暖かな湯気の溢れたホットミルク。
 そこに甘い匂いのするショコラと、丁度良い配分に調節されたチョコのついた串をそっとくぐらせていく。
 ゆっくりとミルクの中でかき回していくと、白かった液体が溶け出したチョコの色に染められていくのが見て取れた。
 それとともに鼻腔に甘い、芳しい匂いが漂ってくる。
 ちゃんとテーブルの上に置いているのに、それでもなお香りを楽しめるとは流石の一言につきる。
 やがて手元の重さがなくなっていくのを感じてミルクの中から櫛を取り出せば、そこにはもう何もない。
 それが出来上がりの合図でもある。
 暖かなカップに手を添えて、口元に持っていけば匂いとともに口の中いっぱいに何とも言えない甘みが広がっていくのがわかる。

「あまぁー……」

 思わずそう呟いてしまうが、それはけして甘いだけではない。
 絶妙のカカオの苦みと、チョコの甘さが舌の上で解けるように解けていくのがわかる。
 呟きと同時に極上のハーモニーを奏でる味に自然と緩みまくる頬を止めることが出来ない。

「うん、これは中々美味しいね」
「普通ならただのココアかと思うくらいのとこが多いけど、ここは別格だな」
「ですよね!」

 丸テーブルの両隣から聞こえてくる声に勢いよく小松が返事をする。
 その声に右にいたココは品良く笑うものの少しだけ困ったように眉を寄せ、左のサニーが『前は騒ぎすぎだ』と先ほど口にしたチョコムースの取ったフォークで小松を指す。
 さすがにサニーのやり方は品がないのでココがそれとなく止めたが、指されたほうの小松は我関せずだ。
 と、いうより目の前にどこぞの満漢全席かと思しき品揃えのデザートの各種がけして狭いと言えないテーブルにこれでもかというほど並べられている品々に意識を完全に持って行かれていた。
 先ほどのホット・チョコレートは前菜にもならない。
 ケーキの各種は勿論のこと、一流のショコラティエが腕とその人生をかけて集めてきたとされるチョコ関係の菓子の種類は半端ではなかった。

「でも、どれもこれも手を抜いた様子はない。
 ……うん、このザッハトルテも美味しいね。小松くん、こっちのも一口どうぞ」
「確かに。まあそれでもんな食い過ぎたら、あとの肌が怖ぇけどな……松ー、オレのストロベリーのヤツも食うか?」

 そんなやりとりをしながらも二人とも自分の前に置いてある皿から好みのものをそれぞれ好きに口にしている。
 ちなみに、先の二人の後半につけられた誘い文句に、小松が嬉々として『是非!』と返事をしたことも追記しておこう。
 これまた数種類のチョコレートを混ぜたザッハトルテを一口、口にして「う、うみゃー!」と大騒ぎの小松に苦笑を見せつつも、ココの表情はあくまでも軽やかだった。

「いいんじゃない? 大抵のはトリコが食べちゃうだろうし」
「あー……」

 そう言い合って二人は自分たちの席の両隣。
 小松にとっては真正面に陣取って、先ほどから普通の人間が見たのであれば胸やけのしそうなスピードでデザートを平らげているトリコを見やる。

「お。そっちのはバナナチョコか! 小松ー、一口!」
「一口って言いながらトリコさんのは丸ごといっちゃうじゃないですか! ……まあ、いいですけど、あ、このバナナ、甘露バナナですよ。すっごい甘いのに、チョコの甘さとすごくあって美味しいんです!」
「そりゃいい!」

 一口ではなく、もう一つ皿の上に乗っていたそれをトリコのほうに小松は手渡す。
 ただ、小松ではテーブルの半分にも満たなかった差し出し方ではあったが。そこは気にしてはいけないだろう。
 にこにこと笑う小松もそのことにはまったく気付いておらず、ご満悦の表情だ。
 ただし、日頃付き合いのある面々からしてみれば今日のトリコの食べる速度は驚くほど遅い。
 ひょいひょいとスピードを緩めることなく咀嚼しているが、それにしたって驚異的な遅さだ。これは、調子が悪いというわけではなく、ここに来る直前に腹のほうをほぼ満腹状態にしてきたことが理由に上げられる。
 さもないと、確実に出入り禁止を喰らうからである。
(今日のこの状態も、予約無しであれば店から顰蹙を買うようなレベルだが、そのあたりはきちんと予約を取り、全種類を『それなりの量』で出してもらえるように頼んでおいたのでまだ大丈夫だ)
 出入り禁止は、まあ仕方ないという部分もある。トリコに言わせれば。
 だが、今回のこのチョコ三昧は小松のたっての希望でもあるのだ。

 小松曰く、

「一度でいいからこの店のバレンタインデー限定フェアに来てみたかったんです!」

 だ、そうだ。
 そう。時は猫も杓子も『バレンタインデー』である。

「普通のお店なら、バレンタインの前日か、その一週間前にもフェアを始めそうなのに、ここは当日限定なんだってね」
「そうなんですよ! まあ、バレンタインでなくてもこの店は有名なショコラティエの人が専属でいて、チョコのデザートに関しては凄く評判がいいんですけど、バレンタイン限定のお菓子がそれはもう美味しいし、種類もあるって聞いてて…」

