〜はこんでくるもの〜




運んでくるものがあります。

それは風と、人の仕事でもあるんです。






   遠い異国の音楽の歌声。

   そんなものが珍しく鬼哭村に流れていた。
   心地の良い歌声だったが、異国の言葉なので誰にも意味はわからない。

   昼下がりの、一刻。

   この村には異国に関係する者は数多くいる。
   代表的な例があるとすれば、神父である御神槌に、異国人のクリス。それに比良坂(これはかなり謎だが)だ。
   この三人は時折、異国の言葉を使うこともある。

   しかし今、村に微かに流れる声はその誰のものでもなかった。

   風に乗って運ばれてくる、歌。
   かすかなその歌声は忙しく働いているものや、遊びに夢中の子ども達の耳には届いてこない。

   ただ、風と木々と…動物たちが聞くだけであった。

   そのはず、だった。

   その歌声に気づいたものがいたのだ。
   いつものように工房で実験を開始させようとしていた嵐王である。
   何気なく風に耳を傾けていたら…声が、その耳に届いた。

   優しく歌う声。
   それはいつぞや聞いたものと同じものだった。

  「……また、か…」

   軽く溜め息などつきながら、嵐王は静かに実験を進める手を止めてしまう。

   …『ある者』と、会うために。

   風が音をたてて嵐王の体を取り巻いた。
   その風たちの歌声に反応して…『喜んで』いるかのようであった。
   そんな感覚が嵐王を包み込む。

   そして風に乗って、飛んだ。



   It is waiting for you.
   Though you don't know certainly.
   
   歌声は続いていた。
   嵐王が、スッと降り立つとそこはいつもの那智滝だ。

   ざぁざぁと流れ落ちる水音にかき消されるのも構わず、その人物は歌を歌っている。

   …思えば会いに行こうと思うとき、こやつはいつも歌ばかり歌っているなと。
   嵐王はそう思った。

   歌を歌っているのを聞きつけたとき。それが『彼女』一人であったとき。
   そして気が向いたときに…嵐王はこうして会いにやって来るのだ。

  「…彩架。」

   呼ぶと、歌声が止んでひょこっと大岩の後ろから彩架が顔を出した。
   こうして彼女(彩架)が一人でいるというのはかなり珍しい。
   いつも誰かが側にいることが多いので、嵐王がこうしてやって来るのもままならぬことであるのだ。

   だが嬉しそうな表情を浮かばせて、、彩架はててっと嵐王の側までやって来る。

  「嵐王さん、こんにちは。」
  「ああ…今日は一人なのか?」

   ここならば壬生や們天丸がいることも多い。

   実際、彩架がここで休んでいるとふらふらとどこからともなくやって来るのだ。
   それに時折、水をくみに弥勒が来ることもある。

  「はい。あ、嵐王さんは実験とか…」
  「……いや。」

   始めようと思っていたのを止めたのだ。やっていなかったと言っても間違いではないだろう。

   そうですか、と彩架が嬉しそうな顔をして、座りましょうと手ごろな岩を指さす。
   
   嵐王と彩架は時折こうして会うことがあった。
   

   最初は本当に何気ないことだったのだ。
   いつもなら誰かと共にいる彩架が一人で童謡を口ずさんで那智滝で休んでいた。
   そこへ歌声を聞きつけた嵐王が何気なく、彩架を見つけたのである。

   何を休んでいるのだ、と聞くと、ぼーっとしてましたと、へらりとした顔で答えられてしまった。

   そのまま帰ろうとした嵐王の服の裾を掴み、休んでいってください、と彩架が言った。
   離せと言っても裾を持つ手を離そうとせず…嵐王は無理矢理、その場にいることになる。

