記憶 六〜よみがえるもの〜
君がいたという、記憶。
君がいたという、感覚。
そして、君が居るという、真実。
記憶が本格的に蘇ったのは、あの場面を見たからだった。
蘇ったというより…思い出すという感覚とも違う…何とも言い難い、記憶。
それでも確かに、自分たちの心に蘇ってきたのだ。
今まで感じていた違和感の説明をすべてをしてくれるもの。
その答えを……この『場面』は確かに思い出させてくれた。
あの時…自分たちが斬られた(ころされた)場面とよく似た、もの。
彼女の目の前にいる、あの人物。
赤い、獣。
ああそうだ、あれが人と言えるものなのか…あんな、わけのわからない、静かな『狂い』しか持ち合わせていないような…ものが。
人ではない何かを持つ、獣。
その者と静かに対峙している、少女。
違うのは、斬ろうとしているのが『まわりにいる』者ではなく…少女自身からだということ。
「お前たちの希望とやらを……今、ここで消してやろう。」
そんな声が風に乗って微かに届く。
振り上げられた大刀を前にしても少女は微動だにしなかった。
じっと、自分の目の前にいつ男を見据え…眼を逸らそうともしない。
とてつもない強い意思を秘めた瞳。
けっして揺るがない決意をこめて動かない体。
対照的に握りしめることなく、開かれた掌。
だが、その身に秘められた≪気≫の気配は身震いするほどのもの。
ぞくりと、背が震えるほどの強い…思い。
まわりからやめろ、と。
逃げろと叫ばれても、けっして退かずにその場から動こうともしない。
やがて、男の刀が振り下ろされようと…して。
風が吹いた。
一陣の風が、確かに『鳴いた』。
次の瞬間、少女が場違いなほどに…綺麗に、微笑んだ。
この世のものとは思えないほど、『綺麗』に唇に笑みを浮かばせて、グッと拳を作る。
鳴いた風は、少女の普段は隠している前髪の額の部分をあらわにし…そこにあった傷跡を、さらしていた。
それが『鍵』となった。
突然。まるで真っ暗な場所に光が差すかのように、光明がひとつ、ついた。
そしてその光は、一気に暗闇を明るくしてしまった。
その暗闇は…『記憶』。
脳裏に浮かんだのは櫻だ。
季節はずれの櫻の光景、その下にいる少女。
一人で立っていた少女がこちらを向いて…微笑んでいる、その光景。
自分が何をすべきか、一瞬で理解したのもその時。
「……よお、さーちゃん。」
やがて戦いが一段落し…あの赤毛の男も、仲間とおぼしき男とともにどこかへ消えていった。
不意に京梧が、自分の隣を見た。
そこにいたのは見覚えのある『黒』。
新しく誂えたのか…時間軸? 時空軸? が違うので当たり前だが…見覚えのない、手甲。
何より、この身長差だ。
自分より小さくて、軽くて…首を痛めるぐらい、下を見ないと合わせられない視線。
その先にいるのは、彩架。
彩架が名前を呼ばれて当たり前のように京悟のほうへ振り返った。
久方ぶりに見る、黒曜石の瞳。
いつもなら悲しみしかうつさない…少なくとも、『こちら』では…瞳が、ゆっくりとこちらを見上げている。
何を言えば思いつかず、京梧があーとか、うーとか呻いた。
呻いてなお…何を言えばいいのか、わからない。
戦った。敵として。
『お前は誰だ』と、残酷に問うたことさえあった。
…その時にはもう、自分たちのことを思い出していたのか、それはわからなかったにせよ…
その問いは、残酷そのものだ。
連れて帰りたい、と言ったときさえあった。
悲しそうに、嬉しそうに笑んだ顔が今更になって脳裏をかすめる。
抱きしめた、ことさえ。
「…京梧。」
一時、おいて彩架がゆっくりと自分の名前を呼ぶ。
ハッと我に返ると…その先にいるのは、笑顔の。
自分の知っている、いつもの笑顔を浮かべた、少女。
「京梧!」
とん、と。
一瞬、その感触を知覚することができなかった。
胸や背中、体に伝わるあたたかな体温と、感触。
