恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。

ローラン 「魅せられたる魂」




 真の強者というものは、常に笑っているものらしい。
 普通、いつも笑っているヤツなんて逆なんじゃないかとか言われそうだが、よく考えてみてほしい。
 笑っているのは、余裕だ。
 他の感情の入る余地がないほどの、余裕。
 崩されることのない微笑は、それ故に相手に絶対の恐怖を植え付ける。

 ……さて。
 なぜ、こんな話をいきなり始めたかと言うと。
 
「……………何を、」

 今、まさにその権化がそこにいるからである。
 声色はあくまでも穏やかだ。
 トリコからは見ることは出来ないが、きっと小松相手にはいつも魅せている穏和な微笑をその顔に浮かべているであろうことは想像に、た易い。
 
「何を、しているんだい?」

 ただ、そのオーラがとてつもなく、恐ろしい。
 背筋を這い上がる凄まじい殺意。殺気。悪意。憤怒。
 そんな負のベクトルが振り切れそうなほどの感情が痛いくらいに伝わってくる。
 
「あ、ココさん、おかえりなさい」

 しかし小松は暢気なものだ。
 と、いうよりココが器用にもその恐ろしいまでの気配を彼に向けていないのだろう……そう、そのすべてを今、小松の膝の上に頭を乗せたままの、トリコに向けた状態で。
 見なくてもわかる。
 きっと小松はココの声にいつもの笑顔を向けて言葉をかけているのだ。
 その証拠に、トリコに向けられていた針…この場合、ナイフだ。しかも軍用の特別サイズ…で刺すような殺意が薄らぐ。

「ただいま、小松くん。
 ………ところで、そこのバカはいったい何をしているんだい?」

 ちなみにバカを最も強調しているのだが、トリコはそれに反応を返すことが出来なかった。

「駄目ですよ、バカなんて言ったら」

 ココの毒舌にそう小さく返してから、小松の掌がトリコの頭の上を滑る。
 その瞬間、殺気がさらに増したのだが、やはり小松は気付いた様子はない。

「暇だーって言ってボクの膝を……で、そのまま寝ちゃったみたいなんです」

 そう。
 今、トリコは寝たふりを決め込んで目を閉じているのだ。
 先に小松の膝を借りていたのだが、頭を滑る手が心地よくて目を閉じたのは本当だ。ただ、そのまま意識を手放してしまうのはどうにも勿体ない気がして、結局のところ寝たふりをしてしまったわけで。

「へぇ……そう」

 しかしながらココはトリコの寝たふりなど、とおに気がついているのだろう。
 呟く声まで痛い。
 起きてもいいのだが、それはなぜだかココに負けた気がしてトリコは何となく瞼を開くことが出来なかった。

 …小松の側から離れるのも、少しだけ気が引けたというのもある。

 頭を撫でる小さな掌は、柔らかく優しく、ただただ、暖かい。
 小さく笑う声がトリコの鼓膜を揺さぶった。
 笑いの主は勿論、小松だ。

「……なんだか、小さな子供みたい」

 大の大人、しかも四天王を捕まえておいて子供扱いとは、さすがとしか言えない。
 だが、その言葉はけして不快なものを連れて来たりしない。
 笑う声も、撫でる手も、全部が優しい何かで作られたように心のところにすとん、と落ちてくる。

「………子供、ねぇ」
「あ、すみません」
「別にいいよ。いい歳にもなって人の膝枕を無理矢理奪取するようなヤツが分別のつく大人だとも言い難いし」

 ココの毒舌の鋭さは絶好調だった。
 機嫌の悪さにも比例しているのだろう。
 するとココはそのままスッとソファの端のほうに腰を下ろした。つまり、小松とは反対側で、トリコの足下のあたりだ。
 そのあたりにしか座れる場所はなかったとも言える。

 すぅっとココの片手が伸びる。
 ただし、それはちょうど彼自身の体の影となって小松から見ることは出来ない。
 トリコだけが、なんとなく肌で伸びてくる手を感じて目を閉じたまま嫌な予感に眉を寄せた。

