長い、永い、夜だった。
永い、長い、一日の始まりだった。
これは、この世で一番酷い裏切りへと突き進む物語である。
けれど同時に、この世で一番尊い絆を取り戻す物語である。
けして明けないような暗闇の夜であっても、明けない夜はないように、登りゆく太陽を誰にも止めることなどできない。
暮れない夕暮れはないのだけれど、陽は巡り、巡り、巡り続ける。
そして、
暗闇のなかであればあるほど、
絶望が深ければ深いほど、
涙を流せば流すほど、
光は燦然と輝き、すべてを照らす一条の希望となり、涙を拭い去ることができるのだ。
望みをやめることのない、歩みを止めることのない、そんな、ちっぽけお話をしようと思う。
人ならば誰でもすることを、だけど誰もが恐れることを、それでも止めることのなかったお話をしようと思う。
<明日のための讃歌>
<明日への散華>
SCENE00 <豪華絢爛> −それは偽りの宴。美しさと絢爛さの裏に隠された、醜い欲望の狂舞−
煌びやかに目眩さえ起こしてしまいそうな空間だった。
そこが高層ビルの一室とは思えないほどの、豪華で豪奢な作り。
それでも繊細な彫刻や、調度品など並べ立て、流れてくるクラシックな生演奏は一級品の代物だ。
どれもこれも現実味を帯びていない。
そもそも、こんなもの中流階級の人間が遭遇したら悲鳴と驚嘆の声を上げてしまっているところであろう。
くらくらするような視覚効果に嫌気をさしながら、その女性は眉間の皺を指で押さえた。
女性というには、少し中性的な顔立ちだった。これで男装などして完璧な笑顔で女性の指にキスのひとつでも落とせば、相手をたちまち虜にしてしまうような威力を持つくらいの。
だが、現在その女性はドレスを着込んでいる。
ドレスを着れば着たで、凛とした表情が似合う理性的な印象を与える。
声をかけようとする視線と気配を『近寄るな』のオーラで黙らせながら、女性はゆっくりと脚を進めた。
途中、近づいてきたウエイターからシャンパンの入ったグラスを貰い、それに口をつけつつあたりを見回す。
何かを探るような視線だった。
実際探っているのだが、パーティに興じている人々にはわからないほどのもの。
そこで女性の耳につけたイヤホンから、ノイズが走る。
交信が入ったのだろう、さりげなく髪を直すように指先を耳元へ滑らせる。
「………どうした?」
なるべく声のトーンを落として、気取られないようにする。
するとイヤホン越しの声がノイズからようやく、クリアな声質になって答えた。
『そっちはどうです、セリたん?』
質問を質問で返された形ではあったが、別段文句を言うこともなく女性……濃紺のドレスに身を包んだセシルが、いいや、と言った。
「収穫なし。それらしい『もの』もこのあたりには展示されてないみたいだ。」
答えると、無線の先でくぐもったような声が聞こえてきた。
むぅ、と考えるときの癖でもある言葉を出しているのだ。仕方ない。
『こっまりましたねー、こっちもまだなんですよ。』
「会場はかなり広いからね。別の宝石ならいくつか見かけたんだけど。」
『お目当ての品ではなかった、ってわけですね。』
「そういうこと。もうちょっとまわってみるよ。」
よろしくお願いしまーす、と無線の先の相手が答えればセシルも笑いながら了解の意を伝えた。
少しおかしそうな笑みを浮かべながらセシルがゆっくりと視線を上げる。
その先にあるのは、ティアラだ。
ブルーダイアモンドをあしらった、豪華なもの。
けれどこれも目的のものではない。
溜息をつき、セシルはまた歩き始めた。
さらにその後方。
壁の花となっている男女の一組が何事かを談笑していた。
端から見れば立派なカップルであり、これを割り込んで入っていくような無粋な人物もいなかった。
けれどカップルではない。
少なくとも、カップルなどで括られれば本人たちは否定するだろう。それも凄い勢いで。
