「そもそも、ここの会長って人が一代で築き上げた会社なんですよ。」

  キーボードを打ち込みながら優華は世間話のようにそんなことを口にしていた。

 「元々も宝石業をしていたらしんですけど…ここ十年で急激に成長していますね。
  上場も果たしていますし、何より財政界にも顔が利くようです。」

  カタカタと音を立てながら目まぐるしく打ち込まれているそれとは別に、淡々と話を進めている。

 「それらの起因は、新たな採掘現場の発見、その独自のルート確保の成功など様々な要因が上げられます。
  そしてその流れで、あの新種の宝石を『偶然』にも発見できたというのが表向きの通説ですよ。」

  赤い、宝石。
  新種の、血のように赤い石。

  それを思い浮かべ、だが振り払うかのように首を横に振って考えを打ち消した。

  先入観は捨てるべきものである。

 「……このビルも、ここ十年の急成長で建てた、というのがもっぱらの見解です。
  自分のところで出た宝石のマージンは安いものですし、仲介者を通す必要もほとんどない………ひいては、その人間によって独占状態でしたからね。」

  かた、とキーボードを鳴らすと、ディスプレイにこのビルの設計図が映し出される。

 「60階立ての高層ビル。今までの100階だとか、200階のビルに比べれば階数は大したことありませんが、驚くべきはその面積の広さなんです。
  ここに来るときにも十分すぎるほど体験したはずですけど、改めて言葉にすれば…
  この建物ひとつに、小さな街が丸ごと一つ入るくらいの床面積を誇っているという点です。」

  一階部分からして、すでに某駅ビル並みの広さは誇っていたのだから目眩もするはずである。
  どんな金持ちだ、と言いそうになって建設費もそうだが、土地代も庶民からは想像も出来ないような、むしろ想像さえしたくもないような額であったことだけは確かである。

  近未来型のような清廉されたデザインというわけではない。

  選ばれた者のみが入ることを許される『別世界』。
  もしもテレビでこのビルが紹介されるのなら、そのふれこみがもっともふさわしいであろうもの。

  なにしろ、その広さにおいてどこをどう見ても高級そのものなのである。
  優華たちが潜入先へと選んだパーティ会場(1000人は余裕で入れる広さの、である。どんな劇場かと思う)も、そこがパーティ会場として使用されることを前提としていることもあったせいもあるのだろうが、調度品に至るまで目眩のするような値段がつけられているだろう。

  まさに金持ちの道楽。

  このビルは一応、オフィスビルも、居住空間も、あるいはショッピングも、何もかもを備え付けたものなのだという。
  
  それにしたって恐ろしい。
  庶民には、少なくともちゃんと正常な回路を持った人間なら入りたくもないような場所であることだけは確かだ。

  建てられた場所が一等地ではない(市街地というか、開発地域なのだ。少なくともこのビルが開発の目玉のひとつとなるのは目に見えているが)にしても、それでも悪夢から悪夢へ陥るような感覚さえ受ける。

 「『仕事』でなければ、寄りつきたくもないのですよ。」

  あからさまな溜息をついて、ふと天井を仰いだ。
  そこには明滅する機械の箱………このビルの端末コンピューター。ここは制御室である……があって、無機質な起動音と停止音を繰り返していた。

 「そうそう。」

  そこで優華がキーを叩いていた指を止めて、ぽん、と自分の手を打つ。
 
 「ここのビルの最大の目玉は地上58階から60階まで続くぶち抜きの吹き抜けだそうですよ。
  今までは強度云々で色々ともめていたらしいですけど、新しい建築家の人を迎えて今のデザインになったそうです。」

  かちり、とまたキーを叩く。
  その瞬間、目の前のモニターにこのビルの外装が映し出された。
  闇のなかの、遠い家や街の灯をともすあかり。
  太陽は遠の昔に沈んでしまった、夜の黒。
  深い闇が続いているだけの、静寂の世界。

  誰もが言葉を失うかのような、そんな光景だった。
  今まで目にしたこともない、この世のものとは思えない情景。

  いっそ、このビルに人がいるのかさえ疑ってしまいそうになる。

  廃墟のようだ。
  黒い闇のなかにあるそれは、生きた気配がまるでない。
  その中に自分たちも、あるいは人間がいるにも関わらずそれらを閉じこめ、己のなかへと同化させてしまっているかのようだ。

