ko雪風〜かぜがはこぶもの〜




「帰りましょう。あなたが居るべき場所に。」

甘いだけの感情の持ち主だと、思っていた。






    風に運ばれて、聞こえてきたのは小さな歌声だった。

    嵐王が工房に籠もり実験らしい何か(何かは難しくて理解できるものは少ない)を続けていると、ふうっと風が『声』を運んできた。

   「…む…?」

    その声に、いつもなら無視するはずが思わず手を止める。
    実験を続けるはずの手が、止まってしまった。

    声の主に聞き覚えがあるからだが…嵐王は別段、気にするわけでもなく、また実験を始めようと手を動かし始めた。

    最近、鬼哭村にやって来た比良坂に教わったのだろう、それにしては途切れ途切れで聞こえにくい。

    それがどうにも気になって、嵐王が実験器具を置いた。

   「まったく……」

    はぁ、と溜め息をつくと、そのまま意識を集中させる。

    風が、ざぁっと嵐王の姿を隠して……消えた。

    嵐王の手足となる風が、正確に声を辿る。
    途切れ途切れの歌声がやがて鮮明ではっきりしたものになり、耳に届く。

    それと同時に、身を包む風に冷たさが加わったのを感じ取り、嵐王が眉根を寄せる。


    ゆきが、くる


    そう直感的に感じて嵐王はやがて『声』の元へと、たどり着いた。

    自ら姿を現すと、そこは滝の側だった。
    切りだった大岩がごろごろと並ぶなかでも一際大きな岩の上で、ぷらぷらと白い足が覗いている。

   「……彩架。」

    最近になってようやく呼ぶようになった名で呼ぶと、足の主がぴくりと動く。

    ガバッと勢いよく起きあがるとなけなしに羽織っていた羽織が落ちた。
    ぱちぱちと瞬く瞳。
    それがようやく(寝起きだったせいか)嵐王の姿を捕らえると、不思議そうに彼のほうを見た。

   「らんちゃん?」

    一気にまわりの空気が五度ほど下がった。

   「……その名前で呼ぶなと言わなかったか?」

    声の質から言って嵐王が怒っていることがわかる。
    それを瞬時に察知……するわけでもなく、彩架はへら、と表情を崩した。

   「だって『らんちゃん』のほうが可愛いですよ?」

    さらに五度、気温が下がる。

   「彩架……」

    ひゅぉぉぉぉ! と嵐王の両手のまわりでつむじ風が巻き起こるのを見て、彩架がびくっと身を竦ませた。

    ようやく自分が嵐王の逆鱗らしきものに触れていることに気づいたのだが…
    そこでふと、気づく。

   「そういえばらん……おうさんはどうしてこっちに? 今日は工房で実験……」
   「今度は詰まらずに言え。
    声が、聞こえた。気になってやってきてみれば……お前だったとはな。」

    本当は声の主は最初からわかっていたのだが、それを気取られることもなく淡々と嵐王が言う。

    すると彩架もあっさりと信じるので、後はもう『ああ、なるほど』と頷くばかりだ。

   「ひーちゃんがね、歌うと気持ちいいからって教えてくれたんです。
    嵐王さんも歌いませんか?」
   「断る。」

    あっさりと一言で言い捨てられてしまった。

    しかしやはり彩架は気にするわけでもなく、のんびりとそれを受け止める。

   「じゃあいいですよ。1人で歌いますから。」

    そうしてまた、口を開いて歌い始めた。

    静かな声、だ。
    聞いているものを感動させるわけでもなく、何かに触れるわけでもなく。
    ただ、静かな声。

    ああ、これなら…風が運ぶ、わけだな。

    そう思い、嵐王はふわりと宙に浮かんだ。
    そのまま何も言わず彩架とは少し離れた岩の上に腰を落ち着かせる。

    彩架もそれに気づいたようだが、何も言わず歌を続けた。

    
    吉原の、歌ではない。
    遊女たちが客相手に戯れに歌うような、恋の唄ではない。
    役者が歌うものではない。
    言い回しに複雑さはなく、数度聞けばすぐに覚えられるような簡単なものだ。