「………ええ、はい…こちらでも、見つかったものは全て目標のものではないですわ。」
和装のドレスという、ある種特殊なものに身を包んだ女性がセシルと同じタイプのイヤホンを耳にさして何事かを伝えていた。
和装というのも、ドレス生地が反物であり、しかもどことなく裾があったりとして着物の雰囲気も残しているからだ。
裾にあしらわれた蝶が女性の動きにあわせてヒラヒラと舞っている。
『うーん、てことはアルたんのほうも見つかってないんですよねー?』
「ああ。」
イヤホン越しの会話は同じく男性のほうにも届いていた。
声の主に答えながらアルセウムは、もう一度あたりを見回す。
…こちらの様子をちらちらと窺う男女以外には、展示された指輪やブレスレットがある程度である。
「…ないな…少なくとも、展示されても『原石』でなんだろ?」
『原石というか、装飾品として加工されたことはありませんね。』
「あら…そうでしたの?」
『ええ。なんでも、『身につけるには、あまりに不安だ』、そうです。』
身につけて公然の目にさらせば、誰かに盗られるかもしれないのだそうだ。
聞いてアルセウムが露骨にバカにしたような表情を浮かべた。
本当に、バカな話である。
それを察した女性がアルセウムを、まあまあ、と宥めた。
「あくまでも噂なのですし…」
『いや、マジな話ですよ。実際、公式の場で略奪されちゃったこともあるそうです。』
「………あほか、そいつ。」
私に言わないでくださいよ、と無線の主が言う。
アルセウムはそれに答える様子もなく、息を吐いてもう一度あたりを観察し直しはじめていた。
「……でも、私たちが見てもわかるんですか?」
『新種の『宝石』ですし、ほんっとにありえないくらい赤いですから見たら一発ですよ。』
「…わかりましたわ。では、もう少し探してみます。」
『ご協力感謝します、舞たん。では、また後ほど。』
そこで通信が途絶え、舞鼓は溜息をついた。
先にいるアルセウムの側へと歩み寄り、顔を見上げるようにして首を上へと向ける。
「どうですか?」
主旨を飛ばした質問であったが、アルセウムの探しているものは舞鼓や果ては『他の全員』が探しているものなので何かはすぐに察しがつく。
察しがついたので、アルセウムはああ、と頷いた。
「ないな…てか、目が痛くなりそうだな。」
空間があまりにも煌びやかで、嘘くさくて、アルセウムは乱暴に自分の目を拭う。
それを見ていた舞鼓が仕方なさそうに苦笑を浮かべた。
「そうですわね。少なくとも、私たちにこういう場に機会はほぼありませんし…」
「慣れたくもないけどな。」
またそんなことを、と言いかけたところで、舞鼓の視線が一点に固まった。
言葉が途切れたことに気付いたのだろう、アルセウムも舞鼓の視線の先へと首を巡らせて、目を細めた。
その視線の先の先。
人垣のなかにある『赤い』その光を、二人は確かに捉えた。
アルセウムが舞鼓のほうを見る。彼女もまた、その視線に答えるかのように振り向いて、一度頷いて見せた。
イヤホンをオンに切り替え、その独特のノイズ音が終わると同時にアルセウムは口を開く。
「見つけたぜ。」
その言葉は正しく、優華の耳にも入ってきていた。
それは善哉、と呟いて唇の端に笑みをのぼらせる。
空間に走らせていた『魔法』一端弱め、切り替えるようにしてアルセウムから連絡の入った方向へと『滑らせた』。
脳内にある感覚器官の全てに送られてくる情報に頷きながら、指を口にあてて呟く。
「…………なるほど、まあ確かに…普通の、ものじゃなさそうですねぇ。」
「何が?」
そこで横合いから声がかかり、優華が驚いて振り返る。
びっくりして体を動かしたことに気付いたのだろう。声をかけた相手もまた、びっくりしたように目を丸くしていた。驚いて身を引いた拍子に薄い紫色のワンピースの裾が舞う。
「ごめん、そんなに驚くとは思ってなくって…」
