喩えられることが多いのは、こいつの手が魔法を生み出すようだ、ということ。
体に見合った小さな手。
そこに薄く残る幾つも刻まれた傷痕は、培ってきた修練の数がどれほどであるかを物語っている。
けれどそれをおくびにも出さず、スイスイと紡ぎ出されていくその手際の良さはサニーではないが、確かに見ていて飽きるものではなかった。
「……トリコさん」
「んー?」
「そんなに見ててもいきなりは出来たりしないですよ?」
苦笑を浮かべながら言われてしまうと、そうじゃねぇとも否定できず二の句を告げなくなる。
否定しようにも、正直なオレの腹は言葉を告げるよりも先に盛大に空腹を訴えるものだから、尚更だった。
張本人を裏切って鳴り響くその音に、堪えきれなかったように小松が、プーッと勢いよく吹き出す。
さすがに、横を向いたのは料理人としてのマナーとも言えるだろう。
「す、すみませ、んっ…!」
謝罪の言葉を口にしているのに小松の笑いの衝動は引っ込む様子はない。
「小松、それ以上笑うとどうなるかわかってんだろうな…?」
「え、ちょ…! だ、だって、しょうがないじゃないですか! トリコさんってば、お腹……プーーーー!!」
「さらに吹き出しやがった!」
自分で言ったところで思い出し笑いがぶり返したのか、声をたてて笑う小松の声はあくまでも明るい。
だがオレの機嫌が急降下していく様子に気がついたのか、包丁を持っていないほうの手の甲で滲み出た涙を拭いて、もう一度、謝罪の言葉を口にしてから小松は横に置いてあった蜜柑の山から、幾つかをオレのほうに差し出して来た。
「とりあえず、これでも食べて繋いでおいてください」
「すぐなくなるぞ?」
「そこはちょっと調整してくださいよ…」
先ほどとは打って変わって困ったように眉根を寄せる。
…こうしてると、忘れてしまいそうになる。
実際、小松は本当にいつもと変わらない様子だ。
こうして、時たま遊びに来る時も普通にオレに料理を作ったり、新しいレシピのネタを乞うたり、テリーと一緒に雑魚寝をしていたりと、本当に変わった様子もない。
いっそ、あの時の告白がオレの夢なんじゃないかと思うくらいに、だ。
(そうだとしたら、なんとまあ馬鹿な白昼夢を見たのかという話になるのだが)
「そういえば、今、何作ってんだ?」
「お菓子が中心になっちゃいますね。あ、でもこの蜜柑でちょっとソースなんかを作ろうかと思うんですよ」
「ソース?」
「はい。柑橘系っていうのもあるんですけど、冷蔵庫の中にあった肉をちょっと…」
そんなことを言い合いながらオレに持ってきた蜜柑の幾つかを小松が手渡してくれる。
胸のところで抱きかかえておかなければ持って来れなかったこともあって、面倒だが、一つずつオレは差し出されるそれを受け取っていく。
すん、と柑橘類特有の匂いが、鼻腔の奥を擽った。
「あとはサラダとかもしてみようかと! あ、あと冷凍蜜柑もちょっと試してみたいかなーって」
屈託のない顔で矢継ぎ早に口にする料理の数々に、オレは少しだけ気分が良くなっていくのを感じた。
こいつの作るものは、うまい。
その手に刻まれ、覚え込んだ魔法のような、生み出されていく料理の数々はオレの心を満たしていく。
(満たして、満たして(目を、向ける必要も、))
その瞬間、ふと、その指先がオレの手に小松のそれが触れた。
小さな手だった。
やわらかな、人の体温。
自分とは違う、他人のもの。
それを感じて、あ、と思うよりも先に、小松のほうが反応が顕著だった。
「……っ!!!!」
今までの屈託のない顔が一息に崩れる。
ぐちゃり、と音をたてるかのように、表情が変わり、バッと触れていた手を振り払う。
ゴロゴロと音をたてて、蜜柑が床を転がっていく。
オレは突然のことに、唖然としていた。
「…あ…」
小松もそれは同様だったらしい。
だが、曇った表情のまま振り払った手を見る目が彷徨うように揺れている。
「あ、あの…」
何と告げていいのかわからず、不明瞭で意味のない言葉が漏れ出てくる。
それをオレは、ただ見ているしか出来なかった。
(何もしてほしいと思わない、だなんて)
(そんなの、なんて冗談)
繋いだ手 −「本当に、なんて冗談。いつもどおり? 何もしてほしいと思わない? なら、自分の心は、どうするの?」−