〜それをしめすもの〜  



呼んでもらうと嬉しいときがある

それが名前なら、なおさら。






  「おはようございます、天戒様。尚雲さん、興継くん。」

   ああ、おはよう…と返そうとした(風祭は憎まれ口をたたきそうになった)が、それが聞き慣れない単語によって一瞬、固まる。

   男性陣が先ほどの彩架の言葉に固まっているのにも気づかず…というより、自分の耳を疑っているのだろう。
   …彩架は大根のみそ汁に口をつけていた。

  「……彩。」
  「師匠……」
  「さんさん。」

   三人が怖々と口を開き、それぞれが彼女のことを呼ぶと、彩架が顔を上げてにこやかに笑顔を浮かべる。

  「なんですか? 天戒様、尚雲さん、奧継くん。」

   やっぱりか! と心のなかで一斉に叫ぶ面々に彩架は首をかしげていた。

   その様子を桔梗が面白そうに眺めていたことに、天戒たちはついに気づけなかった。

  
  (若→天戒様(みんなが様づけをしているから(笑) 九桐さん→尚雲さん 風祭くん→奧継くん)


  「こんにちはー御神槌さーん!」

   教会にいつものようにやって来た彩架を、御神槌が笑顔で出迎える。

  「これは……彩架師、ようこそ。」
  「Hey! ブラザー…いや、シスター。今日も元気そうで何よりだ。」

   そこへ同じく教会に入り浸っているクリスが乱入してくる。

   クリスにも勿論、笑顔を見せて彩架が嬉しそうに言う。

  「クリスさんも、御神槌さんのお話を聞きにきたんですか?」
  「それもある。でも目的は…君かな?」
  「…私、ですか?」

   ぱちぱちと不思議そうに眼をまたたかせていると、クリスがおかしそうに笑った。

  「ああ。それに神父も、君と話したがっているしね。」
  「く、クリスさん……!!」

   慌てて赤くなった御神槌がクリスを止めようとする。
   だがクリスはその様子が楽しくてたまらない、と言った感じで、ばしばしと御神槌の背中を叩いた。


  (御神槌さん(変わらず) クリスさん(変わらず))


  「万斎さん……いらっしゃいますか?」

   音をたてないように弥勒の工房の扉を開けると、そこから顔を出し、おそるおそる尋ねてみる。

   こうしないともし仕事をしていた弥勒の邪魔になるからだが…今日は、仕事はしていなかった。
   かわりに珍しい客人がいた。

  「君か…………?」
  「やあ、彩君。今日は弥勒君の仕事の見学かな?」

   ふと口を閉ざしてしまった弥勒の前に、奈涸が座っていた。

   珍しいお客に彩架が驚いて中に入ってくる。

  「奈涸さんも、弥勒さんに何か用事なんですか?」
  「ああ。実は彼に面のひとつを作ってもらおうかと思ってね…こうして足を運んだんだ。」

   もっとも、最大の目的は九角家の蔵を漁ることだけどね、と冗談めかして笑う奈涸につられて彩架もおかしそうに笑った。

  「……彩さん。」

   と、そこでようやく石地蔵(違)の常態から脱出した弥勒が口を開く。

   彩架もその声にふり向く。

  「なんですか、万斎さん。」

   あっさりと言われて、弥勒の硬直は最高潮に達した。
   常ならばめったに見られないその状況に、奈涸がおかしそうに、今度こそ膝をたたいて笑い出した。

   彩架は首をかしげて、不思議そうに2人を見るばかりであったが。


  (弥勒さん→万斎さん 奈涸さん(変わらず))


  「こんにちは〜、霜葉さーん。もんちゃーん!!」

   双羅山の鍛錬場までやって来た彩架が、いつものように鍛錬を続ける壬生と…おそらく気まぐれでやって来たのだろう、們天丸を見つけて声をかける。

   ぶんぶんと手を振りながら走り寄ってくるその姿に們天丸が、やっぱし子犬やなーと、笑いながら出迎える。
   壬生も、手を休めると、お前かと呟いた。

  「よう、彩々。相変わらず元気いっぱいやなー。」
  「もんちゃんも元気そうですね。あ…霜葉さん、お邪魔しちゃいましたか?」

   鍛錬の邪魔を、と続けようとしたがそれよりも早く壬生が首を横に振る。

  「いいや。丁度、こいつが邪魔をしに来たところだ。」
  「なんやえらい棘のある言い方やなー。」

   嫌味だ、と続けた壬生だったが、們天丸のほうは明るく笑って取り合おうとしない。

   同郷の出身、ということで何気なく一緒にいるところを見かける2人。
   仲が悪いというわけではない、
   静かな壬生に、少しうるさい(?)們天丸の2人は、ちょうどよい関係なのだろう。

  「…てことは…相乗で邪魔?」
   
   心配そうに聞き返す彩架に、それは違うと、否定する。

  「どうせ、こいつが来た時点で修行はできなかったんだ。
   いい時に来た…と言ったほうがいいだろう。」
  「だからそこで邪険にせぇへんといてぇな。方陣技の相方やのに。」

