はた、と目を開けた。
 一瞬、ここがどこだかわからないタイムラグがあり、次いで、息が触れそうなくらい側で迫力のありすぎる美形の顔があった。
 ひぅっ! と悲鳴を上げたがその声は吃驚しすぎて声らしきものにはならず、目の前の男を起こすことはなかったのが幸いだろう。
 小松は悲鳴を上げたおかげで逆に冷静になった頭で、すぐ側にある相手の顔をまじまじと見つめる。
 優男だとか。
 女性よくモテるとか。
 そんなことを言われているが、確かに彼は、今小松のすぐ隣で目を閉じて寝息を立てているココは迫力のある美形だった。
 端正な顔立ち、眠っていても絵になる容貌。
 なんだかうらやましいなぁ、と思ったところで、小松はそろりと起きあがる。
 起こしてしまわないように、と音を極力立てないように注意する。そうでなくとも、部屋の中は静かで、ココの定期的な寝息がはっきりと聞き取れるくらいだった。
 素肌がシーツに滑る衣擦れの音は仕方ない。
 ベットから足をおろした小松は自分が下着しか身につけていないことに気づいた。
 仕方がないので何か羽織るものを、と部屋の中をぐるりと見回すが、小松が着ていたはずの服は見あたらない。
 ココが洗濯機に放り込んでくれたのだろうかと思いつつ、着るものがないのはさすがに困った。
 秋の気配が色濃く忍び寄る朝は、冷え込みがある。
 きょろきょろとあたりを見回して、部屋に置いてある椅子の背もたれにココのシャツが掛けてあることに気がついた。
 なにも着ないよりはマシだろうと思い、椅子からそれを取ると小松はシャツに腕を通した。
 シャツはやはり大きく、羽織っただけで太股のあたりまで隠してしまうくらいだった。手のほうに至っては腕まくりをしなければ指先さえ出てくれない。
 明らかな体格差にため息をつきたい気分になるが、ここでさらに音を立てるのも躊躇われた。
 小松が視線を滑らせると、先ほどまでいたベットの上のココは目覚めた様子もなく深く寝息を立てている。
 それを見ながらなぜか笑みがこぼれ落ちて、小松は唇を緩めて部屋の扉をやはり音を立てないように静かにそれを開けた。


 ◇


「キッス」

 玄関の外へと出るとひんやりとした朝の空気が肌を撫でていく。
 朝日と、そしていつもの定位置に漆黒の巨鳥がいて、小松は声をかけた。
 小松の声に気づいたキッスは顔を巡らせ、ア゛ア゛、としわがれた声で答える。大方、おはようと言っているのだろう。
 キッスの側まで歩いていくと小松に甘えるように嘴が伸びてくる。それに応じて小松もキッスを撫でた。
 甘えるような仕草が微笑ましい。
 頭を撫でられたキッスが目を閉じる。
 だが、すぐに何かに気づいたように漆黒の瞳を小松に向けてきた。

「ん? どうしたの」

 小松が不思議そうに首を傾げていると、キッスの嘴が彼の着ていたシャツに触れる。
 ああ、と小松もキッスの言いたいことに気がついた。

「ボクの服が見あたらなくて、ココさんのちょっと借りちゃったんだ」

 ココさんはまだ寝ているから、起こさないようにボクは出てきちゃった、と小松が言うと、わかったのかわかっていないのかキッスは丸い瞳を瞬かせる。
 ア゛ア゛ッ、と再び鳴いたキッスが小松の服を軽く嘴でくわえる。

「キッス?」

 甘えているのではなく、どこかへ誘導しようという動きだったので小松もキッスの意図することがわかない。
 首を傾げたままキッスの後ろの方へと移動させられると、そこにあったものに声を上げて驚いた。

「こ、これってグレープザウルス!?
 どこで見つけて、じゃなくて、捕ってきたの、キッス!」

 そこにあったのは体に葡萄の房が実るというグレープザウルスだった。房の数はそこそこといったところで、大人になってまだ日が浅いのだろう。
 驚いた小松に疑問を投げかけられたキッスだったが、答えられるわけもなく、ただそのグレープザウルスを小松のほうへと嘴で寄せた。
 その仕草に小松は目を丸くしながらも、キッスの言いたいことを考える。

「ボクに料理しろって言いたいの?」

 小松の答えはキッスのお気に召したらしい。
 嗄れてはいるが上機嫌の鳴き声で肯定されて小松の顔にも笑みが浮かぶ。

「うん、じゃあこれで何か作ろっか。
 成っている実はジュースにすると最高だって聞いたからお菓子にしちゃうのもいいなぁ。肉は、どうしよう」

 料理したことがない、と呟きながらも小松の頭の中にはいくつものレシピが浮かんでいる。
 ぶつぶつと呟きだした小松にキッスは漆黒の瞳を向けながら、ひとつ、鳴いた。
 その声で小松も我に返る。

「ん、そうだね。とりあえず待ってて」

 準備しいちゃわないと、と言いながら小松は家のなかへと向かっていった。
 その後ろ姿を見送り、キッスは大きく首を巡らせる。
 その視線の先には、主の部屋があった。感情の読み取れないその漆黒の瞳の理由は、多分誰にもわかない。