 「……さて、と。」

  そこでキーをもう一度叩き、画面をブラックアウトさせる。
  画面に注目していた面々が振り返る先で、優華は指を鳴らしていた。

 「それでは、かるぅくお仕事をすませるとしますかね。」

  もう一度両手をキーボードの上へと滑らせると、今度はカタカタと高いキー音を響かせる。
  そのたびに別の画面が明滅し、あるいは次々と『内容』を読み出していく。

 「……ここのビルが、伏魔殿とならないことをせめて祈りますよ。」

  それはこのビルがすでにそれと同類であることを確信めいている言葉でもあった。
  
  うっすらと口角を持ち上げながら呟くその顔は、やはりどことなく薄ら寒いものを与えるようなものであったが今のところ優華の側にいる面々が気にしないというか、慣れたというか、諦めた面々ばかりなので気にしない。

 


  時はまだ真夜中には早い時間。
  魔の出る刻限ではなく、ただ月だけが天上を光らせている。

  星々がなぜか煌めかなかったのは、見ないふりを決め込んでいた。









  SCENE02 <異変予兆> −それは、高らかに鳴り響く警笛のごとく。−









  ルビーが発見したという侵入経路を通り(警備員は本当に数える程度しかいなかった。さすがである。)、途中の警備員を少しばかり気絶させたり眠らせたりして、その上で縄なんかでグルグル巻きにしてこの部屋まで来た。

  鳴動するコンピューターたちを見上げ、優華は満足そうに『びんご。』と呟く。
  そこからは、優華の仕事だった。




  <ファイルチェックを開始します。>
  <該当なし>
  <閲覧禁止>
  <パスコードを入力してください。>

  がたたとこれまで以上に甲高い音をたてて、キーの上を目まぐるしく指先が動いていく。

  そもそも見えてもいないだろうに(ブラインドタッチである)正確かつ素早く項目を打ち立てていく指先。
  次々と画面上に浮かび上がる項目を一つずつ打ち消していく主は、実に涼しい顔でそれをこなしていっていた。

  <******>
  <パスコードエラー>
  <パスコードを入力してください>
  <******>
  <認証しました。>

  何やら注意信号が出たときも別段慌てることもなくすませていくのは、さすがというより別世界の出来事のようである。

  側でそれを見ている舞鼓が、目の前で何が起こっているのかわからず、ただひたすらに感嘆の声をもらしている。

 「……なんというか……別世界、ですわ…」
 「そうですか?」

  舞鼓の呟きを聞いて、彼女の横でひたすらにキーボードを打ち込んでいた優華が顔を上げた。
  椅子の上に膝をたてて座り、そこを土台にするようにして小型のPCを置いて作業を続けている。

  そのPCはさらにケーブルによって元々この部屋に鎮座してあったパソコンのひとつに繋がれていて、そこから端末へと侵入しているのである。

 「いつの間にこんなことを?」

  いや、以前からそういう兆候があったのは知っていたのだが、改めて疑問を感じて舞鼓が聞く。
  純粋な疑問による言葉だったが、聞かれた当人はかなり複雑そうな顔をしていた。

  しかも理由を話すだけでも気力が萎えてしまいそうなオーラを放っている。

  俗に言う、『聞かないで』の無言の言葉である。そこまで言いたくもないのか。
  なんとなく優華の複雑な心情をさっして、舞鼓は何も言わずに彼女の肩を優しく叩いた。

  出来るだけ早く治ってほしいという想いを込めて。

 「心中、お察しいたしますわ……」
 「うん、ありがと舞たん……」

  ほろりともらい泣きをしつつ、優華もどうにか立ち直って次の作業を続けていく。
  先ほどのスピードと変わらないことにホッと胸をなで下ろして、舞鼓は優華の逆隣にいる桜姫のほうへと視線を上げた。

  彼女は彼女でキラキラした目で興味深そうに画面のなかを覗き込んでいる。

  何が起こっているのか理解できているのかと言えばそうではない。
  何だかスパイ映画みたいでかっこいー、というのが桜姫の本心だろう。

  実際、目の前の光景はまさに映画そのもののようだった。

  現実味があまり感じられない。
  だがこれはすべて現実であり、自分自身が体験していることなのだ。
  夢なのではない。
  夢ならば、こんなに鮮明には記憶のひとつひとつとして心の中に沈んでいったりはしないから。