「あ、いえ、うん。私が考え事してたせいですから。」
考え事をしていて、おまけに脳内奥深くに意識を潜らせていたのだから、仕方ないだろう。
あまりにも潜らせすぎて、他の気配に気付けないのは駄目だなぁ、とかなんとか考えながら、優華は女性のほうを見る。
「見つかったみたいですよ。私も今、『確認』してるとこです。」
「あ、じゃああったんだ!」
よかったぁ、あんまりにも見つからないから空振りかと思ったんだよー、と言う少女の顔に屈託の色はない。
それもそれで複雑な心境になるのだとは優華も口にはしなかった。
まあ、見つからなかったのはおそらくその宝石のまわりに集まった人垣のせいだろうし、おまけに宝石には『結界』まで張っていやがったのである。
探索を難しくしたのもそれのせいであろう。
手の込んだ真似をする、ということはその宝石が『本物』である証拠でもある。
「盗難防止用のは仕方ないとして……他にも色々と組まれてるんですよね。」
たとえば、その宝石の『中身』を探るような、そんな魔法。
それを阻止するために組まれた結界は、普通なら必要などないもののはずだ。
「これはいよいよ本物のようですよ。」
「ふぅん……じゃあ、実物、見に行く?」
「勿論。じゃあ、行きましょうか、桜たん。」
薄いグリーンのドレスをなびかせ、手首につけた硝子の桜を鳴らしながら優華が歩き出す。
桜姫もまた、唇に笑みを浮かばせて了解、と答える。
「これで珠洲せんせの推察通りなら、事は楽でいいんですけどねぇ。」
優華の不穏な呟きに、桜姫が横から顔を覗き込んで目を瞬かせる。
「多分、推察通りだと思うよ。」
何の迷いもない一言だった。
多分、と言葉を付け加えているとしても、その疑問を肯定する意志で滑り落ちた言葉。
驚いた顔で振り向く優華に、桜姫は悪戯っぽく微笑んでみせた。
「女の勘v」
それは最強ですねぇ、と優華が苦笑で答えるまで、残り10秒。
宝石は、いつの時代も人の心を惑わせる。
それは人を不幸にもし、人を憎ませ、妬ませて、あまつ殺してさえもする。
ひとつの国を滅ぼし、神々の心をも虜にしてしまう。
宝石とはそういうものだ。
その石自体に、まるで呪いでもかかっているかのように人の心を弄んでしまう。
ただの石ではなく。
まるで魔性の生き物のように。
実際、目の前に一つだけ座された宝石もそのひとつであった。
血のように赤い。
目の覚めるような、この世では今まで見たこともないような強烈な朱。
紅玉よりも深みのあるその色。
金剛石よりも煌めく光。
だが、その宝石はどことなく人を惹きつけてやまない、そんな『呪』があるような気がしてならなかった。
魔法云々がではなく、勘のような、そんな曖昧のもので察知しながら、ルビーは目の前にある宝石を観察した。
赤い、赤い。
まるで、血のような。
いや、血をそのままの純度で固めたような、色。
「………………」
視線をそのままに、けれど瞳の奥に嫌悪感を浮かばせて睨むように宝石を眺める。
「…血の、希望。」
ブラッディ・ホープ。
血で塗り固められた希望などありはしない。
あるとしたら、血で汚されてしまって、なくなってしまったあとの絶望のようなものだけ。
希望と同じように、絶望もまた人を惹きつけてしまう。
望む、望まないがあったとしても、絶望は人を陥れてしまうものだ。
足掻くことさえ許さない、無限の奈落へと。
白いドレスでありながら、けれど黒い布をリボンのように巻いたそのドレスに手を落とし、しばし逡巡する。
「………目標、補足。」
ぽつりと吐き出された言葉は、イヤホンから無線となって全員へと伝わる。
赤い彼女の瞳が、赤い宝石の姿を捉えた。
生きた紅と、死んだ朱。
二つの光は混ざることなく、ぶつかりあって落ちていく。
「<ブラッディ・ホープ>、よ。」
その言葉が始まりだった。
おそらく、すべての。
<01に、続く>