変化 壱〜かわりゆくもの〜    




花よ蝶よ、風よ舞い散る葉よ
舞い踊れ 軽やかに
舞い踊れ 激しく
舞え 舞え
今宵の舞手とともに






   ことり、と。
   戸の外で聞こえてきた物音に、雹はゆっくりと顔を上げた。

   雹の住む屋敷は大きく、広く…そして彼女がたった1人で暮らしている。

   いいや、彼女とともにある人形とともに、だが。
   そのせいか、そして彼女の気位の高さからか、屋敷には人が訪れることは少ない。

   だがそれが、最近、変わった。

   雹は座敷に座ったまま、ゆっくりと手を動かす。
   見えないほど細かい糸を動かすと、部屋の向こうの、そのまた向こうから、小さく話し声が聞こえてきた。

   正確に言えば『客人』1人の声なのだが、それと一緒に少女の声らしきものも聞こえてくる。

   雹は人形遣いだ。

   くん、と糸を細かく動かすと話し声がそのまま自分たちのほうへ近づいてくる。
   
   彼女はゆっくりと自分の傍らにいる大きな『人形』…ガンリュウを見上げた。

  「そうか…お前も嬉しいのかえ?」

   見上げる先に艶やかに小さく笑みをこぼす雹に、ガンリュウは少しだけ歯車を軋ませる。

   さながら、「そうだ」といわんばかりだ。
   実際、雹にはそう聞こえたのだろう。そのまましばらく客人…ガンリュウが珍しく『気に入った』人物が来るのを待つ。

   するりと襖が開くと、そこにはやはり小柄な人物が立っていた。
   雹の姿を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。誰かがその様子を『子犬か、子猫のようだ』と称したのを不意に思い出す。

  「雹ねえさん、また来ちゃった!」
  「ああ、知っておる…だから通したのだ。
   よく来たの…彩、変わりはないかえ?」
  「はい、今日も元気です。雹ねえさんも元気そうでよかった。」

   誰からも扱いが難しいと倦厭されていた雹に、彩架は気にしたそぶりも、気負う素振りもなく、素直に頷いて答える。

   そして彩架はガンリュウの側まで行くと、とん、とその手に触れる。

  「ガンリュウも元気そうだね。なんだか調子も良さそうだし……」

   人形に向かって何を…、と思うだろう。

   実際、ガンリュウ相手に親しげに話す彩架を見た風祭が『バカかお前』と言ったほどである。
   だが彩架はそれを気にせず笑って言う。

   『だってここのみんな…大切にされて嬉しそうだよ?』

   付喪神…長年人に扱われた道具が命を持つ…とはまた違う印象で彩架はそう言った。

   それを聞いた人形たちが嬉しそうに…わかるのは雹だけだが…彩架を見る。
   それから人形たちは少なからず彩架がくると調子がよくなっていた。

  「お前が来るとこやつらも元気になるのでな…ガンリュウも、お前のことは気に入っておるしの。」

   そう言う雹に、彩架が照れたような笑みを浮かべてガンリュウの腕をさする。
   
   雹以外のものに触られるのを嫌う人形たちだが、彩架が触れるのは許した。
   むしろ、それを喜んでいるようにも感じられる。

  「あ、そうだ。今日はね、雹ねえさんにお土産があったの…食べ物にしようかなって思ったけど、ガンリュウが食べられないし。」
  「ほう。わらわに土産とは?」

   ごそごそと懐を漁ると、そこから布に包まれた何かを取り出す。
   それを雹のほうへ差し出すと、彼女もそれを受け取った。

  「…これは…新しい糸じゃな。」
  「うん。この前、糸が切れたって言ってたから…それに奈涸さんが新しいのが入ったからって。」
  「わざわざすまぬの。」
  「ううん、これはお土産だし…それにこれで糸の調子も合わせられるでしょ?」

   うむ、と頷いて雹がまた虚空に腕を伸ばす。
   指を一つ、二つと複雑な形に曲げると奥の扉が開き、そこから着物を着た愛らしい女の子が出てきた。

   いや…女の子の、人形なのだが。

  「丁度、こやつの糸が切れておってな。よい時に持ってきてくれた、礼を言うぞ?」
  「いいってば…雹ねえさんと、みんなが嬉しいのなら私も持ってきてよかったって思うし…」

   それだけで十分だから、と言わずに暗にそこで言葉を止める。

   みんな、とは雹の作った人形たちのことも指している。
   雹が大切にしているもの…それを彩架もまた、大切に思っている。

   本当に良い子だ、と雹は小さく笑んだ。

  「そこでガンリュウと遊んでおれ。わらわは少し、こやつの相手をしておこう。」
  「はーい。あ、そだ、ガンリュウ聞いて! あのね……」

   そして物言わぬガンリュウに、彩架は丁寧に今日あったことを話し始めた。
   楽しげに、嬉しそうに、そして時に照れくさそうに。
   ガンリュウは何も答えない。
   しかし、彩架の話のあとは決まって機嫌よく…調子がよくなるのだ。

   まるで彩架が来ること、自分に話してくれることを喜んでいるかのように。

   そのころころと変わる様子を側に置き、雹は糸の調整を始めた。




  「…そういえば……」

   ふと、ついでとばかりに人形の衣装…着物の変えを始めた雹が気づいたように呟く。

   雹の声に、ガンリュウにぺたぺたと無遠慮に触っていた…それでもガンリュウは嫌がらない。雹もそれは許していた…彩架が振り返った。

  「のう、彩架。お前はおなごじゃろう? なのにどうしていつも胴着ばかり着ておるのだ?」
  「え…えーっと…なんでって、聞かれても…」

   呻りつつ(考え込み)ながら彩架が首をかしげる。
   その様子と一緒に、ガンリュウも首をかしげた(雹がそう動かしたのだが)。

  「えっと…胴着のほうが動きやすいし…それに、こっちのほうが安いから。」
  「御屋形様から服くらい貰うておろう? それに駄賃ぐらい…」
  「…御屋形様、胴着しかくれなくて……それに駄賃とか貰っても…その、もったいなくて使えないの…」