    懐かしい、うた。



   「そういえば嵐王さん。」

    やがて歌い終わった彩架がまた足をぷらぷらとさせながら大岩の上に寝転がった。
    羽織を掛け、ぼんやりと黒い雲を見上げる。

    冬はすでにきている。そして今日は晴れ間すらない、午睡。

   「なんだ?」

    自分が、裏切っていた、と。
    告白したあの日から、すでに幾日かが過ぎていた。

    嵐王は思った。
    自分はどうしてあの時、『こちら側』に戻ってこれたのだろうかと。
    騙し騙し、すべてを偽り…それでも。
    それでも何故か、この少女の言葉は『何か』を動かし続けていた。

    鬼哭村を、人々を、傷ついた心の者を、新たな仲間を、何もかも……
    まるで、何かの『宿命』のごとく。

   「……雪が、降りそうですね。」

    見上げる空の先は、黒い雲。
    だが雪は降らない。

    まだ、『風』が運ばない。

   「もう少しだ…」
   「え?」

    驚いたようにふり向く表情。
    本当にこの少女が、幼子が、『鍵』となりつづけていたなどと……誰が、信ずる?

    いや、信ずる他にはない。
    現に彼女のまわりには、人がいる。
    大勢の者たちが、集まり、そこに居た。

   「雪は…もう少し、寒くならなければ降らない。」
   「そっか……じゃあ、この村で初めて…雪が、見れるんですね。」

    そして嵐王自身もまた、此処にいる。

   「そろそろ戻れ。その格好では風邪をひくぞ。」
   
    思わず出た言葉に、嵐王がハッと我に返った。

    自分は今…何を、と自問自答する。

   「そうですね…じゃあ、戻ります。」

    しかし彩架はそれを素直に受け止め、よっとと勢いをつけて岩から滑り降りた。

   
    変わるものがある。
    風の向きも、あたたかさも、冷たさも、強さも弱さも、変わっていく。

    それは人も同じこと。

    変わるのだ。


   「嵐王さんも、一緒に戻りませんか?」

    掛けられる声と、笑顔。

    彼女は変わらない。
    彩架は…運ぶもの、によく似ているから。

   「………ああ。」

    ばさっと風をまとい、嵐王がその場に降り立つ。

    目の前に小さな少女が笑って立っていた。
    珍しく自分の誘いに乗ってくれて嬉しいのだろう、それが如実に感じられる。

    ゆっくりと歩き出した彩架の後ろに嵐王が続く。
    
    雪にはまだ、早い。


   「そういえば、式神羅写の相談に行こうと思ってたんですよ。」
   「……あれだけ作っておいてまだ作るつもりか…?」
   「だって…まだ欲しいのが出来なくって。しかも手持ちの…怖いのばっかり。」

    珍しく嵐王が誰かと歩いてくるのを見つけ、風祭が首を捻った。

    声の主は…一緒にいるのは、彩架だ。

   「…無闇に見たことのない名前のものを選ぶからだろう。」
   「だって気になるんですよっ! これはどうかなーって…」

    口数がやたらと多い嵐王を見た彼がしばらく魘され、気分が優れなくなるのだが…

    それこそ、嵐王の与り知らぬことであった。



   おまけ。

   「嵐王。」
   「なんでしょうか、若。」
   「お前も彩架が気に入ったようだな?」

    後日、実験結果を報告にいった嵐王に天戒がこうのたまってくれるのだが…
    その時、嵐王が一瞬、固まるという珍事も起きて。

    それはそれは珍しい事態に、図星か、と天戒が膝を叩いて笑ったらしい。

    

    雪はそれからしばらくして…降り出した。



  <終わり>