光 〜こがれる〜
その人の持つ光は、あたたかで優しいもの。
炎のような。けれど決して焼き尽くそうとしない、もの。
その人と出会ったのは、本当に偶然だった。
いつものように長屋へ赴き、細々とした雑用…お洗濯…をしようと預かった着物を運んでいた、とき。
少しばかり重くてふらふらとしていたところへ、誰かが話し掛けてきた。
着物の山を運ぶのを手伝うと、言ってくれた。
そしてそのことに驚いているとその人…明るい髪の剣士の方…が、後方にいる誰かに、話し掛けた。
その瞬間。
脳裏に蘇ったのは『あの夢』の記憶。
身を焼き尽くそうと迫る火炎の、悪夢。
どうしてその人を見て、その夢のことを思い出したのか、その時はわからなかった。
ただ、思った。
火炎の…焼き尽くそうとするものではない、何か。
その夢はもしかしたら、悪夢などではないじゃないかと思ってしまった。
その人が、剣士の方…蓬莱寺さんのほうから、こちらを見た。
黒曜石…宝石にも似た漆黒の輝きを放つ瞳。
それは人を惹きつけるかのように強いものなのに…その光は、包み込むかのように優しい。
そしてその人は、笑った。
私を見て、ふわりと笑っていた。
なぜかその人が、あの…私が『主』と出会った、あの日の…男の人に似た、何かを持っていると感じてしまっていた。
身につけているものは胴着で、髪も…少しばかり伸ばしていらしゃって…
黒い服の…今思えば神父様の服にも似た…あの男の人とは、似つかない顔立ちなのに。
それでも思ってしまった。
似ている、と。
炎なのか、それとも…もっと違うものなのか…わからなかったのだけれど。
優しい微笑みが、私のなかの『何か』に響いて、いた。
「どっちの相手…と、言われても…」
時間と場所は変わって。
ほのかによってヴラドの屋敷に招待された彩架と京梧は、今、メイドたちと対峙していた。
と、いうより部屋にやって来たメイドたちに『ご奉仕のお相手を』と、言われてしまっているのだ。
ぽりぽりと彩架は困ったように頬をかいている。
どうも居心地の悪いヴラドの屋敷でも…彩架は普段と変わらない態度であった。
「やめとけ、俺たちは身持ちは堅いほうなんだよ。」
いや、堅いとかそういうものじゃなくてね、京梧。と彩架が言おうと、して。
いきなり別の場所に連れ去られてしまっていた。
「…いやあの、メイドさん…じゃないや、サマエルさん…でしたっけ?」
「なんです? 何か言い残すことでもおありなのですか。」
そうじゃなくって…と、言いつつ彩架は困った顔のまま…言った。
「私、女なんですけど。」
その場が、ほんの少しだけ固まってしまった。
「……うそ…」
敵すら呆然とさせてしまう彩架。何か傷つくものがあったりするのだが、それはそれとして…
京梧がくくっと喉の奥で笑う。
「敵さんにまで間違えられてしまうたぁ…さーちゃん、お前そろそろ女らしい恰好したほうがいいんじゃないか?」
「………遊んでません? 京梧さん。」
おう、そりゃもちろん。と言った京梧に溜め息など吐いてみせる。
「あ、あなたたち、自分たちの置かれている状況がわかっているんですか!?」
やや忘れ去られていたサマエルがヒステリック気味に叫んだ。
ああ、そうだ。
ミディアンとしての力も見せているのに、目の前の人物は少しも慌てたりしていない。
それどころか平静そのもので、こちらのことを遠回しに『お前らなんか敵ではない』と言っているかのように、振る舞っている。
「…当たり前だろ?」
にやりと京梧が笑む。
それにあわせて、くるりと彩架もサマエルたちのほうを見た。
その瞬間に、サマエルたちはゾッとした気配を味わうことになる。
…そこにいるのは…さきほどの柔らかな空気をまとった人物ではなく…あきらかに自分たちとは違う、圧倒的な何かを持った者の気配。
ざわっと空間が、精錬な気配に動き出すかのような。
…闇の眷属たちの領域であるはずの場所が、凄まじい気に当てられていく…かのように。
「貴方達は少々、殺しすぎました。」
ぱん、と拳を鳴らして彩架が、身構えた。
それにあわせて京梧もまた、刀を構える。
たった2人であるのに、けっしてひけを取らない気配。
気迫に満ちた瞳に、逆にメイド達のほうに悪寒が走った。
……『これ』はなんだ、と。
「行きましょう、京梧!!」
「おうよ!」
ダッと駆け出す2人。
次の瞬間、数人のメイドたち…闇の眷属が切り伏せられ、吹き飛ばされていた。
その前にいるのはすでに抜刀している京梧と、拳を解き次の構えに入っている彩架の2人しか立っていない。
「……なっ!!」
「な、なんですかぁ、今のはぁ!!」
圧倒的な、速さ。
それはまるで光のような、彼女たちがもっとも恐れる光の…もの。
それさえも感じ取れないまま、次々と闇の眷属達はその邪悪なる生命を断ち切られていったのだった。
それからさらに時は過ぎ。
彩架達はこの屋敷の主…ヴラドと、対峙していた。
ほのかの魂を『贄』としようとしたことを聞き、京梧と彩架の顔に怒りが浮かぶ。
高らかに嗤うヴラドを眺めながら、それでも京梧が叫ぶ。
十字架に磔にされたほのかに向かって叫んだ。
(切支丹の祖、キリストの磔のごとく、磔にされたほのかに)
それを彩架は見つめた。
見つめてはいたが…何も、言わなかった。