 「でもほんとにあたしには理解不能ー……ひーちゃんてば、よくわかるよねぇ…」
 「まあ、これも慣れですから……半ば無理矢理な慣れでしたけど。」

  ここでも桜姫の何気ない言葉で優華がちょっとしょぼくれてしまう。
  やはりどうもこの手の話題は彼女の最大の武器へと繋がりもあるのに、優華を凹ませてしまう。

  それでも桜姫は明るい顔のまま、優華の発言を肯定にかかった。

 「それでも十分すごいって。ひーちゃん、かっくいー!!」
 「ありがとう、心の友! そう言っていただけるだけで、心が癒されますっ。」

  なんていうやりとりが交わされていく。
  舞鼓は相変わらずの二人を見て苦笑を浮かべる。
  時間がたっても優華も桜姫も別段変わりはない。

  なんだかんだで日本にいる頃には早々と会えなかったらしいが、時間というものは絆を飛び越えるものなのだ。

  そんなやりとりの中でも優華は手元のキーを止めることはない。
  カタカタと一定のテンポで暗い室内に音が鳴る。

  この部屋にいるのは舞鼓と桜姫、そして優華だけだ。
  他のメンバーはというとここに来てから別れ、部屋の外で誰か来ないかという見張りをしてもらっている。
  ルビーもセシルもアルセウムも、そういう意味ではこのメンバーのなかで戦闘慣れした面々だからという理由もある。

  時折定期連絡が入り、『異常なし』の声が耳元のイヤホンから流される。

  今のところは全てが順調だ。
  
 「…………………うん。」

  そう、順調すぎる。
  優華はなんとなくそのことが引っかかって眉を寄せて難しい顔をする。

  あまりにも順調すぎるような気がしてならない。
  こんなにあっさりと企業秘密が手に入るのもおかしいと思うし(勿論、見つからないように細心の注意は払っているのだけれど)、電子上のトラップもなぜかあっさりとしているような気がする。

  自分の腕がそれだけ上がったのだろうか、とかここのセキュリティが甘すぎるだとか、そんな楽天的なことはどうしても信じ切れない。

  何かが、引っかかる。
  直感的な勘でもあった。今までの事象を比較しての予想でもある。
  しかし今、そんなことを口走ってここにいるメンバーを不安にさせるわけにもいかない。

  自分の勘やら、そんな頼りないものだけでは口にできるようなものでもなかった。
  確証が必要なのだ。

  …………出来るなら、このまま何事もなく『必要なもの』が手に入って欲しい、と。
  そんなことを優華は思った。
  希望的な観測だが、必要以上に構えすぎていたのかもしれない。

  そうでなくともいつもいつも師匠ことタナトスにはおかしなところ(妙に高難易度なところばかりに)放り込まれているのだ。
  そのせいで少し神経質になっているのだ、とそう優華は結論づけることにした。

  必要な資料はもう少しで出てくる。

  あと何個パスワードをクリアしていくかはわからないが、それでも重要なファイルへと侵入していっている手応えもある。






  忘れてはいけない。
  そもそも、タナトスが毎回のように『難度の高いもの』を運んでくるのは、優華の腕を鈍らせないためとそして常に緊張感を持って仕事を遂行できるようにするためでもある。
  そして、少しずつ難度を上げていっているのだ。

  それをクリアしていく優華が気付かない程度に、少しずつ少しずつ。

  三年の時をを費やして、彼女のスキルを驚異的に上げていったのである。
  だから優華に自覚はない。
  常に自分は力不足なのだ、と貪欲に知識を吸収しようと躍起になっている。

  行うことの全てが経験となって、彼女の『考え』の助けとなっているのだ。
  状況にあわせて判断できるように鍛えられていると言っても良い。

  それから、優華の直感は当たる。
  しかも、良くないことのほうばかりいっそ嫌になるほどによく当たった。

  優華にもそれは自覚があった。

  だが今回、優華は両隣にいる少女たちを不安にさせないように、と自分の考えを打ち消してしまった。

  それが、彼女の今回の最大のミスへと繋がる。
  取り返しのつかないくらいの、今まで生きてきたなかで最低最悪だと罵るほどの、そんなミスだ。


  未だ『策士』に成りきれていない。
  そんな甘さが、暗転へのスイッチを押してしまったのである。






 「…………よっと。」

  しばらくして目的のものらしきフォルダを発見した優華がそれらを自身の持つPCの中へとコピーしていく。
  コピーにはまだ面倒なパスが必要となったが、それを突破している。

