涙 壱〜ながれおちるもの〜  




ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

守れなくて ごめんね






  「さーちゃん。待たせたな。」
  「彩架! 大丈夫?」
  「さーちゃん!! お待たせ!」
  「彩架……よく、頑張ったな。」

   ああ、私は……私はこんなに、幸せでいいんだろうか、と思った。


   ざぁ、と冬の木枯らしが吹く夕刻。

   彩架はぼんやりと屋根の上で空を見あげていた。
   もうすぐ日も沈む。
   真っ赤に染まった太陽が、黒い地平線へと落ちていく様子を飽きることなく、ただ見つめていた。

   この風景は、『久し振り』だった。

   『龍閃組』に居た頃は、よく寺の屋根…ここのことだ…に登って、美里を辟易させていた。
   危ないから、と困ったように呟くと、醍醐も、それに賛同する言葉を言う。

   そうすると、いつでも隣から腕がスッと伸びてきて、自分を抱き込む。

   『いいじゃねぇか、あそこは日向ぼっこに丁度いいんだぜ?』

   なあさーちゃん? と言われて振り返ると、そこにはいつも強気な笑みを浮かべた京梧が立っていた。
   すると、小鈴もそれに習って、気持ちいいからいいよ、と笑って言う。

   それが当たり前の光景だった。

   後で醍醐と京梧が喧嘩を始めるのも、百合がやって来てお説教をするのも。
   美里が困った顔でそれを見るのも、小鈴がえへへ、と笑みをこぼすのも。

   本当に、
   『当たり前の光景』だったのに。

   
   此処ではない、別の場所…比良坂が言うには、同じようで違う、違うようで同じの場所。

   そこで悲劇は起きた。

   凶刃に倒れていく仲間達。
   たった一刀で切り伏せられ、絶命していくその様。

   何も出来なかった。

   何一つとして、出来なかった。

   大切だと思っていた者達を奪い去られていくのに、自分は、何も出来なかった。
   やめて、と叫ぶだけだった。

   すでに人間味とはかけ離れた笑みを浮かべて、あの男の凶刃は止まることはなく……

   自分も斬られて…殺された、と思った。
   死んでしまったと、思った。

   薄れ行く意識のなかで、高らかに響く嘲笑と、血の海に倒れている京梧を、見つけた。

   きょうご、と唇を動かせようとする。
   しかし、動かない。

   体中から急速に力が奪い去られていくのがわかった。
   意識が闇に沈んでいくのも、四肢という四肢が、言うことをきかなくなるのも。

   仲間達の名前を呼ぼうとして、倒れている京梧に手を伸ばそうとして……


   そこで、意識が途絶えた。


   真っ暗な闇のなかで、比良坂の声を聞いて…彩架は今、ここにいる。

   目覚めたとき、傷も痛みも……そして『記憶』すらもなかった。
   ただ強さだけが残った。

   沸き上がり、練り込まれた『力』だけが、覚えていたのだ。

   …仲間達との、戦いの日々を。
   穏やかに、けれど心をすり減らすような時のことを…しっかりと、記憶していた。

   やがて桔梗と出会い、導かれるままに鬼道衆となった。

   はじめはそれでもよかった。
   覚えていなかったから。
   けれど不思議な『喪失感』だけは、残り続けていた。

   天戒達と戦うたびに、風祭や九桐に背中を預けるたびに、脳裏に瞬間的に響く『声』。

   それがどうしても心に引っ掛かっていた。
   どうしようもない虚しさを、覚えさせた。
   けれどそれを天戒たちに打ち明けることはできなかった。

   ……打ち明けたところで、どう説明していいかもわからない『喪失感』を、どう言っていいのかわからなかった。

   そして……それはまるで『裏切って』いるような気さえしたのだ。

   自分はこの人達を『裏切って』しまうのじゃないかと、心の奥で怯えていた。

   鬼道衆の人々は、あたたかく自分を迎え入れてくれた。
   そこで多くの仲間達と、大切な人たちと出会った。

   それだけで幸せだというのに、どうしてこれ以上望めるのだろう?