   1人旅をしていたせいか、彩架はあまり無駄遣いをしたがらない。
   
   団子屋や蕎麦屋に寄ったり、如月骨董店で骨董品を買ったりもするがそれ以外の出費はほとんどないと言ってもいい。

   それを察知した雹だったが、同時に御屋形様…九角が、彩架のことを女とは思っていないことにも気づく。
   実際、古武術をしているせいもあってか締まりのある体をしているせいか彩架は、風祭と同じく『小さな男の子』として見られているらしい。

   彩架はそういうことには無頓着で、男扱いされても呑気に笑っているし、否定も肯定もしない。

   他の…雹を除けば桔梗ぐらいしか、彩架が女だとは気づいてもいないのだろう。

   『まあ、本能だけで気づいてる輩もおるようじゃが…』

   と、思い、雹は口元を手で隠しながら、くすりと小さく笑う。

   そう、彩架は好かれていた。
   村人たちから腕の立つ客人としてもだが、その人柄や雰囲気に惹かれる輩も随分と多い。
   九角とはまた違った意味で人々から慕われている彩架は、仲間たちからも慕われていた。

   慕う、というか…まあ、それなりの情を抱いている者たちもいるのだが、彩架はそれにはまったく気づいていない。

  「…呑気というか、おおらかと言おうか…」
  「?」

   思わず呟く雹に、彩架が首をもう一度傾げる。

   まあ、よいと雹はそこで自己完結させる。
   そのうち気づくことだ。
   それに、彩架に心惹かれるというのも…なんとなく、雹はわかった。

   本当に不思議な子。

   いつの間にかするりと心のうちのしみこみ、言葉や行動のひとつひとつで頑なな心を溶かしていってしまう。

   春風。微笑み、言葉を交わし、行動で示して…優しい、心根。
   やがてまわりが変わっていく。
   目に見えて、彩架は『変革』をもたらしていった。
  
   だから…

  「そうじゃ…のう、彩。この着物を着てみぬか?」
  「え……え…えぇ?!」

   今度は自分が、何かしてみるのも面白そうだと、珍しく雹は思った。
   変わらせてくれた礼と…そして、彩架で遊びたいという女心と、戯れから出た言葉。

  「だ、だめ! だってこの着物、高そう…! そ、それに、この着物の持ち主が困る…」
  「気にするでない。お前ならこやつらも着物くらい、いくらでも貸すじゃろう。」
  「で、でも…似合わない……」
  「それはわらわが決めることじゃ。」

   でも、と逃げを打とうとする彩架に、雹は艶やかに唇に笑みを浮かべた。

   見るものを引き込む迫力のある笑みに、彩架も一瞬体が固まる。
   そして何より…雹がまた、指を動かした。

   すると彩架の目の前にいたガンリュウが動き出し、逃げられぬように彩架を抑え込む。

  「きゃーきゃーきゃー!」
  「ほれ、静かにせぬか…お前たちも手伝え。珍しい彩架の装いじゃ、お前たちも楽しみじゃろう?」

   雹ねえさーん! という彩架の叫びを聞き流して、雹が他の人形たちも動かして彼女を抑え込む。



   ばたばたとした着せ替えをしつつ(着替えは、男であるガンリュウには退席させたが)、人形たちは壊せない、と<力>が使えない彩架をようやく大人しくさせ、雹が着物を着せていく。

  「雹ねえさんってば…」
  「よいではないか。たまにはこうするのもよいことじゃろう…?」
  「でも…やっぱり変な気分…」

   化粧もし、髪も結い(短いのでかもじ(今でいう鬘)をつけ、整えて)、着物をひとつひとつ着せていく。

   そこまでやりつつ、ふと雹が感心したような溜め息をついた。

  「立派なものじゃ。やはりお前は素材がよいのぅ…やりがいがある。」
  「もうー……」

   ぷぅと膨れた彩架に、ころころと笑いかけ、雹が最後に、とばかりに髪にさすかんざしを選ぶ。

   いくつか観察しながら、思いついたように手を止めた。

  「のう、彩架……」



   少し、わらわと遊ばぬか?

 

   と、雹が囁いた。



   …雹は、確かに変わり初めていた。
   戯れに遊ぶことを知り、人物が限定されるとは言え笑うようにもなった。

   人形ではないのだ、と。
   心の通った確かな人であるのだ、と。

   雹自身が、『認め』はじめたからなのだろう。

   
   それは彩架にとっても喜ばしいことだ。

  「い、嫌ですよぅ!」
   
   だが、自分で遊ばれるとなると話は少し変わってくる。

  「よいではないか。皆の驚く顔、見たくはないのかえ?」
  「だ、だって、それって絶対…変だと思われちゃう…!」
  「そんなことはない。わらわとて、この『出来』には感心さえしておるのだからな。」

   しないでください! と力の限り彩架が叫ぶ。

   そう、雹が変わるのは嬉しい。
   だが、それによって自分で遊ぶのはやめてほしい、と思っていたりもした。


  「お前がやるのなら、妾もこの屋敷から出よう。」
  「え……雹ねえさん、外に出てきてくれるんですかっ!?」
  「ああ。じゃから、の?」
  「うぅっ……(汗)」

   

   そして『変化』は、広がっていく。






  <つづく>