  どうにかこれで終わりそうだ、とそこでようやく優華が大きく息を吐いた。

 「…お疲れ様です。」
 「おつかれ、ひーちゃん。」

  両隣の舞鼓と桜姫がそんな彼女を労って声をかける。
  その言葉に笑みで返しながら、優華は眼鏡のフレームに指をかけて位置を直す。
  そのままちらりと腕時計を見れば、中心部への侵入からすでに10分が経過しようとしていた。

  これ以上の長居は自殺行為である。

  いくらトラップもセキュリティも停止状態にあるとはいえ、長い間そんなことになっていれば異変に気付くものが出てくるだろう。
  最高でも5分、最低でも10分。
  それ以上の侵入は出来ないし、自殺行為のギリギリのラインなのだ。

  どうにかコピーをすませたという表示が出ると、優華は急いでそこから離脱にかかった。

  通り抜けた経路を逆戻りし、閉じた回線を繋げ直し、幾重にも張られていたトラップを『元に戻す』。
  そうこうしている間に、優華達のいる部屋のドアが静かに開いた。
  
  舞鼓が顔を上げて、そこにいた面々の顔を見て頬を緩めた。

 「ご苦労様です。お手数をおかけして申し訳ありませんわ。」
 「気にすんな。こっちは何もなかったししな。」

  ドアをくぐって入ってきたのは、アルセウムとルビー、そしてセシルの見張りを担当していたメンバーである。
  舞鼓の言葉にアルセウムが応え、残りの二人も微笑んで頷いている。

  そのままアルセウムが部屋を横切ってコンピューターの側へと歩き、ディスプレイを覗き込む。

 「……で。どうだったんだ?」
 
  成果はちゃんとあったのか、と言いたいのだろう。
  無線で呼び戻したのだがそのことについては確認しておきたいという理由もあったらしい。

  答えない優華に変わって桜姫がうん、と頷いた。

 「だいたいの機密扱いになってるフォルダは全部突っ込んでおいたんだってさ。」
 「中身とか確認しないのか。」
 「フォルダだけで100、あまつさえ総数10ギガもあるような文章量を、今此処で読むような気力も根性も、ついでに言うなら時間もありませんので。」

  顔を上げずに優華が答える。
  ああ、そりゃ確かに無理だ、と全員が納得した。

 「持ち帰ってからじっくりと解析にかけますよ……まあ、これだけの文章、読んでいるだけで目眩がしそうですけど。」

  私がするもんじゃないですしね、と不吉きわまりないことを呟いた。
  解析は師匠たちにやらせよう。ていうか絶対やってもらおう、と優華は心に決めていた。
  徹夜しても間に合わないような文章など読みたくもないものである。

 「………で、これで今回の仕事も終わりか。」
 
  そこで話を聞いていたセシルが大きく伸びをする。
  
 「どうもドレスっていうのは肩が凝ってやりにくい。」
 「十分似合ってるのに勿体ないよ、セリ。」

  かわいこちゃんへのいつものように紡ぎ出されるはずの賛辞を、優華にかわって桜姫が忘れずに言っておいた。
 
 「ルビーさんも舞鼓さんも超いーよ。ていうか目の保養。」
 
  グッと握り拳つきで力説してくれるので、ルビーも舞鼓も頬を赤らめてありがとう、と返した。
  この場合、心の友同士の賛辞は後々にしておくものであったし、男でありおっきすぎるアルセウムへの言葉はない。

  それを笑って聞いていた優華が、最後の扉を閉めようとキーに指先を伸ばす。

  かちり、という軽い音をたてて。







  警告音が鳴り響いた。







  画面上に『侵入者発見』の文字が突如として浮かび上がる。
  甲高い音をたてて警告を発し、次々と停止状態に追い込まれていた機械が鳴動を始めた。

 「な……っ!!!」

  突然の事態に声が上がった。
  何が起こったのか理解するのが一瞬で遅れてしまう。

 「ちぃっ!」

  そこでいち早く事態の把握に気付いた優華が無理矢理にコードを抜き取り、PCを片手に持って椅子をはね飛ばす勢いで立ち上がる。

 「罠です! 急いで逃げて!!」

  その一言が引き金だった。
  ルビーが顔を引き締めて瞬時に手の中に『紅』を呼び出して柄を握る。そのまま先行して部屋のドアを開け放った。
  はじかれるように舞鼓と桜姫が後ろへと向き、それからルビーの後へと続いた。
  それを守るようにしてアルセウムがすぐ後に続く。
  セシルは背後に振り返った。
  自身の腕にPCを抱え込む優華を、待ちそれから二人揃って部屋を出た。

