忘れがちになってしまうのだが、小松という人物は実はとても多忙な生活を送っている。
当たり前だ。
あの若さで五ツ星ホテルの料理長。
忙しくないわけがない。
それでいて、たまに懇意にしている美食屋たち(その誰もが、美食屋四天王と称される傑物揃いだ)と危険区を含めてのハントに出かけたりもしているのだから。
あの小ささで良くその多忙な生活を過ごせる、と真顔で問うたら顔を真っ赤にして怒られた。
(少なくとも本人に言っていい内容ではないのだが、ずばりと言ってしまうのが鉄平の悪いところなのかもしれない)
……それはまあ、おいておくとして。
さて。
そんなこともあって、小松との連絡は大抵携帯メールが主だった。
繁忙期でなければたまに電話越しに話をすることもあったのだけれど、近々新作のフェアを開催するのだそうで試行錯誤に悪戦苦闘しているのだそうだ。
その旨を知ったのは、朝に送ったメールが真夜中に返ってきたときのこと。
返信が遅くなったことへの謝罪と、しばらくは電話も出来そうにないとのことが言葉を選びながらも書き連ねられていて、少しだけ目を丸くした。
メールは何とか出来そうだけど、返信自体が遅くなることが書かれていて、それから「すみません」という少しだけ悲しそうな文面。
…それを見た瞬間に、脳裏に体を縮ませて肩を落とし、眉をハの字に下げてしまっている様子が容易に想像できてしまった。
想像してしまったら、仕方ない、と溜息をつくしかない。
鉄平が携帯電話をいじっている横で、小松からの連絡はないかとユーンユン、と鳴いているユンユンにも、しばらく我慢してもらう他はないだろう。
折りたたみ式の携帯電話をぱたん、と閉じて溜息をつきつつ、横にいるユンユンのほうへと腕を伸ばす。
ふわふわとしてやわらかく、あたたかな感触が抱きしめる腕といわず触れた肌、服越しからでも伝わってきた。
「……小松くんは、しばらく忙しいみたいだ」
何の気無しにそう言葉を落とすと、ユンユンはわかっていないのか無垢な瞳で不思議そうに鉄平を見上げる。
ユン? と首を傾げて、小さな瞳を何度も瞬かせていた。
「…ちょっと寂しいかもしれないけど、我慢しような」
そう言いながらゆっくりと腕の中のユンユンの頭を撫でると、その感触が嬉しいのか気持ちよさそうな鳴き声が鼓膜を揺らしていた。
それから約二週間。
予想通りというか、小松の宣言通り、電話は勿論のことメールも二日に一度不定期に返ってくるほどに状況は深刻化していた。
ユンユンのこともあり、一日に幾度もメールの交換をしていたことに懐かしささえ感じるほどだ。
新着件数のない画面を確認して、鉄平は溜息をつく。
「ていうか、これはちょっと想定外……」
呟きをもらし、視線を宙へと彷徨わせる。
鳴らない着信音がこんなにも気になるなんて思いもしなかったなぁ、と独りごちてしまう。
「おうおう、なんだ鉄平」
そこへ、不躾というか聞き覚えのありすぎる声が聞こえてきて鉄平は、ぱちん、と閉じていた瞼を開けた。
その声に少なからずの呆れの意味が含まれているのを察しつつも、呼ばれたのだから振り返らなければいけないのが弟子としての悲しいところかもしれない。そもそも、無視しようものなら何をされるかわかったものではない。
………いや、意図的に無視したとしても、気にも止めないかもしれないが。
「なんです、師匠。言いつけられた用事ならすませてますよ」
まあ、それを試す気にもなれない。
視線を滑らせると予想通り、葉巻樹をくわえた与作の姿があった。
そして、その太い方腕にはユンユンを抱いている。絵面的には何とも似合わないことこの上なかったが、気にするような人物ではないので言ったところで無駄だろう。
ユンユンも(元々、警戒心が0に等しく、好奇心旺盛な上、人懐っこい)抱っこされるのが嬉しいのか、パタパタと短い足を揺らして楽しそうな鳴き声を上げていた。
「うるせぇ。お前がんなしけたツラしてるからどうしたんだっていうオレの親心がわかんねぇのか」
「おやごころ……」
うわぁ、これほどその言葉が似合わない人物も珍しい、と鉄平は心のなかで盛大にツッコンだ。
嘘くささもここまでくると伝説レベルものであろう。
盛大に不服そうな鉄平の表情に気づいているのだろうが、やはり気に止める様子もなく与作はドカリと椅子に腰を下ろす。
葉巻樹の煙をくゆらせると、ふぅー、と宙に吐き出した。
「なんだ、お前、恋慕でもしてるみたいな顔だったぞ」
沈黙が。
これ以上ないくらいに静けさを伴った沈黙がその場に流れた。
ただ一匹、空気の変化に気づいていないユンユンが空中に漂っている煙を物珍しそうに目で追いかけている。
「…………は?」
思わず唖然として絶句した鉄平には、そうとしか言葉を紡ぐことが出来なかった。
盛大な疑問符が頭の上を流れているのに対し、そんな弟子の様子になど二の次で与作は何度も深く頷いている。
「あれだ。よくドラマとかであるだろう。遠くにいるから連絡手段がメールくらいしかなくて、それを待ってるっていう場面」
「いや、あの…あるかもしれないけど…てゆうか、師匠、そんなの見てたの?」
似合わない。
失礼な話だが、これほど似合わない単語も珍しい。
「物のたとえだ、聞き流せ……でだ。
何度も無意味に携帯画面を覗き込んだりしてるのなんて、そのパターンそのものだろうが」
与作はあくまでも例えとして口にしているのだが、その仮説を聞かされた鉄平は硬直状態からしばらく抜け出すことが出来なかった。
……来ないメールを待っている。
無意味に画面を眺めている。
確かに。
確かに、それは恋愛ものとしては恋慕している様子のよくあるパターンだ。
パターンなのかもしれないが、それがまさか自分に当てはまることがあろうとは…
「…………えぇ…っ…?」
困惑しきった様子で素っ頓狂な声を上げて鉄平は頭に手を伸ばす。
手の中の携帯は相変わらず、沈黙を守ったままだった。
「他人から聞かされて自覚する」
「混乱中なので、認めてはいないのですけどね。自覚と、認めることは、別物ですから」