 ◇


 家のなかに戻ってきた小松だったが、レシピを考える傍ら、部屋に残してきたココのことを思い出した。
 もう起きているだろうか、と裸足のまま廊下を進み、寝室の扉の前まで来る。
 まだ寝ていたら悪いので出ていった時と同じように極力音を立てないように扉を開けて中をのぞき込んだ。
 部屋はカーテンで日の光が遮られているせいか、薄暗い。

「ココさん」

 そっと部屋のなかへ体を滑らせて名前を呼ぶ。
 返事はない。
 寝ているのなら起こすのも忍びないので、キッチンを借りてあのグレープザウルスを料理することにしようと思いつつ、小松はベットへとそっと近づいていく。
 そのまま部屋を出ても良かったのだけど、ココの顔を見ておきたかったからだ。さっきは失念していたが、そもそもココの寝顔を見ること自体、小松には珍しい。
 いつもココのほうが大抵、目を覚ましている。
 ベットのすぐ横まで来た小松は、中をのぞき込もうとした体を傾けたところで、ぬっと大きな腕が伸びてきた。
 え、と声を上げる間もなく、視界は180度回転する。
 太い腕の感触と、背中の柔らかなベットのスプリング。
 そして目の前には、

「おはよう、小松くん」

 にっこりと笑うココの顔があった。

「お、起きてたんですか!」

 突然のことに驚いた小松が声を上げる。
 ココは、うん、と楽しそうに頷いた。

「い、いつから」
「君がひぅって叫んだところあたりからかな?」
「結構前から起きてらっしゃった!? ていうか、なんで言ってくれないんですかっ」
「うん、なんとなく」

 なんとなく、って。
 意味が分からず小松は目を白黒するばかりだ。
 そもそも、今の状態は、なんていうか大変よろしくない。
 ココはズボンは履いているものの、上半身には何も身にまとっていない。彼が羽織っていたシャツを小松が着ていたせいもあるのだが、それ以外の理由については邪推して然るべきと言ったところであろう。
 しなやかな筋肉が目の前に晒されているというのは、視覚効果としては大変、言葉にしづらいのだが、迫力があった。
 奇妙な恥ずかしさに小松は羞恥をかき立てられて顔を横へ背ける。

「あ、あの、とにかく離してください」
「どうして?」

 ココが首を傾げるのが空気を通して伝わってくる。
 見てはダメだ。見たらきっといろんな意味で思考回路が断絶される、とこれまでの経験上、小松は視線もシーツのほうへ向けたまま困り果てる。
 その小松の視線の先へ、ココの腕が伸ばされる。
 ぎしり、とベットのスプリングが静かな部屋のなかでいやに響くのが聞こえた。

「小松くん」

 そのままココの顔が顔を逸らしたことで晒された耳元へと近づいてくる。
 重低音で、響いているその声に小松は赤くなるのが止められなかった。呼ばれるだけで無性に恥ずかしさがこみ上げてくる。
 そんな小松の様子に、ココが笑みをこぼした。
 ふふ、と空気を揺らす声だけで、何とも説明のしがたい、逃げ出したい衝動に駆られてしまう。

「あ、あの、えっと」
「うん?」
「キッスが、グレープザウルスを捕ってきてくれたんです!」
「うん、聞いてた」
「聞いてたんなら起きてくださいよ、窓のすぐ側じゃないですか」
「大丈夫。キッスならボクが起きてたって気づいてるはずだし」

 気づいてなかったのはボクだけですか! と小松は外にいるであろうキッスへの歯がゆい思いを募らせる。
 もっとも、気づいていても知らせる術は制限されているのだから意味はないのだけど。

「だ、だから、料理、しちゃわないと」
「あれならちょっと時間を置いても大丈夫だよ。
 それに今日は空気が冷たいしね」
「で、でも……!!
 さ、さわらないでくださいよっ」

 口ごもって何とかこの状況から脱しようとしている小松の意志をあっさりと流して、ココは小松のシャツの裾から手を滑り込ませていく。
 わき腹あたりをなで上げただけで、ひくり、とかすかに跳ねた体にココは唇の笑みを深めた。

「うん、ほんとは何にもするつもりはなかったんだけど」
「だったらっ」

 でもね、とココは小松の言葉を遮る。
 小松がそのことに驚いて思わず顔を上げてココのほうを見た。
 そして、顔を上げてしまったことに激しく後悔することになる。

「でも、小松くんがボクのシャツを着てるのを見たら、つい」
「ついってなんですか、ついって!」

 綺麗な顔で笑うその表情は、もう見ているだけで食らいつかれてしまわれそうな錯覚に陥る。
 真っ赤になった小松の首筋へココは顔を埋める。
 そのついでに肌に唇で直接吸いつくと、小松の反論が止まった。
 ぺろり、と首筋を舐め上げ、唇へと小さく口づけを落とす。
 すでに涙目の小松に、ココは極上の微笑みを見せた。

「自分のシャツを相手が着てるのを見ると視覚的に破壊力があるっていう俗説、本当だったみたいだよ?」
「〜〜〜〜〜!!!!」

 極上の微笑みでとんでもないことを言われた小松は、もう言葉も出ない。
 ただ、思わず開けた唇に今度こそココの本気のキスが襲いかかって来た。




素晴らしき