光は、遠い。
光は、とても儚くて、とても弱く、そして小さい。
暗闇の中の光なんて、深淵に呑み込まれてしまう以外に道はない。
小さな、その光は。
手に掴もうとしても指の間で静かに消える他にはない。
掴むことさえ出来ない。
光へ向かって伸ばした指先。懸命にそれを掴もうと、もがく手。
けれど、それは叶わない。
叶うはずもない。
力を無くした指先が重力にしたがって落ちていく。
それは、掴めない光が(掴むことのできない希望が)崩れ落ちていくのにも似て。
幕間−ひかりはとおく、あさはこなくて、たいようはきえた。なみだはでない、こえもでない、あなたのなまえさえよべない。−
『これこそが、はじまりとおわりのための、はじめて。』
23:55:59
「……………どうして。」
呟きは宙にかき消えていく。
その問いは、今、この場においてあまりにも意味を成さないものだった。
誰も答えをくれない『問い』など、意味はない。
ただ、自分の疑問という名の意識が、疑念が心を食いつぶしていくだけ。
「…どうして……どうして、なの…」
食いつぶされていく『痛み』で、瞳から知れず涙がこぼれ落ちていく。
横たわっているせいもあってか、涙はこめかみへと流れ床にわずかな水滴を作った。
「何か…間違え、たの…?」
間違い、などと。
そんなことはないと言って欲しかった。
心の内でそう思いつつも、それをかなえてくれる人物がいない現実にうちのめされて、涙が止めどなく溢れてはこぼれ落ちていく。
震える指先は、血がこびりついていた。
「どうして……!!!」
慟哭は深く、そして暗闇は心を覆い尽くしていくかのように、広がっていくばかりだ。
目を覚ますことはなかった。
たゆたう意識のまま、無意味な思考だけが脳内のシナプスを刺激し、神経伝達によって無作為に選ばれた光景ばかりが映し出されていく。
それは泡沫。
夢など、皆、泡沫のようなものだ。指先で触れれば壊れて消えてしまうような、そんなものだ。
それでも、見る夢はどれもこれも優しいものばかり。
皮肉とも言えるだろう。
いっそ、何の嫌がらせなのかと溜息が出る。
映し出される光景は、それがどれも昔の、優しい箱庭の記憶ばかりだ。
誰も欠けることがなく、穏やかに、ただこの日々が続くと信じ切っていた箱庭の記憶。
続くものもあれば、終わるものもあるだなどと、誰もが知っていた。
知っていて、それでも気付かないふりをして人は生きていく。
そうしなければ『予感』に押しつぶされてしまうから。
どうすることもできずに、動き出すことさえできずに、潰されていくしかなくなってしまうから。
だから人は、夢を見るのだ。
目を開けていても、目を閉じていても、同じように夢を見る。
「……なんて、悲しいんだろう…」
そう思い、口に出して自分もそのひとりなのだとわかって、唇を歪めていた。
届かない言葉がある。
届かない思いがある。
届かない願いがある。
届かない望みがある。
届かないものが多いというのに、自分が届くはずはない。
届かない。絶対的な、絶望的なまでも距離が開いた今、自分と彼女を繋ぐものは何も存在していないのだ。
確かにあったはずの、あたたかな何かは感じ取ることができない。
それでも、彼女は、彼女だけは自分との何かを感じている。
そしてそれを大切に大切に守ろうとしている。
望んでいないやり方で、ただ、守ろうとしている。
そんなことは望んでいない、と何度言っても言葉は届かない。
声は宙に消えていってしまうかのようだ。
届かないものに、意味などない。
それはただの空虚な独りよがりなものでしかない。
どうすることもできないのか、と唇を噛みしめたところで皮膚を裂いて出た血は、ただの鉄さびの味しかしない。
それこそが、無意味なのだ。
「…また、何も出来ず…何も、してあげられないの…?」
なんて、力の無い、もの。
誰かを救うなどと、そんな大層なことは言えない。
口に出すことさえ出来ない。
口に出したところで出来もしないものならば、言葉になどしない。できない。したところで、それはただの嘘だ。
ところが、自分に出来ないものであっても、それを成そうとするのが人の業だ。
自分の背負ってきた、選んできたものだ。
だから諦めることも、止めることすらできない。
足掻いたところで何もできない自分を思い知らされるだけだというのに、それでも抗う。
頭の悪い輪舞曲のようだ。
赤い靴をはいて、踊り続けるしかない輪。
後悔して、思い知って、挫折して、悔やんで。
どうしても、止めることができない。
掌で掴む、目の前にあるものを守ろうと、自分のすべてで抗う。