「嫌なら嫌だと言うべきだよ。はっきり言わないと、トリコは気付かないから」
「そうですか?」
「うん」

 その片手が、トリコの足に触れる。
 触れるというか、なんていうか、そうこういうときどんな言葉を使えばいいのかと。

 そう、ロックオンされたのだと、言えば伝わるだろうか。

「そんなことないですよ」
「そう?」
「はい。トリコさんはボクが本気で嫌がることはしませんし……」
「つまり、今のこの状況もキミは嫌じゃないの?」

 ココの指が、

 的確に、トリコの足を、筋肉の筋(すじ)を、急所を、ねじ上げた。
 人の体のなかには急所と呼ばれるものが存在しているのは、誰でも聞いたことがあるだろう。
 ある程度それは鍛えることで回避できるとも言うが……忘れてはならないのが、トリコも、そしてココも美食屋だと言うことだ。

 美食屋の必須とも言える技術のひとつが、ノッキングである。

 ノッキングは、『獲物』の急所を、点を突く。
 正確無比に放たれたその一撃は、たやすく『獲物』の痛点を、締め上げた。

「……………いえ、まあ…恥ずかしい、っていうのは、あるんですけど…」

 激痛。
 常の状態ならば即座に悲鳴を上げるような、脳天を突き上げるその痛み。
 トリコは空白の叫びを堪える。

「恥ずかしいだけ?」
「………はい」
「嫌じゃないの?」
「……えーっと……」

 締め上げられた痛点が、更なる激痛を連れてくる。
 だが動かないトリコを一瞥して、ココはさらに指先に力を込めた。しかも別の場所を……より、痛みを発する場所を、的確に、そりゃあもう見事とも言える手さばきで、一撃を入れているのである。

 小松は考え込むように視線を落とした。
 その横顔を涼しい顔で眺めてココが返答を待つ。

「………………ココさん」
「ん?」
「…あの、言わないでくださいね」

 呟くその目元が、少しだけ赤く上気している。
 照れたように微笑む顔が可愛いと思う反面、その膝を占領したままの男を思うと心に殺意が湧いて、ココがさらに指先に力を込めた。



「ボク、
いてぇぇぇぇぇ!!!!!」



 小松の言葉は続かなかった。
 正確に言えば、ついに痛みに我慢できなくなったトリコが飛び起きたのである。

 すなわち、

 小松の膝の上から、飛び起きた。
 そうなるとどういうことになるのか、賢明な方々にはおわかりになるはずだ。

「あ」
「あ」

 飛び起きたトリコの後頭部が俯いていた小松の顔面にクリーンヒット。
 ガツン、と鈍い音をたてたかと思うと、そのまま小松は反動で後ろに倒れ込んだ。
 ソファのスプリングが激しい音をたてて小松の体を受け止める。

 ココは、まさかトリコが我慢するとは思わなかったので意固地になったところもあった。加減を知らぬ万力のような締め上げに、トリコが飛び起きるほどの激痛を与えるという考えに結びつかなかったのである。
 トリコは先ほどのココの指以外のダメージはたいしたことはなかった。

 だが、小松は、違った。

「こ、小松!?」
「小松くん、しっかり!!」
「ココ! お前が変なことするからこんなことに…!」
「うるさいよ! 元はと言えばお前が寝たふりなんかするからだろう!」
「そ、それとこれとは話が別だろ!」

 ぎゃいぎゃいと言い争いを始めた二人だったが、その横で小松は昏倒していた。
 いわゆるひとつの、脳震盪である。

 


 きゅぅ、と意識を失っている小松の、さっき何を言いかけたのかという答えは、今まさに言い争いを続けているトリコとココが気付くのはもう少しあとのこと。
 ちなみに、意識を取り戻した小松に二人が揃って怒られるのも、それとほぼ同時のお話である。






とらいあんぐらー?