  廊下では赤いランプが瞬いている。

  どこかで見たような光景だと、妙なデジャヴ(と、いうより優華達は三年前を思い出すのだが)を感じながら廊下を横切っていく。
  先行するルビーが気配を瞬時に確認、人のいないほうへと全員を誘導する。

  やがて目の前の扉が自動でしまっていく場面へと遭遇する。

  厚さ10pはあろうかという防火壁並みのそれはとてもではないが、拳でどうこうできるものではない。
  ルビーが刀を走りながら構える。

  かちり、と音を立てて持ち直し、一刀!!

  だが、

 「…っ!!?」

  刀に手応えはなかった。
  閉じられていく壁に走り込んだスピードのまま激突するのをさけるために、ルビーはそれを片足で蹴って無理矢理にスピードを止めた。
  トップスピードだったこともあり、片足にかなりの鈍痛が走る。

  しかし今はそれどころではない。
  ルビーがもう一度刀を閃かせるが、やはり扉に対しての『斬れる』という手応えはまったくない。

 「どうして……!」

  一瞬、わけがわからずに困惑するルビーの背後を残りの五人が追いついて止まった。
  先ほどの光景を見ていたので、今どんな事態が起こっているのか理解は出来た。

  一番後ろを走っていた優華が前に出る。

  そのまま無言で扉に手を当てて、魔力を走らせた。

 「……………アンチ・フィールドですか。魔法を打ち消すものですね、厄介な。」

  扉を覆っているのは結界魔法だった。
  魔法を打ち消す魔法。
  魔法の効力ならばそれを0にするという厄介な代物だった。

  物理的な干渉ならまだしも、ルビーの作り出す『刀』は元々が魔法そのものだ。
  切ったとしても打ち消されて刀身が消されてしまう。

  さすがに本物をこの場で持っている人間はいないし、ルビーも小刀である『蒼』しか持っていないのだ。

  『蒼』でこの扉のひとつは斬れても、他の扉までないとは言えない。
  優華はそう結論づけ、走らせていた『魔力』を『魔法』へと転換する。

 「…………………………『言うことを、聞きなさい』。」

  簡潔な、しかし絶対的な威力をもった『一言』。
  それは魔法だった。
  魔法は走り、扉のフィールドが音を立てて消え去る。

  アルセウム達が驚いている気配を感じ取りながらも、ルビーが前に出て扉を切り裂いた。
  今度こそ甲高い音をたてて扉は斬られ、中央に大きな穴があく。

  ルビーが優華の手を握り、多少スピードを落としながらではあるが彼女を引いて走り出す。
  その後ろを我に返った四人が追った。






  三人はモニターを走るルビー達を眺めながら、それぞれの武器を手に取っていった。

 「やはりオート化されたこのビルの中では、『彼女』の力が絶大のようなのである。」

  ぱちん、と手頃なナイフを一つフォルダの中へと差し込んで、フックで止める。
  視線を走らせれば、続いての扉も優華の一言でフィールドが一瞬で消え去っている。

 「魔力結界も解く、おまけにセキュリティシステムをも停止させてしまう……やはり、最初に脱落させるのであれば、彼女であろうな。」

  そう言葉に出しているのにも気にもしないかのように、残りのメンバーは言葉を発しない。
  いや、一人は問いかけるようにして視線を流している。
  
  それに応えるようにして、唇が解かれる。

 「彼女の大きな弱点は、『攻撃魔法を一切使用出来ない』という点なのである。」

  自分の身を守る術は防御か、あるいは実力しかないという弱点。
  攻撃は相手の戦力を減らすための重要な鍵のひとつだが、それを自身でできないというのは致命的だ。

 「そして、」

  赤い舌が唇から覗く。
  まるで蛇を思わせるような、そんな陰鬱な雰囲気を漂わせて。

 「人として致命的に非情に徹しきれないというのも、また、弱点なのであるよ。」

  かちゃん、と銃身が装填される。
  同じく、耳障りな細い金属音とともに鉄扇が閉じられた。

  笑いながら歩き出す先、光が閉ざされた扉がある。








  人として非情になりきれない。
