた様子にサニーもついに手元から顔を上げて彼女のほうを見る。

「…………あいつの作ったもんが食いたいとかじゃなくて?」
「それもあるけどっ!」

 ぼそりと呟いた言葉に、リンがバッと顔を上げる。
 先ほどのしょげた心はどこにいったのか、赤い顔でサニーを睨んだ。

「もう、おにーちゃんのバカ! デリカシーってもんがないし!」
「んじゃ、いらねーのか?」

 しかしながら妹の反論に動じることもなく、サニーはあっさりと問い返してくる。
 その言葉に、リンは「うぅっ…」と少しだけ呻いた。

「そ、そりゃ…それも楽しみっていうか……小松さん、新作のお菓子作ってきてくれるって言ってたし…」
「っろうなー?」
「だって、小松さんのお菓子美味しいんだもん!」

 白状したリンに、にやにやと口元を緩めながらサニーが言う。
 遊びに……ではなく、研究所に顔を出すことになって小松は、リンと「来るときに新作のお菓子を持って行く」という約束を交わしていたのだ。

 だってだって、とリンは重ねて口を開く。

「この前飲んだセンチュリースープもそうだけど、なんか小松さんの腕すごい上がってるし!
 ちょくちょく送ってくれるお菓子とか、すっごく美味しいんだもんっ」

 その味を思い出しているのか、リンが少しだけ頬を紅潮させて首を横に振る。
 そんな妹の様子を半眼で眺めていたサニーだったが、『太るぞ』とは言わなかった。
 忠告しなかったのではなく、ただ単に、そういう気分にならなかっただけだが、手にしたままだった硝子のヤスリを机の上に置いてリンから視線を外して窓の外を見る。

 窓の外は、相変わらずの雨模様だ。

(…………っくしょ)

 小さく胸の内で毒づきながら、サニーはリンに気づかれない程度に目を細める。

(会えると思ったのにな……イミング悪ぃの)

 そう言い、静かに…本当に静かに、サニーが息を吐く。




 それと同時に、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。






雨を見上げて、 −兄と妹−