小松が身につけたシンプルなタイプのエプロン。
 そのポケットから、てのひらサイズの小さなぬいぐるみが顔を出してこちらを見つめている。

「小松ー」
「はい? ご飯はまだ出来てませんよ」

 キッチンを自分の領土としてあちらこちらへと手際よく動き回っていた小松が振り返りながら答える。
 その答えは、トリコがいつも聞いてくるだろう言葉へのものだった。
 
 ただ、今回トリコが聞きたかったことはそこではない。
 
 思わず唸ったトリコの背後で、ココとサニーがブッと吹き出している。
 日頃の行いが悪いからだなどと言われる前に、トリコが、そうじゃなくてと切り返した。

「それ、なんだよ」
「え?」
「だから、そのポケットに入ってる黒猫のぬいぐるみ」

 指をさしながら指摘されて、ようやく小松がトリコの言いたかったことに気がつく。
 ちょうど、鍋に具材を入れたところで手が空いたので、濡れた手をエプロンの裾で軽く拭いてからそのぬいぐるみをポケットから取り出した。

 大きな丸い目。
 ピンク色の耳。
 デフォルメを強調されたその黒猫は、しかしただの黒猫というわけでもないようだった。

「……へそのところに十字架があるね」
「あとこれ、羽か?」
「はい。最近出たキャラクターグッズだそうですよ」

 トリコの前に差し出されたそれをココとサニーも視線を向ける。
 確かにそのぬいぐるみには猫ではあり得ないはずの、小さな羽を背中につけている。
 しかも、その可愛らしい口元から覗くのは、二本の牙。

「だそうですよ、ってことは、お前はこれが何なのか知らなかったってわけか」

 小松の言葉から、彼自身がこのキャラクターを知っていて持っているわけではないことが窺うことが出来る。
 だが、それなら何故これを持っているのか、合点がいかない。
 一応只今25歳の成人男性でもある小松が女子高生が欲しがりそうなこのちいさなぬいぐるみを欲しがるわけがない。

 指摘を受けて小松は困ったように眉を寄せた。
 小さな指先が、掌の上にのっている黒猫を撫でる。

「貰い物なんです」
「ほぉ」
「通勤途中にある喫茶店の店員さんからなんですけど…」
「前、そんなとこに通ってんのか」
「いいえ。朝の通勤のときに丁度開店準備をしていることが多くて、通りかかったら挨拶をしてくれるんです。
 それでたまに話をしてくれて…」

 顔見知りのその人物にトリコたちは何となく面白くなさそうに揃って眉を顰める。
 ただ小松は掌の上のぬいぐるみに視線を落としているせいか、その気配にも気付いていない。

「で、さっき買い物先でバッタリ会っちゃいまして。そしたら袋いっぱいに、このキャラクターグッズを持ってたんですよ。
 どうしたんですか、って聞いたら、『このこたちがお家に連れて帰って! て言うからそこのゲーセンで取ってきちゃった』って」
「……待て。その店員って女なのか」

 小松が真似をしたであろう口調から柔らかなイントネーションが聞こえてきてトリコがそう聞き返す。

「はい。おかしいですよね、ほんとにこの黒猫が言ったみたいに言うんですよ」

 その人、無類の猫好きなんですよー、とその人柄を思い出して朗らかに笑っている小松だが、それを聞いている三人の背後の空気が冷えて固まり始めている。
 しかしながら小松が気付かないのは、彼らの配慮の賜物であるのかもしれない。
 もし他の人間が見ていたのなら、恐怖で卒倒するかもしれないが。

「で、かわいいですね、って言ったら、じゃあこのこを可愛がってくれって。ひとつ、ボクにくれたんです」

 そう言われると小松のてのひらの上にいる小さな黒猫に一斉に鋭い視線が飛んだ。
 ただしぬいぐるみである黒猫は相変わらず真ん丸い瞳を三人に向けたままだ。微動だにしない。当たり前のことである。

「なあ、小松」
「はい?」
「それ、オレにくれ」
「え?」

 トリコの突然の申し出に小松が目を丸くする。

「ボクもそれ欲しいな」
「え、あの、ココさんも、ですか?」
「オレも欲しい」

 ココやサニーにも矢継ぎ早にそう言われて小松は困惑した。
 成人男性であるトリコたちがこの可愛らしいぬいぐるみを欲しがる理由がわからなかったからだ。
 先ほどの話しぶりでも、これを見たのは小松と同じく始めてであるようだし。

 その真意を推し量れるのなら、小松ももう少し、良かったのだが。

「……駄目です」

 そう言いながら小松は黒猫をポケットの中に入れてしまう。

「このこは可愛がってくれって託されたんですから」

 それに人からの貰い物を誰かにあげるのはあまり良くない。
 小松は真実そう思ったから、そう返したのである。

 トリコたちのブーイングが飛んできたが、それは聞かないふりをすることにした。
 踵を返して鍋のほうへ戻る。そろそろ、具材が煮える頃だ。
 その小松のエプロンのポケットから、黒猫は相変わらず丸い瞳をのぞかせている。

「欲しいなら別のを見つけて来ますから」
「そういう問題じゃない」
「えぇ…?」
「うん、小松くん、それとこれとは話が別だよ」
「え、だって、これが欲しいって…」
「松は全然、わかってねーな」

 揃って溜息をつかれて小松は困惑気味に眉を寄せた。
 
 互いの意思の疎通は、もうちょっと言葉にしないと伝わらないものである。






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