   ちぇっ、と子どものように拗ねる們天丸に、彩架が小さく笑う。

   見ているだけで面白い們天丸だが、静かな壬生の合いの手が入るとそれがより面白くなる。
   いい効果、と言ったほうがいいのだろうか。

   本人に言ったら即座に嫌がるようなことだったが。


  (們ちゃん(変わらず) 霜葉さん(変わらず))


  「泰ちゃーん……」

   ててっと遠くのほうから走ってくる彩架に気づき、泰山が側にいる動物たちから顔を上げる。

   彩架の姿をみとめると、嬉しそうに笑って手を上げて応えた。

  「よー! 兄弟ー!!」

   ぶんぶんと手を振って立ち上がると、動物たちが慌てて逃げ出すのも構わず彩架のほうへ走り寄ってくる。

   その巨体でクマかと見まごうほどの迫力のある突進だったが、彩架は笑って泰山が来るのを待つ。
   それから、ひょいっと抱き上げられてぎゅっと抱きしめられるのをいつものことのように受け止めた。

  「遊びに来でくれだんかぁ? おで、嬉しいぞぉ〜。」
  「うん、だって泰ちゃん、この頃山から下りてこなかったから心配で…」
  「悪ぃなぁ。おで、木樵の仕事しでたんだぁ…御屋形様に、新しい材料がほしいって言われで。」
  「そっか…泰ちゃん、頑張ってたんだね。」

   えらいえらいと、泰山の頭を撫でると、嬉しそうに笑う。

   本当に子どものように感情表現があからさまで、大胆で、でもそれが彩架には嬉しかった。

  「……なんだ。何の音かと思ったらさーたんかよ。」

   と、そこへ木々のなかから誰かに声をかけられ、彩架が上を見上げる。

   すると桃の木の上で火邑が、桃を手にこちらを見下ろしていた。

  「火邑さん…いつからそこに?」
  「随分前からだ……たく。相変わらず表現方法が単純だな、泰山。」

   そうかー? と呑気に聞き返す泰山(嫌味なのだが気づいていない)に、火邑のほうも面白くなさそうに眉を寄せる。

  「珍しいですね、火邑さんがこんな山奥まで来るなんて…」
  「桃食いに来たんだよ……いるか?」
  「是非!」
  「おでも欲しいぞ〜。」

   諸手をあげておねだりする2人に、火邑がわかったわかったと返す。

   火邑にとっては泰山も彩架も、手の掛かる子どものようなものだ。
   勿論、それは感情表現が率直な自分自身にも言えることだったのだが。
   (気づいちゃいない)


  (泰ちゃん(変わらず) 火邑さん(変わらず))


  「……彩架。」

   式神の実験に来た彩架に、嵐王が話しかける。

   新しい式神をどれを作ろうかと悩んでいた彩架が、顔を上げる。

  「なんですか、嵐王さん。」
  「…おぬし……若に何か言ったか?」

   その問いに眼を丸くして彩架が考え込む。
  
   そんな彩架に重ねて嵐王が続けた。

  「尚雲や、奧継たちもそうだ…数人が、今日、何やら様子がおかしかったぞ。」

   様子がおかしいというか、嬉しそうというか、ぎくしゃくしているというか。

   とりあえず複雑そうな様子に嵐王もわけがわからず首をかしげていたのだ。

  「…何にも言ってませんよ?」

   そうなってくると影響力のあるのは、この村のなかでは唯一、彩架だけになる。
   何か言って、その重大さに気づかずに一日を過ごしていたのだとしたら…あの状況にも納得がつく。

  「……名前で、呼んだくらいで。」

   その『不吉』な単語に、嵐王の実験を続けていた手が止まる。

  「なんだと…?」
  「だから、名字で呼んでいた人たちを…名前で。若にはちゃんと、天戒様って言ったんですけど。」

   お行儀が悪かったかなと、心配そうにする彩架だったが、おかげですべての合点がいった。

   …名前を、呼んでもらう。

   たったそれだけのことだが、されどそれだけのことはある。
   

   名前を呼んでもらうというのは…ある意味、特別な意味を持っているのだから。


  「…彩架。」
  「はい。」
  「……急に変えようとはするな。」

   嵐王はそれだけ忠告することにした。

   確かに急激な変化は良くない。とくに心には。

   彩架は素直にはい、と頷いて承諾した。


   まったく、手間のかかるものである。

   
  (嵐王さん(変わらず))




   追記しておくならば。

   その『名前』で呼ぶということを提案したのは、桔梗と雹であり。

   比良坂は何が起こるのか予測はしていたが、それを止める術はなかった。

   
   変化は、訪れてこそ、なのだ。


   だが、しばらくの間はいつもの呼び方に戻った。
   変化は訪れてこそだが、急激な変化はよくないものである。

   ついでに言うなら、意識しないとできないので、彩架のほうが疲れたりもしたから。





  <終わり>