とあるうららかな午後。
 もうすぐ夕暮れ時になろうかという時間帯でもあり、それはすなわち、夕食時に近いということもあってホテルグルメではいつものように賑やかな雰囲気に彩られていた。
 客人が多いということは、直結して厨房が忙しいということなのだが、それは嬉しい悲鳴であり苦労でもある。
 熱気と掛け声、調理台で振るわれる器具と食材たちの音。
 さながら一種の戦場のような気迫さえ感じられる。
 そのただ中で、小松は指示を的確に飛ばしながら、ふぅ、と軽く息を吐いて緊張感を少しだけ緩めた。

「料理長ー」

 そこで、厨房から続く出入り口から声が掛けられ、小松が振り返るとウェイターがこちらを覗き込んでいるのが見て取れた。
 何かあったのだろうか?
 今日は顔を出すような予約客もなかったはずなんだけど、と頭のなかで考えながら「はいよ!」と勢いよく返事をして小走りに近づいていく。

「すみません、忙しいところ」
「気にしなくていいよ。それより、何かあったの?」

 遠回しに何か問題でも起きたのかと聞いてみるが、ウェイターでもある青年の顔に浮かぶのは微妙そうな表情だった。
 問題、というかクレームの類ではないらしい。その緊張感がないから、口に出さなくても何となく小松にも伝わってくる。
 しかしながら、何か起きなければ呼ばれることもないので小松は首を傾げた。そんな彼の様子に、目の前の青年が少しだけ困ったように苦笑を浮かべた……どことなく、同情しているような顔だった。
 小松の身を案じているような、憐憫を抱いているような、そんな顔。

「……もしかして、トリコさんたちが来たの?」

 その表情から予測だにしたくない(おもに貯蔵する食材的な意味合いで)事態が起きているのではないかと予想して小松が聞き返す。
 懇意にしている自身の身を思っての反応だろうかと小松が聞くと、その予想に反して、青年は「いいえ」と首を横に振った。

「そっちじゃなくて、」
「そっち?」

 そっちもなにもあったものじゃないんだけどなー、と小松は思う。
 少なくとも、知り合いという意味では正しいのだが、トリコ達ではないのだということなのかもしれない。
 なんとなくそう思っていると、溜息とともに青年が話を切り出した。

「料理長、お手間を取らせてすみません。ですが、あの雰囲気をどうにかしていただかないと……」
「……えー…」

 何があったんだろう。
 だが思うよりも見てきたほうが早いので、小松は背後を振り返って指示を飛ばし、その場に向かうことにした。

 ◇

 レストラン内の雰囲気は、というより、フロアの空気は厨房から一歩足を出したその瞬間から張り詰めているのがわかるくらいの重さを漂わせていた。
 小松がその場にいる人々の視線も気にせず、うわぁ、と呟くくらいには膠着状態だった。
 空気が重い。
 まるでこのフロア一帯の空気だけが時間停止でもかかっているんじゃないという比喩が使えるほどだと言えばわかりやすいのかもしれない。
 それでも小松は足を止めることはなかった。
 停止した空気のなかを淀みのない足取りで進んでいく。
 見れば客人はいるが、その誰もがある一方へと視線を向けないようにしているのが見て取れた。
 その方向へとあたりをつけて進んでいって……そこで小松は、あ、と声を上げる。

「マッチさん!?」

 その空気の一端を担っていると思われる人物の姿に小松が驚いて思わず声を上げてしまう。
 小松の呼びかけに日本酒(一応、酒類のひとつにレストランには数多くが常備されている)の入ったグラスを傾けていた強面の男が緩慢な、それでいてどこかきっちりとした仕草で振り返って「よぅ、」と軽く返事をする。

「それに、滝丸さんも!」

 そしてその前方。
 テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたのは、滝丸だった。
 「こんにちは」と礼儀正しい作法で滝丸は頭を軽く下げる。

 ………すごい組み合わせだった。

 この空気の原因が何となくわかったような気がして、小松は胸の内でこっそりと溜息をつく。

「どうしたんですか、お二人とも」
「オレは仕事のついでだ。思ったより早くに終わったんで、食事でもしていこうかと思ってな」
「ボクも似たようなものです…でも、まさかオジサンと一緒になるだなんて」
「それはこっちの台詞だ。なんでお前とこうして顔付き合わせて食事しなきゃならない」
「あ、あはははは……ふたりとも、もう少し穏便に…」

 おそらく、食事に来たときにばったりと出くわしたのだろう(なんというタイミング)。
 そして件のセンチュリースープの一件で二人のことを知っていたウェイターが気を利かせて……善意であろう。きっと、おそらく。その善意がこの雰囲気を生み出した原因というには、あまりにも可哀想なので目を瞑っておく……、二人を同じ席につかせたのだ。
 結果は、見ての通りだ。

 漫画的な表現を用いるのであれば、バックに暗雲としたものが描かれそうな雰囲気のなかで小松は乾いた笑いを浮かべることしか出来ない。

「………とにかく、」

 それでも改めて、こほん、とわざとらしい咳払いをひとつしてみせる。
 その音に睨み合っていた(表情はあくまでも無く。そのほうが余程怖いのだが)マッチと滝丸が小松のほうへと揃って振り返った。そのタイミングの良さに、小松はこっそりと笑う。

「よく来てくださいました」

 お二人のひとときの食事が、幸運なものであれば嬉しいです、と小松は言った。






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