 それを食べられることが今日出来て小松は本当に嬉しそうだった。
 緩む表情に惹かれるようにココが、そう、と相づちを打ちながら微笑を浮かべる。それはもし彼のファンが目の前にしていたら十中八句、腰が砕けて立てなくなるような甘いものだが、当の小松は気付いていなかった。
 ココもその程度はもう慣れたものなので気にした様子もない。

「でも、んとによく前、今日休みが取れたよなぁ…」

 そこでサニーが疑問に思っていたことを小松にぶつけてみた。
 そう。
 今日はバレンタインデーであって、ホテルグルメの料理長でもある小松にとっては休みたくても休めない日のトップテンには確実に食い込むレベルの日取りのはずだ。
 そんなサニーの疑問に、小松は咀嚼していたプラリネを飲み込んでから遠くに視線を投げかける。

「今日のためにそりゃあもう頑張りましたから……」

 下準備は勿論のこと、企画立案、試作品、それを詰める箱のデザインの決め、バレンタイン限定ランチやディナーの新作レシピなどなど…
 それはそれは彼曰く『頑張った』のだそうだ。
 普段があまり自ら頑張ったなどと口にしない小松がそう言うので、その苦労というか、今日のため、今日の休日をもぎ取るためにかけた労力は半端ではなかったのだろう。
 それを察してココがサニーを見やり、彼も視線を流す。
 互いに視線だけで何かを察したように頷いた。

「ん、よくやった」
「今日は自分へのご褒美もかねて楽しめばいいよ」
「それは勿論です!」

 今日は楽しみます! と小松はひらすらに明るかった。
 その様子にココとサニーは勿論、先ほどからチョコにかかりきり(食事をしているときのトリコほど静かなものはないだろう(失礼な))のトリコも表情を崩す。
 
 ただ、忘れないで欲しいのは、

 ……先ほどから話題に出しているはずの『バレンタイン』の意味を、小松がコロッと忘れていないかということ。

(まあ、こればっかりは仕方ないけど)
(オレたちを誘ったってだけでも及第点だろ)
(まとめて誘うあたりが…ま、小松らしいといえばそこまでか)

 などと三者三様に思いながらも表情や言葉、そして感情に出すことはあえてなく、美味しいデザートに舌鼓をうつことになる。
 時折、口にしたチョコに触発されて小松が新しいレシピのことを話題に出したり、
 ココがそのレシピに合いそうなチョコの種類を口にしたり、
 トリコがそれなら今度のハントはそこにするかと嗚呼可笑したり。
 サニーが形や美容も大切にしろと口出ししたりと四人が囲むテーブルに笑い声と、話す声が途切れることはなかった。
 














 さて。
 ここから先は余談になれば、というのであればそうであろう。
 話題にも出ているとおり、今日はバレンタインである。
 『男性から女性へプレゼントを贈ること』もあるが、『女性から男性へ贈り物をする(愛の告白つきで)』というイベントの意味合いも、あるのだ。
 だからこそ今日、こうして四天王(−1)がそれぞれに着飾り、集まっていれば多少なりとミーハーな野次馬なり、乱入者なり出てきそうなもの。
 だが、今日は静かだった。
 ……と、いうよりは静かにならざるをえなかったのである。

 今、四人が囲んでいるテーブル席は店の奥。
 小松をちょうど上座にして壁と外の景色(テラス(只今封鎖中))を背にし、その正面に陣取っているトリコのところから彼らに近づかなければならなくなっている。
 なので、そこさえ塞いでしまえば、誰も近寄って来れないのだ。

 小松はまるで気付いていない。
 あえて気付かないように仕向けているのだが、満足げにデザートを口にしているトリコの背後から『近づいたらただじゃおかねぇ(鬼仕様)』のオーラが漂っているのである。
 門番の如く。
 さすがに、時折やってくるウェイターのために解くことはあるものの、それが常時あたりを包み込んでいるのだ。
 少し顔を出しただけで獰猛と言われる下位レベル(それでも常人には脅威の一言につきる)のグルメ動物たちが裸足で逃げ出すものなのだ。
 普通の人間がまず本能から近づけるはずがない。
 実際、今、トリコたちのテーブルの側に他に客はいない。
 たまにそのオーラをかいくぐって来ようとする猛者がいるにはいる。
 が、トリコのオーラをかいくぐれば次に待っているのはそれに即座に反応したココである。
 『近づけばどうなるかわかっているよねぇ?』と、無言で剱を喉元に突き立てられるようなオーラを向けられて無事でいられるはずはない。

 そういうこともあって、四人は至極のんびりとデザートの各種を満喫することが出来る。
 
 余談もこれにて終了。
 すべては余談であり、知らなくてもいいような話。

 なので、小松も知らないお話である。
 ……さすがに、『なんでまわりにお客さんが来ないんだろう』程度には不審に思いはしたが、すぐに目の前の絶品デザートの各種に心奪われていたので、良しとする。






甘い日。