   こんな気持ち、言えるわけがない、と……思った。



   それがやがて形になって襲いかかってきた。

   はじめはそう…王子稲荷で、『龍閃組』と出会ったとき。

   九桐に言われるままついて行き、そこで出会った彼らに、どうしようもないほどの懐かしさを感じた。
   同時に、足元が震え上がるほどの恐怖と、絶望を。

   カタカタと震えそうな体を必死に押さえつけていると、剣士が…言った。

   『蓬来寺 京梧』と、名乗った。

   その瞬間、何もかもが崩れ落ちそうになった。
   九桐が行こう、と言ってくれなかったらその場で訳も分からず泣き出していたところだった。

   その後も、沈んだままの自分を九桐は気遣ってくれたが、ついに打ち明けることもできずに戦い…
   …それから、次の日の朝方にようやく1人、部屋で泣いた。

   泣き出して、それから風祭が来てはまずい、と思い部屋から裸足のままで駆けだしていく。

   朝の早い時だったのが幸いして、誰にも出会うことなく、那智滝へとたどり着く。
   そしてそこでようやく…声を上げて、泣いた。

   泣いて、泣いて、泣き崩れて、叫んだ。

   叫び声は滝の流れ落ちる音に遮られ、誰にも聞こえることなくのみこまれていった。
   涙が溢れ、止まらなくて、次々に川のなかへ流した。

   それからしばらくして…断片的な記憶が、蘇る。

   聞き込みをしているとき、茶屋でぼんやりとしているとき、蕎麦屋で、突然蘇る記憶達。

   ああ、と、思った。

   それから泣き出してしまいそうになった。
   側にはいつも誰かしらいたから我慢するしかなかったが、誰もいなかったらボロボロと泣いてしまうところだ。

   やがて、そんな様子にさすがの鬼道衆の人々も気づき始める。

   御神槌が「何か悩み事でもおありなのですか?」と、心配そうに聞いてくる。
   
   壬生が「疲れているなら、休め」と、気遣ってくれた。

   雹が「わらわに言えぬことか? なら御屋形様でもいい、相談するのじゃ」と、言ってくれた。

   皆も口々に気遣ってくれる。
   それが、彩架には苦しかった。

   ああ、こんなにいい人たちなのに、と思う。
   こんなに自分を心配してくれるのに、と涙が溢れた。
   仲間だと、思ってくれているのに。



   心が、悲鳴を上げていた。



   やがて。

   比良坂と出会い、彼女の不思議な言葉に彩架は少しずつ我を取り戻し始める。

   もう少し……
   …その時は、もうすぐ来る…

   そう言って、伝えようとする比良坂。

   風祭たちは何のことかわからなかったが、彩架にはわかった。

   ありがとう、と伝えた。
   ……頑張ってください、と返された。

   それが心の支えになった。

   失った者があった。
   守れなかったものがあった。
   でも、彼らは…ちゃんと、『居る』。

   もうあそこに自分の居場所はないのだけれど、それでもいいと思った。

   街で龍閃組の誰かを見かけるたびに、思う。

   これでいい、と。
   ここにはみんなが居てくれてる。
   自分のことを覚えていなくても、それでもいい。

   ……守るから、今度こそ。

   守ってみせるから…今、側にいてくれるみんなを守るのと、同じに。

   今度こそ、この、≪力≫に誓って。



   そして、時は来た。

  「さーさん!!」
  「馬鹿っ! さんさん、避けろ!!!」

   『また』、凶刃は振り下ろされようとしていた。

   でも、今度は違う。

   みんなからじゃない…『私』からだった。
   これから、大丈夫。

   私が、斬られたら…全てにかえても、みんなを逃がそう。
   命が尽きるまで、この男を止めよう。
   そうしたら…今度こそ、守れるはずだから。

   拳を握り込む。
   全神経を集中させて、覚悟を決めた。




   私が 死んでも

     みんなは私が守るから




   そしてその決意とともに、降ってきたのは懐かしい、串が一本。

   頭上から掛けられる、懐かしい声。



   ああ



  「……京梧…」

   唇が、懐かしい形を辿った。

   無意識にこぼれ落ちる声、そして……滴。

   

   こんな場面だというのに、心底、幸福だと思った私は……狂ったの、だろうか?