抱きつかれていると気づいたときには、思わず、情けない顔をしてしまっていた。
それでもお構いなしに彩架は京梧に抱きついている。
抱き返すこともできず、またしても意味不明なことを呻きながら…それでも、ふと、頭を撫でた。
さらりとする髪質。
いつも暇になると、目の前にあると必ず手を伸ばした漆黒の髪。
撫でると心地が良くて、よくまわりに注意されるまで撫で回したことさえあった。
そんなことを思い出した。
彩架は、未だに京梧に抱きついたまま離れようともしない。
何度も何度も噛み締めるように自分の名を呼び続けている。
…あの時とは違う場面だな、とぼんやりと思いながら、それでも嬉しくなって京悟は笑った。
「さーちゃん、久し振り。元気そうだな。」
こくこくと頷く。
「待たせちまって…悪かった……俺も…俺たちも、思い出せなかったんだ。」
寂しかったか、と聞くと即座に首を横に振る。
その答えには少々落胆もしたが…まあ、よかった。
「…これからは一緒に、行こうぜ。俺たちは仲間だ…そうだろ?」
連れ去るのではなくて、はじめから『仲間』なのだから。
それを暗に示すと、ぐす、と彩架が涙ぐんだのがわかった。
見なくてもわかった。気配で、すぐにわかる。
自分は、『相棒』だから。
「よしよし、泣け。泣いちまえよ。しばらく俺の胸も着物も、貸してやるからよ。
…お前ぐらいだぜ、こんなことするのは。」
ぽんぽんと背中を叩くと、途端にギュッと抱きつく力が強まった。
そのままワッと、彼女にしては珍しく声を出して泣く声が聞こえた。
よしよし、と背中と頭を撫でると、そのたびに途切れ途切れに聞こえてくる。
会いたかったとか。
町で見かけるたび、声をかけたくなった、とか。
今、何をしているんだろう、とか。
あの敵と戦っているんだろうと、思うことさえあった、とか。
随分と心配して…それでも行けない、のが辛かったのだと。
泣きながら訴える彩架に…ああ、本当に珍しい。彼女は滅多に、こんなことを言ったりしない…京梧もずっと、好きにさせておいた。
わんわんと泣いている彩架の体を、ぽん、と叩く。
「相変わらず、ちっちゃいな…お前。」
「…京梧、が…おっきすぎるの! …私、少し…背、伸びたんだよ…」
「見えねぇ…」
軽口を叩くと、ぽか、と背中を叩かれた。
あまりにも力が無くて少しばかり気が抜けたが…悪かった、と答えた。
悪かった、と何度も伝える。
何度も伝えて…そのたびに、泣きながら首を振るものだから、京梧の着物が広範囲で濡れた感触がした。
だが、まあそのくらい。
そのくらい、させてやる権利はある。
十分すぎるぐらい、堪えてきたのだからと…京梧は、思った。
「…だー!! あのやろぅ! いつまでさんさん泣かせてるつもりだ!!」
そして。
すっかり忘れ去られた…というより、京梧によって放り出された外野は風祭がキィキィと騒ぎ出していた。
「まあまあ、いいじゃないか風祭。久し振りの再会なんだ、師匠も嬉しいだろうしな。」
そんな風祭の襟首を掴んで、彩架達のほうに突っ込んでいくのを止める。
はなせー!! と叫ぶ風祭だったが、それを九桐が軽々と止めていた。
九桐が呑気に笑っていたが…そこで、少しばかり君主のほうを見る。
天戒はかなり複雑そうな顔をしていた。
「若。大目に見てやりましょう。師匠も、今は…噛み締めていたいんですよ。」
再会を。
…記憶は、天戒たちのほうにも『蘇る』形となっていた。
敵としての記憶。自分たちの前に立ちふさがった…いいや、止めようとしていた彩架を。
そして仲間としてお互いを信頼もしていた『龍閃組』のこと。
その光景を知っているからこそ、思った。
……反対に、その仲間たちと戦うことになった辛さ。
悲しみや苦しみも…あの、悲しげな表情のわけも。
「…さーさん、随分と我慢ばかりしていたようだしねぇ…」
ぽつりと桔梗も呟く。
ああ、そうだ…こちらに来たのは…連れ込んだのは、桔梗自身だったのだ。
