変化 弐〜まいおどるもの〜     




花に嵐とたとえられることもありましょう
蝶が花々を飛び回ることもありましょう
美しき蝶は舞い踊るもの
美しき花びらは散り急ぐもの
そしてそれらは 人の心を捕らえて放さないもの






   遠く、広場のほうから笛拍子が聞こえてきたのを耳にし、ふと天戒が顔を上げた。

  「若。どうされました?」
  「嵐王……聞こえぬか?」

   は? と返したところで、今まで談義に集中していた嵐王も顔を上げ、耳を澄ます。
   
   するとやはり、聞こえる。
   笛が高らかに、しかし静かに鳴り響いている。
   笙や、篳篥、横笛。琴、琵琶に果ては和琴の音さえ響いている。

  「こんな時分に…誰がやっておるのだ?」

   嵐王が明らかに訝しげに声を出す。
   しかし天戒は、面白そうに唇を緩めた。

  「よいではないか。誰の手かは知らないが、見に来いという合図なのだろう。」

   確かに、これだけの音では村中にその音が響き渡る。
   普段こういう音さえも聞かない村人たちにとっては、何事かと見に来るのは必須だろう。

   無論、それは天戒も同じこと。

  「嵐王、行くぞ。」

   若、と止められるよりも早く天戒が立ち上がり部屋を横切っていく。

   その様子に嵐王も渋々、そこから立ち上がって後に続いた。



   人々は音のする広場のほうへ集まると、そこには大きな赤絨毯がしかれていた。
   そしてその上には着飾った演奏者たちが思い思いの楽器を演奏している。

   遠くからは聞こえなかった打楽器…太鼓や、鞨鼓、三ノ鼓も、高らかに拍子を取っていた。

   物珍しげに集まる人々の前に、ひらりと小さな少女が舞い降りる。

   わぁっと歓声があがると、少女は貼り付けた笑みのままころころと笑いながら、踊り始めた。

   見事な舞。
   決められた型に合わせ、音に合わせて少女が踊る。
   やがて1人、また1人と少女と同じ顔の子が踊りに加わりはじめた。

   その様子はさながらこの世のものでもないかのような。
   
   人々が夢見心地に誘われて、息をもらす。

   そこへ、子どもらに連れられてやって来た御神槌。
   音に何事かと工房から出てきた弥勒や、丁度山から下りてきた壬生。
   音楽に惹かれてやって来た九桐と、桔梗。
   人だかりと突然の演奏に興味をひかれてやって来た風祭、そして們天丸と山から珍しく下りてきた泰山。
   丁度、九角家の蔵を整理しに来ていた奈涸。

   そういう『仲間』たちが集まったところで、ポーン、と高く鼓が鳴り響いた。

   少女たちは踊るのをやめて、スゥッと絨毯の側へ座り、動きを止める。

   今度は何が、と思うところで、1人の演奏者が立ち上がり鈴を鳴らし始めた。

   ちりん、ちりん…

   拍子をつけ、ゆっくりと演奏者のなかから歩いて行き…人々の前までやって来る。
   やがて立ち止まると、今度は一定の間隔で鈴を鳴らし始めた。

  「…花に、嵐と、喩えられる、ことがあります…」

   抑揚も、表情もつけないその声に、九桐が眉根を寄せる。
   横にいる桔梗を見ると、彼女もこくりと頷いた。

  「…人形か…珍しいな、雹がこんなことをするとは。」
  「面白いことでもあったんだろうさ…あの子も、この前の一件から変わり始めたようだしね。」

   暗に彩架のことを言う桔梗に、違いない、と九桐も笑う。

  「蝶も花も、舞も唄も、人の心を、楽しませるもの。」

   しゃらん、と大きく鈴が鳴る。

   その音と言葉に、人々もひかれてその様子に見入った。

  「今宵、ひとときの夢物語を…」

   しゃららん、と鈴を鳴らしながらその演奏者が後方へ下がる。

   するとそれが合図だったのか、琴を一斉に演奏し始めた。

   静かに鳴り響く琴の音。
   それと時を同じくして、ひらひらと花びらが舞い始めた。

   いったいどこから、と風祭たちが上空を見る。
   人々は突然のことに驚きながらも、子どもらは、わぁっと楽しむ。

   1人の子どもが、たたっと演奏者たちのほうへ駆け出す。

   あ、と止める間もなく、そのまま赤絨毯の上へ…

   
   そこで、琴が大きく鳴り響いた。

   ざぁっと激しく、風がふき、花が舞い落ちていく。


   ふわりと、まるで風のように1人の走舞が、そこに現れた。

   美しい十二単に、頭から薄い衣をかぶっているせいか顔は見えない。
   しかし、突然どこからともなく現れた女性に、人々は驚きの声をあげる。

   子どもも、自分の前に突然現れた女性に驚いた様子だった。

   顔を上げて、困っているところで、衣の間から風に流され、かろうじて覗く唇が笑みの形をかたどる。

   それを間近から見上げていた子どもの顔が、ぱあっと明るくなったのを見て、女性が、ぽん、と子どもの肩を叩いた。
   うん、と頷いて友たちの元へ戻るのを見計らって、女性はゆっくりと手を上げる。