大丈夫…京梧の言葉は、届くと信じてもいた。
何より、ほのかの『心』を信じていたのだ。
…やがて、京梧に同意を求められ、ゆっくりと口を開いた。
「…私も、信じてます。」
ぽつりと彩架が呟く。
無駄なことを、とヴラドが笑ったが気にも止めなかった。
「ほのかさん…信じてるから。私も貴方の願いを知っているから…」
だから、と続けて。
ほのかのなかの『朱雀』の力が…ぴくりと、動く。
「大丈夫。あなたは…きっと、自分の信じる道を歩いていけます。こんな奴らになんか、負けません!!」
ぱきん、と小さく闇に捕らわれた魂を縛り付ける鎖が、音をたてて崩れたような気配がして。
ゆっくりとほのかが眼を開けた。
「……彩架…さま…?」
ほのかの心のなかに、何かが響く。
あの時に似た光景。
でも今はどこも燃えていない。あの火炎はどこにも、ない。
違う。
彩架のほうを見たほのかは確かに感じ取ったのだ。
優しい、炎の力を。
自分の身に宿る『炎』の力を高めてくれる何かを。
朧気な視線の先には、出会ったときの微笑みをたたえた彩架が立っていた。
「ほのかさん!!」
呼ぶ声が、聞こえて。
眼が醒めた。頭がはっきりとして、ほのかの体から『炎』が生まれる。
すべてを焼き尽くすための炎ではなく、誰かを守るためのもの。
火は家を焼き、人々の大切なものさえも焼き尽くしていく。
それは魔物の炎。
だが逆に、凍えた者を暖め、暗闇の道を照らす道標ともなる。
それは聖なる炎。
主がほのかに与えたのは…はたしてどちらだったのか…
それを決めるのは他ならぬ、ほのか自身でしかない。
自分を縛る枷を焼き、ふわりと地面に降りる。
(…貴方だったんですね…)
そう、ほのかは思った。
これから始まるであろう闇の眷属と、そして炎の武器を持つ男との戦いを前にしながら。
あの優しい、自分を守ろうとしてくれる…炎の主は。
「……主よ。あなたの導きに、感謝を。」
小さく呟いて、顔を上げた。
胸元の十字架を握りしめて…ゆっくりと、息を吐く。
「大丈夫、ほのかさん!?」
やがて、戦いの最中、彩架が骨の軍団を蹴散らしながら…本当に蹴散らしてきた…孤立状態であったほのかに走り寄る。
「ええ、大丈夫です! 彩架様もご無事で…」
答えるほのかだったが、その時、彩架の背後に迫る巨大な敵…ヴラドに、気づいた。
自分に優しくしてくれた方。
そのなれの果て…主に背いたその姿は、もう…
思わず躊躇するほのかだったが、その時、ヴラドが手を上げたのがわかった。
彩架に襲いかかろうと…
迷っている暇などない。
ほのかは、自分の胸の十字架に祈りを捧げ…その『言葉』を口にした。
「『紅き閃く鞭』よ!」
『言葉』によって紡がれた力が、炎となり、真っ直ぐ飛んでいく。
それは走り寄る彩架を追い抜き…背後に迫った白い敵を、焼き付くさんと襲いかかっていった。
断末魔の叫び声が上がるなか、『力』によりよろけたほのかを彩架が受け止める。
「…彩架、様…お怪我はありませんか?」
「私は平気! …ありがとう、ほのかさん…助かりました…」
ほぅ、と息を吐いた彩架だったが、未だに動き出そうとするヴラドに気づき、ほのかの肩に手を置く。
「…後ろへ。」
「彩架様、私も…」
ほのかの申し出を彩架は少しだけ笑んで止めた。
そっと、ほのかの手を握りしめて、言う。
「お世話になった人だったんでしょう…? 無理は、しないで。」
そのままとん、と片手で軽くほのかの体を押し、反動をつけて反転する。
あなたはこんな時であろうと…誰かの心を心配なさる。
優しい心の持ち主。そして何より…強い、心。
誰かを守りたいと強く願い、そしてそれを実行するために走る思いをそのままに。
走る彩架の後ろ姿をほのかは見つめていた。
その姿はやはり…あの夢の、ような。
「…私が?」
「ええ、そのとき私は…あなたが『光』のように感じられたんです。」
その戦いと、出会いの時から時間はたち…鬼哭村の教会で、2人は『あのとき』のことを話していた。
彩架は照れくさそうに笑いながら、
「そんなことないよ。私、自分でことでいっぱいいっぱいで…それにみんなにも迷惑かけてるし、それに…」
平常の…戦いのときとは違う、どこかほのぼのとした彩架を見ても、ほのかの彩架の印象は変わらなかった。
出会ったときのまま…そう、『炎』にも似たひかりを持つ人物として。
「貴方が貴方だからこそなのです。だから…貴方に、惹かれていく人が多いんですよ?」
気づいていらっしゃいますか、と言うと彩架は顔を赤くして、あぅ、と呻いた。
照れているその様子を可愛らしく思い、ほのかはふふと笑みをこぼす。
ここにいるのは、同じ年頃の少女で…隣にいると安心する、友だちだ。
「…でも、ほのかちゃんにそう言ってもらえるのって嬉しいかも…」
ちゃんと、自分の「嬉しい」を表現することのできる、人。
「私こそ、ありがとうございます。ご主人様にそう言っていただけて…嬉しいです。」
だからご主人様はやめようね、と彩架に言われて…それからお互いに笑い合った。
光に焦がれていた。
あたたかい炎にも、憧れた。
だがもうそれは共有するものであり、こがれるものでは、なくて。
一緒にいることによって得られる『あたたかさ』のひとつだから。
<終わり>