  甘さを美徳としないはずの優華にとって、それは自身でもわかりきっていることであった。

  だがそれを捨てる事も出来ない。

  捨てることで自分がどうにかなってしまうのも嫌だったし、捨てなければ勝てないようなその程度の腕しかないのなら、切り捨てたほうがよっぽどマシだと思っていた。
  後悔しても、自分の憤りを感じたとしても、それだけはどうしてもできない。

  どうしたって、出来ない。

  だから優華は今回、この事態が起こった時のこれまでのことを走りながら冷静に分析していた。
  頭のうちでこれまでのことをシミュレートしていく。
  細かな部分さえ忘れしまわないように、慎重に、けれど素早く。

  そこで、唐突に。

 「…………次!!」

  扉を開け、吹き抜けでガラス張りとなっている廊下を走る。
  同じ階の対照の場所を繋げるためのそこには、最後のドアが設置してあった。

  強化ガラスで作られたドア。
  戦車砲でもびくともしないという触れ込みらしい。そんなことを思い浮かべながら、優華はドアのすぐ側にあるパネルへと手を伸ばした。

  思い浮かぶのは、先ほどのコンピューター室での『トラップ』のことだ。

  トラップやセキュリティを設置した上でそれを解かせ、目的のものを掴ませて、最後の最後、まさにもう終わりだと油断しきったところでトラップが発動する。
  そのシステムを、優華は『知っている』。

  知っている。
  だから、この罠を仕掛けた相手が『誰』なのか、彼女は瞬時に察知した。

 


  察知して、それで尚、瞠目した。
  バカな、という思いが脳裏を掠める。だが、自分の出した結論は九割方事実なのだろう。
  今回のこの状態を想定して、理論をいくつか打ち立てたとしても『それ』がもっとも確率が高い。

  そして優華も直感的にそうだ、と思った。
  思ってしまった。

  思って、ああ、これが答えなのだと、心のどこかが冷静に分析を終える。

  


  <パスコード了解。ドアオープン>

  最後の扉はパスを入力したあとで、開け放たれていくそれを見てルビーが先に走り込む。
  続いてアルや舞鼓。桜姫とセシルもまた、ドアの先へとくぐっていった。

 「桜たん。」

  そこで唐突に桜姫は自分の名前を呼ばれて、反射的に振り返った。
  放物線を描きながら自分に投げてよこされた物体を視線が捉えて、慌てて両手で受け止める。

  それは、優華のPCだった。

 「……え?」

  桜姫がわけがわからずにその場で固まってしまう。
  だが視線を上げなくてはいけない気がして、本能のままに首を上へと無理矢理持ち上げた。

  先を走ろうとしていたメンバーもその事態を察して、立ち止まり、振り返る。

  <クローズ。ドア、セキュリティシステムを作動させます。>

  ドアの先。
  くぐろうともせず、その場に立ったままで優華は『あちら側』を見つめていた。

 「ゆ、」

  振り返った姿勢で、ルビーが驚いて名前を呼ぼうと唇を動かす。
  
 「か。」


 「ごめんね、みんな。」


  がちゃり、と。
  無情な音をたててドアは施錠され、結界魔法が発動する。

  全員が何が起きたのか理解できずにいるところで、優華は閉ざされた扉の先で静かに、静かに、立っていた。
  
 「……………!! なにしてるの、ひーちゃん!!」

  PCを受け取った桜姫が真っ先に我に返った。
  衝動もあったのだろうが、それでも距離が一番近いのは彼女であったということもある。

  叫ぶようにして声を上げる桜姫を見つつ、優華は耳元のイヤホンへと指先を伸ばす。
  かちり、と全員のイヤホンにノイズが走り、通信がオンになった。

 『すみません。』

  最初に優華は謝罪の口にする。
  ルビーの顔に何故、という疑問が浮かび上がり、他の面々だってそうだった。

  扉越しに、けれど魔法結界によって既に容易には『こちら側』には来れないようにしておいて、優華は苦笑を浮かべている。
  いや、笑っているがそれは苦渋と苦悩を滲ませたものでもある。
  瞳に宿る光は、どことなく迷いを抱えているように煌めいている。

