日常  〜ひのあたるところ〜





「よかった……御神槌さんが無事で…」

そう言ってくれたあの人のが、今でも目に焼き付いて離れない。






  「み〜か〜づ〜ち〜〜さ〜〜ん……」

   今日も今日とて鬼哭村に呑気…そうとしか表現の仕様がない…そのものの声が響く。
   その少年か、少女かのまだ幼い者特有の高い声が、その声の主が誰かを如実に現していた。

   礼拝堂で祈りを捧げていた村人の幾人かは、すっかり恒例となったその言葉にクスクスと笑い声をもらしている。

  「神父様。いらっしゃっいましたよ。今日はどうやら朝餉が早かったようですね。」
  「ええ、そのようで…」

   御神槌が聖書を広げながら苦笑を浮かべる。
   村人たちのあたたかい(しかしどこかこの状況を面白がっている)視線に促されて、
   『もう少し待っていてください』
   と、戸口の外へ声をかける。

   すると予想通りの了解の返事が聞こえてきた。
   おそらく戸の外でちょこんと座って待っているのだろう(初めての時からそうだったから)。

  「では続きを……」

   そう言って祈りを捧げる御神槌の語りがほんの少しだけ早まったのは、聞いている村人達以外は本人さえ知らないこと。


  
  「お待たせしました。」

   黒い神父の服を着た御神槌が礼拝堂に集まった村人達を返した後、戸口まで行き声をかける。
   戸のほうを見ると、やはり小さな影がそこに座っていた。

   声をかければくるりと振り返る黒曜石の髪。
   幼さが残る顔立ちに大きな瞳が印象的な子ども。
   それが、御神槌の目の前にいる人物の顔立ちである。
  
   無造作に切りそろえられ、肩口でひとつに結ばれた髪が首を振ると軽やかに動く。
   笑顔を浮かべれば一目を引くには十分の雰囲気があるのに、本人はそのことに無頓着で。
   
   それが一層、よい方向へと人に印象を与えている。

   ほら、振り返る…

  「もう入ってもいいですか?」

   満面の笑顔。
   太陽のような、人好きのされる表情。

   思わず引き込まれるように自身も知らず笑みを浮かべてしまうような。

  「ええ、どうぞ。
   相変わらず散らかっていますが、気兼ねなく…」
  「あ、気にしないでください。私のほうがお邪魔させてもらってるし……」

   部屋の中へ促す御神槌の後ろに、その子…

  「彩架さんも朝のお祈りにいらっしゃってもいいんですよ?
   外で待つのも退屈でしょう。」

   緋勇 彩架、と言う。

   御神槌の誘いに…以前から何度も同じことを言われているのだが、首を振って、

  「いいです。私が一緒にいて迷惑かけちゃうと御神槌さんに…その、迷惑かけちゃいますし…」
  「いいえ。迷惑だなんて…それに村の人たちも貴方が来るのをとても楽しみにしているんですよ。」

   (どちらかと言うと、御神槌の反応を面白がっているようだが)

   御神槌の言葉に彩架が嬉しそうに笑った。
   本当に…一目を引く、柔らかい笑顔。

  「…やっぱりいいですよ…それにね、退屈じゃないんです。外で待ってても御神槌さんの声、聞こえるし…」
 
  「私の、声…ですか?」
  「はい…聞いてると、色々と考えちゃって……今日の…えーっと…」

  「『汝、隣人を愛せよ』」
  「それ……この前も言いましたけど、私…そういうの、きっとできると思うから…」

   だって、と続ける彩架の表情は晴れやかで、いっそ、潔い。

  「難しいことはよくわからないけど、信じることぐらいなら、できるから。」

   信じること……

   友…私に、何かを気づかせてくれた人。

   御神槌も、また一緒に笑った。

  「ええ…」

   光の下で思う。優しさや、暖かさに触れる。それは魂さえも癒してくれるかのように。

  

    惹かれていく



  「………御神槌さん?」

   ハッと気づくと、御神槌のすぐ前に彩架の大きな瞳があった。
   思わずうわぁっと飛び退いてしまった御神槌に、彩架が首を傾げる。

  「あの、どうかしたんですか? ぼぅっとして…」
  「い、いえ、こ、こっちの…いえあの、ちょっと考え事をしてまして…!!」

   なんだ、そうだったんですか、とのほほんと返している彩架に、御神槌が服の上から胸を押さえた。
   ばくばくと鳴り続ける心臓。
   早鐘のように鳴り響く音。


   (しっかりしなさい、相手は『男』の方なんですよ! ああ、神よ、私はいったい何か……)


  「みーかーづーちーさーーーん?」
  「うわぁ!」

   驚いて飛び退いた(またすぐ近くに彩架の顔があったから)御神槌に、今度こそ彩架が訝しげに眉寝を寄せた。

  「今日の御神槌さん、へん。」


   それはそうでしょうとも。

   どこからかツッコミを聞いたような気がした。




   ひのあたるところ。
   ひのさすばしょ。

   それは、ひともおなじ。

   ひともまた、ひのひかりとなる。




   ちなみに余談だが。
   実はこの時はまだ、御神槌は彩架が『女』だということを知る由もなかったわけで…(笑)


  「で、では、こちらへ…今日はおいしいお菓子を貰ったんですよ…」
  「お菓子!? わ、わ、いただきますv」

   
   懐いてくる彩架に、御神槌もちょっと困ってはいたようだが。
   後悔は、していない。


   後悔など、するわけもない。

   ただ、胸の動悸を抑えるのに苦労する迷える子羊が、一匹。






  <終了>