   くるりと宙を撫でると手に一振りの檜扇が現れた。

   その様子にまたしても驚く人々、そしてあれは誰だと、言う。

  「…人形ではないな。人の気配がする。」

   弥勒がぽつりと呟いた。
   今までの人形の『気配』ではなく、どこか温かい空気…

  「どこかで……感じたことがあるような…」

   遠くで子どもたちと一緒にそれを見たいた御神槌も不思議そうに、そう呟いた。

   やがて演奏が始まる。

   琴だけの演奏だが、それは優雅で…人を惹きつけてやまない、もの。

   そしてそれを同じくして女性も舞を踊り始めた。
   決して激しくもなく、顔も薄衣に隠れたまま見えないが不思議と、それは人の目を引いた。

   風華が舞う。

   不吉な前兆とさえされている風華だったが、この時ばかりは舞に文字通り花を添えるようだ。

   一挙手さえ花を撫でるように優雅で、華やか。
   琴にあわせて踊るその姿は、さながらどこかの姫のような…いいや、それさえも霞むようなもの。


  「……大歌、か。」
  「なんだ、知ってるのかい。この舞が何なのか。」

   突然、隣にやって来た奈涸に驚く風でもなく…むしろ、舞の名前を知っていたことに桔梗は驚いてみせた。

  「一応な。天皇の大礼のときに見た…一度きりだったが。」
  「それは『五節舞』。五人いなきゃそうじゃないさ…でも、この大歌もなかなかのものだねぇ。」
  「しかしこの村で舞を舞えるのは桔梗だけかと思っていたが、あれはいったい誰だ?」

   九桐が首を捻る。

   確かに舞などという雅なものに精通しているのは桔梗ぐらいなものだ。

   雹もそのくらいは知っているだろうが、足のせいで、あそこまで踊れるはずもない。

  「まあいいじゃないか。」

   楽しげに桔梗が呟く。
   その表情はこの状況を楽しんでいるようだった。

  「女の私から見ても綺麗な舞じゃないか。しばらく、惹かれてやるとしようよ。」

   ああ、と奈涸も九桐も頷いた。

   確かに今は無粋な詮索など必要ないだろう。
   その必要など、この舞の前では無意味に等しい。



   ふわりと
   柔らかく女が舞う。
   
   檜扇を巡らせ、ゆっくりとまわり、踊る。

   風や動きに会わせて薄衣がひらりと舞うが、顔は以前として見えない。

   見えたところで、何の意味があろうか…

   そしてそのままひととき、夢のような舞は続けられた。



   女性が、舞を終え、ゆっくりと頭を下げる。

   薄い布の間にある髪がそれとともに下にこぼれ落ちた。
   途端。

   しばらく舞に見入っていた人々の間から歓声がわき起こる。
   それを見た女性はどういうわけか困惑した様子であたりを見回していた。

  「…どうしたんだろうね。まるで初娘みたいに…」

   桔梗が首を傾げる。
   あれだけの舞ができるのだから、誰かが戯れに連れてきた式神か何かかと思っていたのだろう。

   しかし、違う。

   あの様子では、騒ぎがここまで大きくなるなんて思いもしなかったという感じだ。

   そして、急いでその場から離れようとした…

  「待ちぃなって。」

   その手を、いつの間に側に来たのか們天丸が握る。

   ハッとして振り返ったその女性に、人懐こそうな笑みを浮かべて、近寄る。

  「何もそないに急がんかてええやろ? ええ舞やったでー…」

   だがその言葉にさえも慌てるように、女性は逃げようと藻掻く。

  「まあ待ちぃって。どや、ちょっと顔見せてんか? こないな薄衣やとよぅ顔も…」

   と、言って們天丸の手が頭からかぶったままの薄衣に伸びる。

   いや、と小さく声がしたような、気がした。
   
 
  「へ?」

 
   その声に、們天丸の全動作が止まる。

   それと同時に、嫌がっている女性を見かねたように壬生が後ろから們天丸の頭を叩いた。
   (方陣技で何気なく仲が良いので)

  「何をしている。嫌がる者を無理矢理捕まえるとは…」

   まったく、と続ける壬生に、女性がホッとした様子で息を吐く。

   
  「ありがとうございます、霜葉さん。」


   そこで、壬生の動作も固まった。

   まさにビシッという音とともに、である。
   そのことに気づいた女性が、ハッと口元に手を当てた。

   しまった、という感じで女性もまた所在なさげになる。

   そしてその声は。

  「…………はい?」
  「……っ!」
  「う、嘘だろ……!!」
  「その声は…まさかっ!」
  「…これは…驚いたな…」
  「おー。ぎれいだなー。」

   各面々に驚愕を、もたらした(1人のんびりとしている者もいるが)。

   ただ1人。

  「おや、さーさん。珍しいね、あんたが女の格好をするなんて。」

   さらりと言ってのけてくれた桔梗の楽しげな様子をのぞいては。



   それからかっきり数秒後。

   驚きの叫びが、鬼哭村を包み込んだという。




  <つづく>