「あ、そうだ」
「はい?」

 ようやく気配を落ちつかせた(おもに背後の真っ黒な重い空気を)二人を前にし、小松が何かを思いついたかのように軽く手を叩く。
 その様子に滝丸が首を傾げて小松のほうを見、マッチも何も言わないが視線だけで彼の発言の先を促す。

「実はボク、新作の料理を今夜出したんです! よろしかったら、それを食べていただけませんか?」

 自身の職場とはいえ、客人の食事に自分の希望を盛り込むのは客商売としてはあまり褒められた行為ではない。
 それを小松もわかっているはずだ。
 滝丸も、そしてマッチも何も言わずともそのことを脳裏に思い浮かべて少しだけ眉を顰めるが、小松はと言えばニコニコと笑った顔のままで二人の返答を待っている状態だった。
 無理強い、ではなく、彼なりの「おねがい」も入っているのだろう。
 
 つまりそれは、

「…今回のそれが、お前の自信作ってわけか」

 人に勧められるほどの、自分の会心の出来だということの現れでもある。
 どこか挑発的な笑みを口元に讃えたマッチの一言に、小松は少しだけ表情を引き締めて「はい」と言い切ってから一度だけ浅く頷く。
 椅子に腰掛けたままの滝丸とマッチはその小松の表情を数秒ほど見つめていた。そしてほぼ同時に、楽しげに口元を緩めてみせる。

「なら、その自信の程を確認させてもらうのも一興だな」
「『シェフのおすすめ』。実食させていただきます」

 その言葉に、小松は勢いよく、それでいて短く答えてから早速自らが腕を奮うために厨房へと戻っていった。
 勿論、踵を返す前に、『客人』に会釈するのも忘れずに。



 ◇



 それからしばらくして、

 重苦しい(ほぼまわりを巻き込んでの重圧感)空気を払ってはいるものの、会話らしい会話もなく、滝丸とマッチは食前酒を口にしたり、前菜を黙したまま口に運んだりしていた。
 その雰囲気は客人はもちろんのこと、ウエイターたちであっても近寄りがたいものであり、その一角だけかき入れ時であるはずの夕食の煩さがない。
 
「お待たせしました」

 そこへ、カラカラと銀色のカートを自ら引いた小松がやって来る。
 声に引かれるようにして滝丸が持っていたフォークを傍らに置き、グラスを手にしていたマッチもそれをテーブルの上に音もなく静かに下ろす。
 二対の視線に動じることもなく、小松は型通りの挨拶をしてからカートの上に置かれた白いスープ皿を手に取る。
 スープ皿、とは言っても洋風の底の低いものではない。
 丸みを帯びた曲線。
 白い陶磁器に描かれた、原色の赤や青のコントラスト。
 
「……これは、中華か」
「はい」
「…ホテルグルメは結構何でも出す、とは聞いていましたけど…」

 二人の前に置かれたのは、中華スープ皿であり、その中には薄い色のついた透明度の高いスープが注ぎ込まれている。
 そして、そのなかに浮かぶのは特徴的な形をした白い皮に包まれた点心と、薄く刻まれた野菜。

「まさか水餃子が出てくるとは思いませんでした」

 てっきり、洋風のものが出てくるだろうと思っていた滝丸は目の前に置かれている皿にしげしげと視線を落とす。
 見た目は、何の変哲もないただの水餃子だった。
 目新しいものや、目に付く華やかさはない。
 
 だが、それだけで終わるのであれば、小松が…ひいては、料理人が客人に言ってまで食べてもらおうとはしないだろう。
 
 それがわかっているからか、それ以上は言葉もなく添えられたレンゲを手にとって中のスープと一緒に水餃子を掬い上げる。
 口元に近づければ自然とそのスープの仄かな香りが鼻腔を擽ることになる。

「………ふ、」

 その匂いからして、透明度の高いスープからは想像も出来ないほど複雑に絡み合った食材の香りがわかるほどだった。
 鶏ガラをベースにしながら、そこへ魚介類の澄んだ独特の香りがある。
 一通り香りを堪能したあと、レンゲの中の水餃子を口の中に含む。
 モッチリとした舌触り。
 そこへ歯を立てた途端、ぷつん、と音を立てて皮が破れ、中からじんわりとスープが染み出してくる。

