温度〜あたたかなてのひら〜  




「叫んだって、いいんですよ。私もきっと、そうなるだろうから…」

はっきりと肯定されたのは、あいつがはじめてだった。






   いつものように双羅山の修行場で武器のころ合い…動きにくいところはないか…を見ようとした火邑が、ふと木の陰で誰かが座っているのを見つけた。

   こんなところで何を呑気に、と思い、近づいてみれば、その人物の規則正しい息が聞こえてきた。
   規則正しく、動く吐息。

   それはつまり『こんな場所』で昼寝などしているという証であり、そのことに気づいた火邑があからさまに舌打ちをする。

  「たく、誰だ、こんなとこで呑気に……!」

   近づいていき、その姿がちらりと見えてくる。

   見覚えのある胴着。
   風に揺れてなびく黒曜石の髪に、小柄で小さな体。

   それだけで、そこにいるのが『誰か』ということを感じ取る。

   無言で樹の側まで行き、覗き込んでみれば案の定。

  「……お前かよ…さーたん。」

   がくん、と脱力した火邑がその場に座り込んでしまった。

   呑気に寝こけていたのは、よくここに修行をしに来る彩架であった。
   木の幹に背を預け、無防備に寝入っているその姿は武道家としてはあるまじき姿だっのだ。

   勿論、敵が来るほどここの村の警備は甘くはない。

   万が一ここにやって来たとしても、彩架ならばその空気…殺気、だ…を敏感に感じ取り、すぐさま行動にも移ることができる。

   しかし今は。
   武道家としてなら九桐らすらも一目を置く存在である(と、いうより鬼道衆のなかで最強の名を欲しいままにしている)
   …存在である彩架は、至近距離まで近づいてきた火邑に気づくことなく、未だに眠りに落ちてしまっていた。

  「…無理矢理起こしてやるか…?」

   そう呟く火邑だったが、彩架の呑気…というより幸せそうな寝顔を見ていると、それを実行する気も削がれてしまい。

   ふん、と鼻息荒く自身もまた彩架の側まで行き、座り直した。

   修行をしていればおのずと彩架も目覚めるだろう。
   しかしなぜかそれをする気が起きず、火邑はそのまま時がただ過ぎ去るのを放って置いた。

   …冬の風が、すぐそこまで近づいてきていた。



   自分は腕を無くしたとき、叫んだんだ。
  
   と、そう彩架に言ったことがあった。

   ヴラドとのことにも片が付き、村に帰ってきた火邑のところへ彩架がやって来たことがあった。

   しばらくは手合わせなどしていたのだが、ふと、休憩中に彩架にもらした。
   あの時…森の屋敷の前で、彼女に言ったあの言葉を、くり返して言った。

   彩架はしばらく黙ったまま、火邑の話を聞いていた。

   告白を止めることなく、ただ、聞いている。

   そして話が終わり、2人の間に何気ない沈黙が降りたとき…
   彩架は、言葉を返した。

  『私も…そうなると、思います。』

   自分の両腕を見つめて、口をゆっくりと動かす。
   噛み締めるかのように。

  『もし、両腕がなくなったら……叫ぶだけじゃ、すまないかもしれない…』

   だから、と続けて彩架が顔を上げた。

   その顔はもういつもの笑顔。

  『戦える火邑さんは、すごい人ですよ。』

   恥ずかしげもなくこぼれ落ちる言葉。
   聞いていた火邑が逆に照れくさくなるほど、真っ直ぐに伝えられた思い。

   バカか、お前は。
   と、返すしかなかった火邑だったが……不思議と、悪い気は起こらなかった。

   嘘をつかない真っ直ぐさ。

   人を気遣い、緩やかに変えていく力を持つ言葉を紡ぐ声。

   柔らかな声質と同じく、優しい言葉たち。

   それらは聞いていると居心地がよく…逆に、悪態をつきたくなるほどだ。

   

   そういえば御神槌が、彩架のことを『太陽のような人』と、喩えていたのを思い出した。

   火邑が隣で眠る彩架にそう、と手を伸ばす。

   手を

   ………だが、感じるべき指先を、火邑は持っていない。

  「………っち!」

   そこにあるのは武骨で、見栄えの良くない義手だ。

   この腕に嫌気がさしたことはない。
   むしろ、また戦えるようになったことに感謝さえするほどだ。

   それでも、こういうとき……何かに触れようとするとき、自分の『手』が、そこにはないことを思い知らされる。

   触れることもできない。

   ……そこまで思い、火邑が、ハッと気づく。
   俺は何を考えていたのだ、と。

  「触れたい、だと?」

   弥勒達じゃあるまいしと、ここにはいない者達に悪態をつく。

   彩架は、大抵の者に好かれている。
   撫でられると恥ずかしそうな顔をするが嬉しそうに笑うし、よく雹や桔梗たちにじゃれて抱きついていることも多い。
   (風祭も抱きつかれることがある。その度に真っ赤になって怒っているが)

