故郷〜たいせつなひとがいるばしょ〜




「故郷ってね。遠くてもいつか帰れる場所なんだよ?」

そう言って頭を撫でてくれた暖かな手が、忘れられない。






   「タンキー…タンキー!」

    まったくどこへ言ったんだと、劉は大きく溜め息をついた。

    陽が冬の寒さに穏やかな微睡みを誘う日。
    日向ぼっこには絶好の日に、思わずうとうとと縁側…九角邸の縁側で。そこが広くて日当たりもよいからだ。
    …縁側で眠ってしまい、いつもなら傍らで寝ているはずの猿のタンキーがいなくなってしまった。

    目を覚ましたときにはすでに姿はなく、劉は慌てて探しに出掛けた。

    村から出るはずもないのだが、如何せん、近くに山や森もあるのでどこへ行ったのかまるで見当もつかなった。

    鬼哭村の入り口で見張りをしている下忍にも聞いてみたのだが、誰も知らないと答えた。

    猿というのはこの界隈でも珍しいし、タンキーは『大陸』の種だからニホンザルとの区別は容易につく。
    見かけているなら覚えているのだが知らないとなると手がかりもない。

    出会う村人にも聞いてみるのだがそれでも見つからず…
    劉は途方に暮れて、広場の隅に座り込んでしまった。

   「タンキー……どこに行ったんだ…」

    ぽつりと呟く。

    と、遠くのほうから微かな鳴き声が聞こえた。
    聞き間違えるはずのないその声に、ハッと顔を上げると…向こうのほうから歩いてくる人物を見つける。

    小さな体。
    小柄で、ふわっとした伸ばしかけた髪が歩くたびに宙に躍る。

    胴着の上に地味目の色の羽織を着て、ゆっくりと歩いてくる。

    その肩の上に、見覚えのある小猿が乗っていた。

   「タンキー!」
   「キキッ!」

    タッと走り出してタンキーの元へ走る。

    劉の姿に気づいてその人物が立ち止まった。
    そして劉の姿をみとめると、小さく笑って傍らのタンキーに何事かを語りかける。
   
    (遠くて劉の耳には届かなかった)

    するすると肩から降りてきたタンキーを手のひらの上に乗せ、待つ。

    劉が来るとタンキーはぴょんっと彼の肩の上に飛び乗った。

   「タンキー! 心配したぞ。急にいなくなったから…」
   「キキー。」

    すりすりと柔らかな毛をすり寄せられ、劉が小さく、くすぐったい、と笑った。

    そしてその人物を、見る。

   「すまない。タンキーが世話になったみたいだな。」
   「いいえ、そんなことありませんよ。私も、タンキーに触れて嬉しかったし。」

    ね、タンキー? と彩架が語りかけると、タンキーも肯定の鳴き声を上げる。

    劉の肩に乗ったタンキーを撫で、嬉しそうに彩架は笑った。




   「そういえば、お前に聞きたいことがあった。」

    タンキーを連れて来て貰ったついで…
    (と、いうよりタンキーは、彩架の姿を見つけて一緒について行ってしまったらしい。
     気づいたときには後ろでちょこん、といて驚いたそうだ。
     そして劉を探しに行こうと歩き出し…すぐに、出会ったのだと)
    ついでに、すぐ側の広場に置かれた木材の上に座る2人。

   「はい、なんでしょう?」

    人の良い笑顔を浮かべて答える。

    その顔をじぃっと無遠慮に見つめて、劉は口を開いた。

   「師叔は、なぜ美人じゃないのに人に好かれるんだ?」
   「はい?」

    思わず目を丸くして彩架が劉を見る。
    …質問の意味がよくわからなかった、というか『美人じゃない』というのは傷つくべき言葉なのかな、とぼんやりと考えた。

    もしこの場に桔梗たちがいれば、「当たり前だよっ」と言って劉諸共に彩架自身も怒られることになる。

    だが、彩架は別段、気にするわけでもなくただ、うんと呻いた。

   「私って、好かれてるのかな?」
   
    そして逆に聞き返した。
    すると劉はこくりと頷く。

    そう…嫌われてるわけがない。
    鬼道衆、ひいてはこの村にいる人々は勿論のこと、内藤新宿を中心とする『龍閃組』でさえ、この小さな少女は好かれていた。

    女性陣からは可愛がられ、もしくは姉妹のように仲が良くなっている。
    男性陣のほうは…少しばかり、複雑そうだった。
    
   「でもそうだったら嬉しいなぁ…私ね、いつもみんなに迷惑ばかりかけてるから、呆れられてるんじゃないかなーって…」
   「それはない。」

    きっぱりとまた劉が言い切る。

    あんなに誰からも慕われているのに、この少女…師叔は、気づいていないのだ。
    それでも嬉しそうにしているのは、みんなのことが好きだからだろう。

    そして…好きと自身が言いながら、相手にそれを求めようとは、していない。

    無償の思い。見返りを求めない思い。

    それはどうして…どうして不思議と、こんなにも心に響くのだろうか?

   「師叔はみんなに好かれているんだ。どうして気づかないんだ? どうして…『求めない』んだ?」
   「何を?」

    何を、求めるの?