 『パネル操作ができるのはこちら側だけのようでしたから……私が、残ります。』
 「なに言ってやがる!」
 「そうだ、こっちに戻って来い!!」

  アルセウムとセシルの言葉にも優華は仕方なさそうに笑って首を横に振って拒絶する。
  
 『……実はね。』

  そこで優華は唇を噛んだ。
  ぎりりと音が鳴りそうなほど噛みしめて、血の味が滲み出たところで話す。
  薄く引いたルージュの上に、深紅の血がのぼる。

 『罠にかけたあのプログラム。』

  それは、彼女の血を吐くような思いの現れのようだ。

 『あれ、私が作ったものなんですよ。』

  その『告白』に誰もが驚愕に目を見開く。
  何故ここに、という思いと、それが何を示しているのかわからないという思い。
  
  そんなものがせめぎ合っているのを手に取るように感じながらも、優華は淡々とした口調を崩さなかった。

 『とんでもなくリスクのつく代物でしたから、ある人に見せたら「こんなものは役に立たないからやめとけ」って言われたんです。
  でもね。
  でも、見せたんですよ。たった一人にだけ。気まぐれにでしたけど、話のネタに。』

  話のネタ、というところでセシルの表情が強ばった。
  察しの良い彼女は優華の話の流れに気付いたのだろう。

  だがそれは、話の流れの先は、セシルにとってはあまりにもな『事実』だ。

  それをわかっていて、優華はさらに続ける。

 『ネスたんに見せても『意味』がない。他の私の知人も同じくです。
  私と友人で、同じ知識を有し、さらに………私は、心当たりを、一人しか知りません。』

  優華の瞳に悲しみが色濃く浮かび上がる。

 『……それがわかって、私がこのメッセージに気付くことがわかって…あえてそのプログラムを持ち出したのでしょう。
  私を、ここにとどまらせるために。
  私が、私の意志で、拒絶することも出来ないように。』

  そうでしょう、と優華は呟く。

  自分自身を真っ先に脱落させるために仕組まれた罠。
  先ほどのプログラムは、この場に自分がいて、さらにその自分がこの罠を仕掛けた張本人であることをわからせるためのもの。
  あえて立ち止まらせるために、用いたのだ。

  もし、理解した上で優華が『脱落』しなければ、今以上の酷い手段で別の誰かを狙うことは明らかであった。

  そしてその相手も、相手に提示されるであろう『手段』も、優華にはいくつも予想できた。
  そうなる前に、『脱落』しろと。

  自分から罠に落ちろ、と無言の圧力をかけてきたのである。

  なんて、卑怯な。
  そして策士としては何と見事な、手だ。

  私なら絶対に出来ないと、優華は思う。
  思って、それが自分と『彼』の違いなのだ、と思って哀しくなった。

  どうして、と。
  
  どうして、そちら側にいるのか。

  わからない。
  けれど、仕掛けるなら最良の選択で、きっと彼も同じことを思って仕掛けたのだろうことを理解した。

 『そうでしょう?』

  優華が振り返る。
  振り返った先の闇のなかを、かつり、と足音が響いた。

  闇のなかに人影が浮かび上がる。

  人は闇ではない。だから、闇に紛れたとしても闇と解け合うことはない。
  闇はただの闇。
  だがしかし、それゆえに人は別のものを纏う。

  『黒』だ。

  敗北の象徴。敵の証。
  敵対者の称号にして、闇に属するという契合。

  やがて光の下にさらされる素顔に、ドア越しの全員が息を呑んだ。
  
  ただ優華だけが予想通りだったと、溜息をついた。

 

 「サラス。私には、あなたしか該当者が思い浮かびませんでしたよ。」



  ガラス張りの天廊下の、十歩ほど先にいる褐色の肌の青年に向かって優華は滴り落ちるような悲しみをのせて、視線を上に上げる。
  瞳が絡み合って、その実けして絡まずに宙へと落ち、地へと朽ちていく。

  それは、この邂逅がけして良いものではないことを現しているのかようだった。






  月はまだ落ちない。
  けれど、月など落ちても落ちなくても、ただ天上で見ているだけなのだ。

  見ているだけなのだ。

  自らの足下で行われていることになど興味もなく、また関心もなく、ただただ在り続けるだけ。







 <03に続く>