   あたたかさが好きだから。

   そう、彩架は言う。
   よく天戒たちにも触れる。手や、腕に無遠慮に手を伸ばす。

   だが触る瞬間は控えめだ。
   指先が触れるか触れないかで止めてしまうことが多い。
   しかし迷っているとき、誰かが『助け』を必要とするとき、そっと、側にいることも多い。

   子どもの戯れのように泰山に抱き上げられては喜び、
   們天丸におもちゃにされながら姫抱っこされたときには盛大に照れて、
   控えめに、御神槌に抱きしめられたときは、そっとその背中を叩く。

   あたたかさは、人の心を安心させる。

   彩架はそれが好きだと、言う。

   太陽のような、なら触ってみたら熱いのだろうか、とふと考えた。
   ただの人なのだから、彩架もそう体温は変わらないだろう。

   だが思う。

   もしかしたら、と



   そこで、ぱちん、と彩架が突然目を開けた。

   突如として開かれた黒曜石の瞳に、火邑が驚く。

  「……火邑さん? …なんだ、火邑さんだったんですか…」
  「…………よぅ。」

   何となくかける言葉がわからず(先ほどの行為(未遂)も尾を引いていたので)火邑が一言、彩架に声をかける。

   ん、と背伸びをすると、彩架は小首をかしげて火邑を見た。

  「火邑さん、どうしてここに? ……あ、修行、するんですか?」
  「…そーだよ。だがてめぇが寝こけていやがったからできなかったんだ。」

   悪態気味にそう言うと、目に見えて彩架がおろおろし始めた。

  「す、すみません…えと、霜葉さんと手合わせしてて…帰りに疲れて…その……」

   疲れてこんなところで寝こけてたわけか。

   簡潔にそうまとめあげて火邑が溜め息をつく。

  「別にいい。もう遅いからな……帰るぞ。」

   無遠慮に立ち上がると、彩架も慌てて立ち上がった。

   それから2人とも言葉もなく、山を下りていく。

   夕陽が、眩しい。

  「………火邑さん。」
  「なんだ。」

   その途中で話しかけられて火邑が不機嫌そうに聞き返す。

   横を見ると彩架が不思議そうに彼を見つめていた。

  「なんで起こしてくれなかったんですか? そしたら修行もできたのに…」
  「よだれまでたらして気持ちよさそうに寝てたヤツを起こすのは悪いと思ってな…感謝しろよ。」

   さらりと(捏造つきで)答えた火邑に、彩架がえぇ、と小さく驚く。

   口元を乱暴に拭いてから、火邑のほうを、見た。

  「……ありがとうございうました…」
  「気にすんじゃねぇよ…さっさと行くぞ。このままじゃ夕餉に間に合わねぇ。」

   了解の意を示して、彩架が早めに歩く速度を上げる。

   …と、彩架の指が火邑の義手に、触れた。

   その感触にきづいた火邑が訝しげに振り返ると、すでに彩架の手が火邑の右手の義手の指を握っていた。

  「おい…っ!」
  「だ、だって、火邑さん歩くの速いですよっ!」
  「このくらいで根をあげるんじゃねぇ! だらしねぇ!!」

   ぐぁっと牙を剥く火邑だったが、彩架はそれには取り合わず、すたすたと歩いていく。

   火邑もそれに引っ張られる形で、観念して義手の指を握らせたまま歩く。

  

   熱の伝えられることのない『指』から、あたたかな温度が伝わってくるような気がした。

   ああ、こいつは。
   火邑が思う。
   こいつは確かに…太陽だな。

   
   春の陽の光のようなあたたかで包み込むような、温度。


   
   悪態をつくのも忘れて村まで降りてきた2人に(彩架は元々、悪態などつかないが)、それを一番始めに見つけた九桐が、
   珍しいこともあるものだ、と1人で感心していたという。

   それから、この光景を見て余計な火種(爆)を増やさぬように、彩架たちに話しかけ、さりげなく『手』の話題に持っていく。

   すると予想通り火邑が急いで手を離して、さっさと屋敷の奥へと行ってしまう。

   彩架もまた、どうしたんでしょうね、と気づく気配もない。
   九桐もさあ? と返しただけで、終わった。


   
   それから、彩架が義手に触るのをほんの少しだけ火邑が許すようになったのだが、それを知るのは、九桐ぐらいなものであった。


  


  <終わり>