恵み〜ふりそそぐもの〜
「もんちゃん、雨、すき?」
そう聞かれたときにどう答えていいか、わからなかった。
雨は降り注ぐものだ。
天からの恵み。地上の植物や、動物たち、人間達に恵みを与えるための天からの贈り物。
確かに外で作業できなくなる雨、というのは嫌いだという者も多いだろう。
だが、雨はいい。
雨音はそれ以外のすべての音を無くしてくれる。
静かに、心を落ち着けるには格好の機会だと言えるだろう。
ざぁざぁ、と。
降りしきる雨を見上げながら、們天丸はぼんやりとしていた。
物見櫓に座り、壁を背に手にした扇をひらひらとあおがせ、遊ぶ。
いつもなら見張り台に立つ下忍たちも、今日は雨、ということで下のほうへ降りていた。
こんな雨だと上にいても遠くは見えない。
降りしきる水が、薄い膜のように遠くを包んでしまうからだ。
だから、下で警備を強化している。
誰にも邪魔されることなく、們天丸が時間を呆っと過ごしていた。
そこへ、ふと雨音に混じって誰かが物見櫓に上がってくる音が聞こえてくる。
気配で…雨の消えることのない『おひさま』の空気で、それが誰だか、感じる。
「よぅ。お前もここで休みに来たんか?」
振り返りもしないで、ただ扇を動かしながら後方に呼びかけると、笑った声がした。
「もんちゃんのほうも、ここで何をしてるの?」
「見てわからんか? 雨、見てたんや。」
すぐ側までその空気が歩いてくる。
横を見上げると小柄な少女がそこに立っていた。
們天丸が機嫌良く、ぽん、と横の床を叩く。
「彩ちゃんも座り。暇なんやろ?」
「うん、じゃあお邪魔します。」
ゆっくりと座り、彩架がしばし、們天丸が見つめていた先を見る。
雨の、空。
們天丸も、もう一度空のほうを見ると後は会話もなく、続いた。
彼にしては珍しく、話さない。
雨は、降る。
ざぁざぁと、天からこぼれ落ちた水滴たちが、大地に、落ちる。
天からの贈り物は、大地も癒す。
「寒ぅないか?」
しばらくたった後、ふと們天丸が口を開く。
ふと横の彩架を見てみればところどころ雨で濡れているし、未だに、肩の出た胴着を羽織っている。
(女物は動きにくいから、という理由で彩架は滅多に着物を着ない。贈り物としては増えているようだが)
「うぅん、大丈夫です。」
「でも濡れとるやんか。拭くもんとかないんか?」
「…あいにく、手ぬぐいを部屋に忘れて来ちゃいまして…」
困ったように苦笑する彩架に、們天丸が溜め息をつく。
「あかん、あかんで。」
扇で彩架を指し、それから自分が羽織っていた華美な羽織を彼女に着せる。
ふわり、とかけられた暖かさに、彩架が目を丸くする。
「それでも羽織っとり。見てるこっちが寒ぅなる。」
「で、でも、これもんちゃんの…」
慌てて羽織りを脱いで返そうとする彩架を、軽く止める。
ぽん、と肩を叩かれ彩架が們天丸のほうへ視線を上げた。
「ええて。それよりここであんたが風邪ひくと、あとでわいが何か言われるんや。」
「……何か、って?」
例えば天戒は勿論のこと、保護者と化している九桐。
桔梗と風祭も何をしたんだ、と怒るのは目に見えている。
その上、他の仲間達も。
そのことにからっきし気づいていない彩架は罪作りというか、天然というか。
魔性の女よりタチが悪いかも、と們天丸が笑う。
「どうしたんですか?」
いきなり笑い出した們天丸に、彩架が不思議そうに聞く。
「いや、なんでもあらへん。と、いうわけでそれ羽織っとりや。」
「でも…もんちゃんが、寒いんじゃ、」
「いけるいける。わい、結構丈夫に出来てるから。」
これは一向に引きそうもない。
そう感じた彩架が、ようやくその羽織を借りることにしてそれを掛け直した。
雨はまだ、続いていた。
「そう言えば、この前もんちゃん、通り雨がくるって言ってましたよね?」
唐突に、今度は彩架から声をかけられる。
「ああ、滝んときのことか。」
「そうそう。あの時、何が匂うのかなってびっくりしたんですよ。」
匂う、匂うと言われ、そして何の説明もなく木の下まで来るように言われたことがあった。
何だろうかと不思議に思ったが、『悪いことは言わへんから』とまで言われ、彩架が素直に木の下へ入ったのだ。
すると。
「すぐに通り雨がきて…おかげで濡れずにすみました。」
「それは何より。」
ぺこりとお辞儀をする彩架にあわせて們天丸も頭を下げる。
それから顔を上げてしばし見つめ合い。
ぷ、と吹き出してそのまま笑い出した。
平和だ。
人の心を憂鬱にするという、雨。
だが考え方を変え、話題さえあればこうして笑い話のひとつにすることができる。
ふりそそぐ、天からの雨。
「もんちゃん、雨、好き?」
唐突に聞かれて們天丸がうん、と呻く。
雨は、嫌いではない。
だが好きとも、言えない。
「お前はどないなんや?」
們天丸が聞き返した。
すると彩架は笑って立ち上がる。
いつの間にか雨が
止んでいた。
「私は、好きです。雨のときは心を落ち着かせられますし、それに…」
ほら、と彩架が指し示す。その先を們天丸が見ると、ああ、と納得した。
雲は薄くなり、所々に陽がさしてきた。
そこから見えるのは幾筋もの虹の橋だ。
村のほうから子ども達の歓声が聞こえてきた。珍しく見えた虹に喜んでいるのだろう。
們天丸の顔に笑みが浮かぶ。
「ね、だから私、雨が好きなんですよ。」
彩架が目を引く笑顔でそう言った。
知らず、気分が良くなるのを感じながら們天丸もそれを笑顔で返す。
「せやな…これならわいも、好きになりそうや。」
天からのめぐみのひとつ。
それが、この虹なのだろう。光の屈折が生むもの。七色の光の帯。
「よっし。ほな下に降りよか?」
「はい。あ、じゃあこれ…」
彩架が羽織を脱いで們天丸に返そうと手をかける。
だが、それよりも早く、ひょいっと們天丸が彩架を抱え上げた。
「え?」
気の抜けた…いいや、驚いた顔をした彩架を抱えて、們天丸がバッと櫓から宙に舞う。
「え、え、えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「しっかり捕まっときやー!」
舌噛むかもしれへんしなーっと高らかに笑いながら們天丸が、落ちる。
彩架の悲鳴は、物見櫓の側から遠く山の方まで聞こえていた。
で。
それからどうなったかというと。
悲鳴を聞きつけた壬生や御神槌、弥勒や雹たちによって們天丸が手痛いお仕置きをくらったのだが。
後日、着物を返しにきた彩架とまた遊びに出掛けられたので、まあ。
良い一日と、いえば。
そうになるだろう。
<終わり>