いや、すでに抗うなどという名分はないのかもしれない。ただ、自分がそうしたいから、する。
掌をすり抜けていく大切な何かを、自分の意志で止めていこうと指先を閉じる。
たとえ指の間からすり抜けて落ちていくのだとわかっていても。
失われていく何かを、ただ見ているだけなどとはどうしてもできない。
落ちていく、姿を見ていた。
助けようとしても届かない手はここにあって、役立たずの拳は虚しく壁を叩くだけ。
伸ばしても届かない。
なんて、役立たず。
届かないくせに、彼女は確かに自分たちを守ろうとしていたのに、それを守ることさえできない。
ただ守られていただけ。
守られて、そして失っていく様を見せつけられた。
そして今また、自分の大切な何かが失われようとしている。
傷ついた魂は、あとほんの少しの衝撃を与えられてしまえば砕けてしまいそう。
砕けて、崩れ落ちて、キラキラと光る粒子のなる。
そんな、光景を思い浮かべてしまう。
だけど、彼女は。
彼女なら、諦めたりはしないはずだ。
自分もまた、諦めたりはしない。
「…だいじょぶ……私も、見習うから。」
諦めたりしない。そんなことをすれば、心の友だなどと言えなくなってしまう。
胸の奥にあるのは確かに、あたたかなものだから。
「帰ってくるまで……守って、みせるよ。」
たとえ力はなくても、守ることはそれだけではない。
差し伸べた手が、それだけですべてを救うことだってあるのだから。
嘘だと言えたのなら、どれだけよかったのだろう。
すべてが自分の見ている幻だと言えたら、どんなに救われただろう。
それでも、幻だと言うことは許されない。
許したりできない。そうしてしまえば、自分の掌からこぼれ落ちていってしまうものがあることを知っているから。
自分自身への甘えを許してしまえば、もう二度と戻れない。
道は閉ざされ、光はなく、そして彼を失ってしまうだろう。
幻と同じように、嘘の言葉のように、消えていってしまう。
だからそれだけは出来ない。
どうしても、
どうしても、
どうしたって、それだけは出来ない。
たとえ現実に心を嬲られ、貶められ、傷つけられたとしても、それを許してしまえば失ってしまう。
もう二度と、取り戻すことができない。
「君は、嘘吐きだから…」
力を無くした膝に気を込めて立ち上がる。
「嘘吐きで、臆病で。少しくらい、信じてほしい。」
たとえどれだけ打ちのめされたとしても、決して折れないものがある。
曲げることの許されないものがある。
手に入れるための痛みなら、いくらでも受ける。
この手に掴むもののためになら、いくらでも傷つこう。
光は遠くて。
とても弱く、儚いもの。
それでも諦めることができないのは、それが見えているから。
掴むことを望むから、何度でも。
「……光は、ここにある。」
呟き、白衣を身に纏った青年は月を見上げていた。
憎らしいほどに清廉な光を放つ月。暗闇の空にあって、星の瞬きさえも脅かす、閃き。
「諦めるのか。」
傷ついた心も体も、すべてが苛むから投げ出すのか。
「捨て去るのか。」
手に入れがたいものだと、手に負えないものだと断じるのか。
「………傷つけるのか。」
傷つけられたから傷つけ、傷つけたから傷つき、そうして永遠に終わらぬ連鎖を繰り返すのか。
「それは、お前達次第だ。」
たとえば望みがあるとして、それを手に入れるために代償を支払うことは当然であり。
願いは口にするだけでは意味はなく、行動するからこそ意味があり。
そうやって、出来ているのだ。
光はどれほど遠くても、目を背けることがなければ消えることはない。
闇に呑まれるのは目を背け、光を見失うからでしかない。
どんなに儚くても、
どんなに弱くても、
どれほど小さくても、
光は確かに、そこにあるから。
忘れなければ
見失うこともなければ
手に入れる痛みを、覚悟していれば
先は必ず、あるはずだ。
(それが、どれだけ難しいことであっても。)
(ただの理想論でしかなくても。)
(まやかしのような、そんなものであったとしても。)
さあ、はじめよう。
さあ、終わりを、はじめよう。
痛みをはじめよう。
苦しみをはじめよう。
悲しみをはじめよう。
涙をはじめよう。
怒りをはじめよう。
絶望をはじめよう。
妬みをはじめよう。
裏切りをはじめよう。
虚しさをはじめよう。
はじめよう。
これはそんなすべてに立ち向かうための物語。
とても大きな、
とても小さな、
断絶と、絆を求める。
とても簡単な、
とても難しい、
物語だ。
『明日のための賛歌』
『明日への散華』
壊れもののための、詩だ。
<終わり>