「………これは」
「水餃子のなかにも、別のスープがある…?」

 だが、その中にあったのは『皿のなかにあるスープが染み出したもの』ではなく、別のもの。
 そのことに気がついた二人が驚きに少しだけ目を開くのを見て、小松が嬉しそうに破顔する。

「さすがにお二人ともすぐに気がついてくれましたね!」

 工夫に気がついてくれたこと、何より味の変化に驚いた様子にニコニコと笑う小松に滝丸が目を丸くしたまま振り返る。

「一口…いえ、皮を破いたその瞬間に中から別のスープが出てくれば誰だって気がつきますよ」
「よく中のと混ざらなかったな」
「そこは、皮を工夫してどうにか。
 あ、それとスープは素のは魚にして、水餃子のなかには貝を使ったものにしてみたんです!」
「ああ、なるほど、それでスープの系統がなんとなく似ているんですね…」

 そんなことを言い合いながらも口に運ぶレンゲの手は止まることはない。

「センチュリースープを作っている時に、なんとなく思いついたんです。
 それなら、スープ、水餃子、それからそれを混ぜてって味に変化もつけられますし」

 そういう工夫はわりと当たり前のようにある。
 だがそれにあう食材を見つけてくるとなれば話は違ってくる。
 一欠片、一つの食材、それを変えただけでも、味は多様に変わり、うまくもなればまずくもなるのだから尚更だった。
 
「すごく美味しいです。これなら、何杯食べても飽きが来ないですし」
「選んだ食材もいい」
「お褒めにあずかり、光栄です」

 にっこりと笑って小松が頭を下げる。
 そのまま、しばらく3人は料理を間に挟んであれやこれやと話を進めていく。
 一応、水餃子を出す前に厨房の様子は確認済みで、自分がいなくても回るようになっているのは小松も確認済みだ。
 今夜の料理のことや互いの近況などを話すうちに、ふとマッチが小松のコックコートの首元から銀色のチェーンが揺れていることに気がつく。

「小松」
「はい? どうかしましたか?」

 名を呼ばれて小松が丸い大きな目をマッチのほうへと向けて問いかけてくる。
 何となく気になっただけなのだが、向かい側にいる滝丸も不思議そうに視線を投げかけてきたこともあって、その疑問をマッチは口にすることにした。

「いや、チェーンが見えたからな」

 お前にしては珍しい、と、センチュリースープの一件で知り合いになった小松の性格を考えて、アクセサリの関係を身につけるというのが思いつかなかったこともあっての疑問だった。
 マッチの指摘に滝丸も体を少しだけ浮かせて小松の首元を見て、「あ、」と声を上げる。
 二人の視線に小松は少しだけ眉を寄せた。

「あぁ……すみません、一応、指に嵌めるのはどうかと思ってこうしてるんですけど…」

 そう言いながら小松が首元に指を入れて、銀色に輝くそれを取り出す。
 指に嵌める、という言葉どおり、チェーンの先には指輪が通されていた。
 シンプルな作りの、チェーンと同じく銀色に光っている。

 その指輪の『意味』を滝丸は思いつかなくて目を丸くしていたが、マッチは歳の、というより踏んだ場数から何となく察した。
 だが、察したその内容が思いも寄らないことで、彼にしては珍しく驚きに目を見開く。

 小松は照れくさそうに指輪へと指先を滑らせる。それが大切なものであるのがわかるような仕草で。

「あの、すっかり言うの忘れてたんですけど、ボク、結婚したんです」



 時が、止まる。



 それからきっかり十秒後。
 外聞もなく滝丸が「………ええぇぇぇえぇぇぇぇぇっっ!?」と叫び、マッチは持っていたレンゲを掬い上げていた水餃子ごとボチャン、と音をたててスープのなかに落下させてしまうのだった。






報告までのエトセトラ。 報告のこと。