   だが彩架は格別何も話そうとせず、ぼーっと滝が流れ落ちていく様を見ていた。

   沈黙が続き、ようやく嵐王が何か話せというと、お疲れなんじゃないんですか、と逆に返された。
   休んでいってくださいとも、返されてしまった。

   つまりここにいさせるのは自分を休ませるためなのか、と。
   嵐王がふり向くが彩架はいつもの同じ表情で滝のほうを見るばかりだ。

   静かな時間だけが流れすぎていく。

   滝の音に耳を傾け、ぼうっとしていても体と心は安まるものである。
   それを嵐王は身をもって体験していた。

   それから何となく、嵐王はこうしてやって来る。
   前出の条件が揃っていた時のみ、こうして何も話さずただ、ぼーっと考え事をするために。


   
   ふと、気づけば。

   嵐王のまわりに、いつも世話をしている鳥たちが集まりだしてきていた。
   一匹は上空から舞い降り、嵐王の足元へ着地する。

   鳥類特有の鳴き声を聞きながら、嵐王がああそうだな、と言う。

  「嵐王さん…何を、この鳥さんは言っているんですか?」

   言っているわけではない、と不思議そうに聞いてきた彩架に言う。
   
  「腹がすいているのだろう…少し待て。」

   そう言いながら懐から何かを探る。

   それを興味津々の様子で彩架が見つめていた。
   嵐王が懐から餌らしきものが入った袋を取り出す。

   中からひとつかみ取ると、それを上空のほうへばらまき、地面に落とす。

   すると数匹の鳥が一斉に舞い降りてきて、その餌をつっつきだした。

   うわぁ、と嵐王の隣で歓声が上がる。
   彩架は感心したように鳥たちを見ていた。

  「…彩架。」
  「はい?」
  「手を出せ。」

   自分のほうに振り返った彩架にそう言うと、彼女は突然のことに首をかしげながらも、
   こうですか、と両手を出してきた。

   その手の上にひとつかみ、餌を置く。

  「わっ……きゃあ!」

   驚く暇もなく、一匹の大きな鳥が彩架の腕にとまって、手から直接餌をつっついていく。

  「や、やだ…きゃあ…くすぐったい!」

   くすくすと笑っているともう一匹鳥が来て彩架の肩に止まり、ほぅ、と鳴き声を上げた。
   それを聞いて、彩架がもう片方の手でその鳥の喉を撫でると嬉しそうに、もう一声鳴く。
  
  「このこたち、嵐王さんがお世話しているんですか?」
  「いや、勝手に儂の鳥たちと餌を一緒に食べだしたのだ。今も時折、こうしてやって来る。」

   困ったものだ、と言いながら嵐王はもう一つ、餌を地面にまいた。

   彩架は嵐王の操る鳥たちにも好かれていた。
   元々、動物たちにも好かれやすい体質なのか山の動物たちとじゃれていることもある。

   (泰山と一緒に狼たちと戯れているのが発見されたときは天戒が物凄い表情をしていたが)

   鳥を腕と肩にとまらせながら、その触れてくる羽毛に笑い声をあげる。
   …その様子を何気なく見ながら、嵐王もまた、自分の使う鳥がやってくるのを見つけた。

   その鳥たちも嵐王の側に来るもの、彩架の側に降り立つもの様々であった。



   静かな心休まる時間。
   彩架はそれを嵐王に何も言わず与えていた。

   いや、与えているという自覚はなく、ただ静かな時を過ごして休んでいってほしいと思っているだけなのだろう。


   だから時には、こういう時間も悪くはないのかも知れない。

  
  「嵐王さん。」
  「なんだ?」

   振り返ると、にっこりと笑った彩架。

   そして嵐王の手に、はい、と残り少なかった餌を乗せた。
   すると一斉に嵐王の腕に止まる数匹の鳥たち。

  「ぅぉ!」

   珍しく驚いた嵐王であった。

   彩架はその様子に眼を細めながら、肩に止まったままの鳥のほうを見る。

  「…たまには、いいよね?」

   こんな時間もね。



   その言葉に、鳥がもう一度、鳴いた。



   風は鳥を運ぶもの。鳥は何かの訪れの証。

   人はそれを、感じ取るものだ。




  

  <終わり>