    と、もう一度問われて、劉が言う。

   「誰かに、好きになってもらうこと。」

    しばらく彩架は虚空を見上げていた。
    考え込んでいるのだろうが、その表情は穏やかで優しい。

    ざぁ、と。
    
    冬の冷たい風が木々を揺らしている。
    それを聞きながら、彩架はぽつぽつと話し始めた。

   「私は、みんなのことが好きだよ?
    京悟も雄慶さんも、美里さんも小鈴ちゃんも涼浬ちゃんも武流くんも十郎汰くんに花音ちゃん、真那ちゃんも梅月さんも、ほのかちゃんも美冬さんに支奴さんたち。
    若、桔梗さん。風祭くんに尚雲さん。御神槌さん、弥勒さんに奈涸さん。霜葉さん、もんちゃん、雹ねえさんに泰ちゃん。火邑さんもひーちゃんもクリスさん、嵐王さんも…
    私は、出会ったみんなが好き。」

    にっこりと笑顔のまま劉のほうを見る。

    その笑顔は晴れやかで、穏やかで…まるで何かを惹きつけるような優しいもの。

   「勿論、劉くんも好きだよ。
    でもね劉くん…『好き』って、求めるものじゃないんだよ?」
   「何故だ? 好かれたら嬉しいんだろう?」
   「うん、嬉しい…でもね。
    好きになってもらうってことは…強要したりしちゃ、ダメなんだよ。」

    ああ、と劉は思った。

    どうして彩架がみんなから好かれるのか、わかったような気がした。
    
    求めない、こと。
    静かにいつの間にか側にいて、笑って、助けて、いつも好き、という気持ちを全面に出している。

    惜しみもなく染み出す気持ち。
    そしてそれは、いつの間にか広がっていく。
    心地の良いものとなる。

   「…師叔は、すごい人だ。」

    ぽつりと劉がもらした。

    求めないということは、とても簡単だ。
    だが…難しいことでもある。

    それを自然とやってしまう、この人は…すごい、人。

   「俺も師叔のこと、好きだ。」
   「キキー!」
   「お前も好きか、タンキー?」

    さながらそうだ、と言わんばかりにタンキーが鳴き声を上げる。

    その様子に、彩架も嬉しそうに笑った。

   「ありがとう…そう言ってもらえると…すごく、嬉しい…」

    笑う笑顔。

    それもまた、人を惹きつけるものだった。

    いつも笑っている。
    穏やかな表情で、それはまるで太陽のような…もの。




   「師叔は、この戦いが終わったら…どうするんだ?」

    そろそろ夕餉の時間だから戻ろう、と連れだって帰る2人(と一匹)。
    劉は、ぽつりと、独り言のように呟いた。

   「私は……まだ、決めてない。
    いつまでも鬼哭村にも、寺にもいれないだろうし…また、この国をまわろうかなって。」
   「師叔には、故郷はないのか?」

    その問いかけには曖昧に笑っただけで返された。
    …もしかしたら…故郷は、あっても…待っていてくれる人が、いないのかも、しれない。

   「国はあるよ…でも…人はいないから。」
    
    やはり、と劉が思う。
    同時に言いにくいことを聞いてしまった、と反省もした。

   「すまない…」
   「ううん、いいの。もう慣れたし…劉くんは、帰るんだったよね?」
   「ああ。」

    帰るべき故郷。

    帰りたい場所。

    それがあるというのは、幸せなことだ。

   「師叔も……」
   「ん?」

   

    師叔も、来ないか?


    
    そう言ってしまい、ハッと劉が気が付く。
    だがもう口から出てしまった言葉は、戻せない。

    彩架は。

    にこり、と、でも…いつもより幾分か、嬉しそうに笑っていた。

   「そうだね…行けたら、いいなぁ。」
   「…本当か?」
   「うん。劉くんの生まれたところ、見に行ってみたいな。」

    知らず劉が、その言葉に物凄く嬉しさを感じたのは彼とその相棒であるタンキーしか知らないこと。

    嬉しさのあまり劉が、がばっと目の前にいる彩架に抱きついた。
    その突然の行動に驚いて彩架が慌てて劉を抱き留める。

   「謝々! ありがとう、師叔! 俺、嬉しいっ…!」

    ぎゅうぎゅうと無遠慮に抱きついてくる劉に辟易しながら…それでも、少しだけ笑って劉の頭を撫でる。

    彩架も、嬉しそうにそのまま劉の好きにさせていた。


    

    だが、色々と問題もあるわけで…

   「ダメだ! 師叔は俺と一緒に大陸に行くんだ!」
   「何を言っている。彩架を大陸まで、などと…危ない。」
   「そうですよ、それに…行く、とは行ってもずっとでもないでしょう?」
   「彩架がいなくなってはわらわもつまらぬ…行ってもらいたくはないのぅ。」

    口々に面々が不平をもらす。

    ああ、そうだった。
    
    こいつらみんな、彩架にいてもらいたいんだ。
    すっかり忘れていた、と劉が頭を抱える。

    好かれるというのは嬉しいことなのだろう。
    だが……好かれても、思い切り鈍感だということは…はっきり言って罪なのではないだろうか。

   「あ、あの、皆さん…落ち着いて…」
   「師叔は俺と一緒に大陸へ行く! お前達の邪魔はさせない!」
   
    おろおろとするばかりの彩架に抱きついて(その瞬間、何名かが殺気だった)、劉がその場にいる面々にあかんべー、と舌を出す。
    タンキーもそれを真似て舌を出した。


    でも絶対、師叔は俺が連れて行くんだ!

    
    そう固く心に誓った劉であった。



    戦いの終結は…また、先の話であったが。
    決意というものは…力になるものだ。





  <終わり>