  「彩架………」

   ひっそりと話しかけられて、ようやく彩架が目を開けた。

   どのくらいの時間、目を閉じていたのだろうか。
   いつのまにか日は沈み、夜の帷は降りてしまっている。

   寝ていたわけではなかったのだが、考え事をしていて遅くなってしまった。

   ふと、声のしたほうを見ると見覚えのある特徴的な金髪が風になびいているのがわかった。

   しゃらん、とその存在を示す枷の音に、彩架が慌てて立ち上がる。

  「ひーちゃん!? ご、ごめんね。つい考え事してて…」

   探しにきたのは比良坂だった。

   まわりのものは『空気』でわかるから怖くない、とは言っていたのだが、(元々、彩架もあまり気にすることなく接してはいるのだが)女の子を暗がりまで捜させてしまったことで、
   急いで寝っ転がっているのをやめて、上半身を持ち上げる。

   見ると、比良坂は急いで飛び起きた彩架に柔らかい笑みを浮かべている。

  「大丈夫…そんなに気になさらないでください。私が、彩架を捜したかっただけですから…」
  「そう、なの…あ、でも、ごめんね。今そっちに行くから…」

   屋根(瓦)の上に立つと、そのまま一蹴りで屋根から飛び降りる。
   屋根が大きく軋んだ音がしたが、壊れてはいない。

   それをいいことに、彩架は屋根を気にすることなく、真っ直ぐに比良坂を見る。

  「ありがとう…」
  「いいえ…気になさらないでください。彩架…今、みんなが呼んでいたわ…
   そろそろ行かないと、大捜索に発展しそうよ。」

   小さく笑みをこぼすと、比良坂も彩架のほうを見た。

   見た、というか顔を上げた、といったほうがよいのかもしれない。

  「………彩架…」

   そして、スッと手を伸ばし、彩架の頬に触れた。

   女の子特有の(彩架も女の子だが)柔らかい指先に、少しばかり驚いていると、比良坂が口を開く。

  「…ごめんなさい……」
  「…ひーちゃん…?」

   口をついて出てきた言葉は、謝罪、だった。

   おそらく彩架の『不安』を感じ取ったのだろう。
   もしくは、心のなかで何かを感じ取ったのか…

   細い指先がさらりと、彩架の髪を滑る。
   柔らかくてあたたかくて、繊細な。

  「私には…ああするしかできなかった……でも…あなたには、辛いことを…経験させてしまった…」
  「………ひーちゃん……」
  「…あなたは…こんなに悲しんでいるのに。私は…ただ、見ていることしか、できなかった。」

   泣いているのも、知っていた…いいや、感じていたのに、と続けようとしら比良坂が、声を止める。

   彩架が、比良坂の頭を撫でたからだ。
   優しく、ゆっくりと頭を撫でる手のひら。

  「ひーちゃんのおかげで、私は失わずにすんだんだよ?」
  
   そう、確かに『あの時』の記憶は残っている。

   叫びたくなるほどの絶望も、身を引き裂かれるような悲しみもあじわった。
   それでも、もしあのままだったのなら…

   そう思ったほうが、怖かった。

  「私は…みんなが生きていてくれたら…それでいいから。笑って、側に居てくれるだけで、いいんだよ?」

   そう笑った顔の儚さに、彩架は気づいているのだろうか。

   さ、みんなのところへ行こう、と言って彩架が比良坂の手を取って歩き出す。
   それにつられて、比良坂も歩き出した。

   でも…あなたは、泣いていた。と。
   そう、言いそうになるのをこらえて、比良坂は口を閉ざす。
   大丈夫…だって、あなたはもう…手に入れたのだから。


  「……あなたは…私の光…でも」


   それはあなたのまわりにいる人、みんながそうなんですよ?
   そのことだけは気づいて欲しいと、心の底で比良坂は望んだ。





 <つづく>