仲間にしたことに後悔はない。
現にそのおかげで自分たちは…変われたのだから。
色々な意味で変われたのだから…そして、きっと。
きっと、そのことで謝っても彩架は笑って答えるだろう。
『私は、皆さんに会えてよかった』のだと。
そう言って、優しく答えるのだろう。
「でも…やっぱり、辛かったはずだよ…仲間に、何かしら言われるのも…戦うのも、さ。」
だからこその、あの表情。
大切なものを奪い去られてしまった、顔。
その『大切なもの』は確かにここにも存在するのに…それはもう、自分のものではなくて。
置いていかれてしまった。
「だが、彩の表情に嘘などなかったはずだ。」
その時、天戒が口を開く。
苦いままの表情…複雑そうな顔のままだったが、口を。
「あいつは俺たちと共にあって…仲間だと、思っていたんだ。もし嫌なのなら…ただの義理だけなら、あんなに必死になることもないだろう。
彩は、確かに…俺たちの仲間だ。」
大切な仲間。
その言葉に桔梗と九桐が驚いたような顔をしていたが…それから、ええ、と頷いた。
風祭は憮然としていたが…それでも否定はしない。
真摯な思い。
自分たちのために、何かをしようとする強い思い。
側にいて笑って。
泣いて、怒って。
いつでもそこにあった彩架の表情に…嘘など、なかった。
「…とにかく! いつまでもあいつらにさんさんを取られてたまるか!!」
おら離せ、九桐ーーー!!! と風祭が喚き散らす。
「まてまて。そう急くな…しかしお前が『取られる』とはなぁ…」
「おや、ほんとだねぇ…いつもなら、勝手に行っちまえぐらいは言うのにさぁ。」
ハッと風祭が止まったが、もう遅かった。
にやにやと笑う尚雲に、おかしげに笑う桔梗。
笑うなっと風祭が叫ぶが、それが引き金になった。
途端に、2人が声を上げて笑い出し、風祭がまた怒る。
だが止まらずに、ぶち切れそうになるのだが…
「…確かに、面白くはないな。」
顎に手を当てて、考え込んでいた天戒がぽつりと口にする。
え? と三人が聞き返すよりも早く、天戒がニッと笑った。
…面白くは、ない。
「彩!」
呼びかけると途端に、バッと彩架がこちらのほうへ振り返る。
抱きついていた手を離し、ごしごしと顔を拭きながら、若? と呼び返してくるのがわかった。
京梧が苦々しげな表情をしたが、それは知ったことではない。
「来い。」
ただそれだけ言って手招きをすると、彩架も急いで京梧から離れ(京梧がやり場に困った手を見ていたが、気にせず)、
天戒のほうへと走り寄ってくる。
「…若? どうかなさったんですか?」
「…いいや。ただな。」
側までやって来た彩架の目尻に手を置き、残ったままの涙を拭う。
その行為に、おや、と小さく桔梗が言い…それから面白そうに、尚雲のほうを見る。
尚雲のほうも、ただ何も言わず…少しだけ、困ったような顔をした。
「泣いてばかりだと、俺たちも心配になるのでな。」
これは俗に言う、宣戦布告というものであって……
「は、はい。すみません、若…つい、嬉しくて…」
「いいや、かまわん。だが、もう泣きたいときに泣いてもいいのだ…俺たちも、お前の力になれるのだからな。」
なるべく優しく、諭すように言うと…彩架も嬉しそうに、はい、と答えた。
そんな彩架の頭を撫でながら、天戒がちらりと京梧のほうを見る。
京悟は、こちらを物凄い勢いで睨み付けていたが…そんなものは、何処吹く風だ。
フッと薄く笑う天戒に、ますます殺気を募らせている京梧。
……どうでもいいところで、仲の悪さは勃発するものである。
櫻の下で。
雨の降る竹林で。
出会いは、確かに…あった。
その出会いはこうやって、違う『あす』をもたらしてもいるのだが…それでも。
相容れないものもある。
たとえば。
「あのやろう…これみよがしに…!!」
「まあ、しばらく…あっちにやるつもりもないがな。」
意地の張り合い、など。
<つづく>