そう、これは僕たちのたった七日間の『戦争』だった。
 誰も知らない、世界も大勢の民衆でさえも動かせないもの。

 ただこの『戦争』は確かにあった。
 
 たくさんの思いと、傷跡と、決意をそこに隠して。

















ぷろとたいぷ−試作品、あるいは完成品への供物−






 

 「そういえば、なあ。」

  お前、卒業したらどうするんだよ?
  
  そう問われて、煮込んでいる鍋をお玉でかき混ぜていたルビーが不思議そうに顔を上げる。
  小首を傾げたまま(それでも焦げ付かないようにお玉だけは動かして)、先ほどの発言をしたアルセウムを見つめた。

 「……突然、なに、アル…?」
 「いや、なんとなく。」

  言って、アルもまた手元の野菜を刻むのに意識を滑らせる。
  今は、そう、家庭科の実習中。
  夏の盛りをすぐそこに控え(そして夏休みもまた、控えて)、一般授業であり、属性混合授業の一環でもある『ミートソーススパゲッティと卵スープ』を手分けして作りながら、気まぐれのように口に出す。

  普通ならもっと授業に集中しておくべきなのだろう。
  決められた時間内に調理を終わらせ、さらに試食し、そして片付けもしなければいけないのだから。

 「まあ、うちには料理の鉄人(アイアンシェフ)がいるからな。」

  料理のプロ、というより主婦の鏡(あるいは手本か見本)のような朔良が同じ班にいるので、早々手間取ることもなく、今のところ順調に作業は進められていたし、細々としたものは朔良と、そして同じく班になったミュルテが引き受けてくれた。

  五人一組の班構成で、同じ班になったのは先のアルとルビー、そして朔良とミュルテに。

 「舞鼓にもいい経験になるし、俺も大抵は出来るからな。」

  そして舞鼓だった。
  彼女はと言えば朔良の料理の手順を真剣に覚えようと必死だった。
  トマトピューレの作り方から入っているから本格的になるにせよ(市販のミートソースだと、どうしてもトマトベースが難しい)、時間内に十分片づくスピードだ。

  だからその手持ちぶさたもあったのだろう。
  何気なく世間話を始めていた。

 「……前にも、言った、はず…よ?」
 「聞いたけどな。」
 「…覆す、つもりは…今の、とこ、ろ……全然、ない…わ。」

  そう言いながらちょうど時間にもなったのでスープを小皿に受け、それを味見する。
  ……少し塩味が足りないような気がして、ルビーはちょうど対角線上にいる朔良の名を呼んだ。

  名を呼ばれて顔を上げたが、手元だけは器用に動かし続けながら(ちなみにミートソーススパゲッティの仕上げの段階)朔良が『どうした?』と視線だけでルビーに問う。

 「…塩味、足りないかも、なの…」
 
  いつものように小声で言ってしまって、少しざわついている実習室で聞こえるかどうか不安もあったが、それでも朔良はちゃんと理解してくれたようで、

 「これが終わったらそっちに行くから、弱火にしておいてくれないか。」
 「わかった…」

  指示を出され、ルビーはこくりと頷きながら火を弱くしておいた。

  それからもう一度アルのほうへと顔を向ける。
  見ると、何やら考え込んでいるような……困っているような、複雑な顔をしていた。

 「………そうじゃなくって。」
 「? じゃあ、なあに?」
 「…旅が終わったら、どうするつもりなんだよ。」

  おそらく。
  アルに他意などなかったのだろう。
  ただ純粋に、『いつまでも』旅をしているわけがないから、その後はどうするのか、と聞いているに過ぎないのだ。

  …だが、ルビーは一瞬、言葉を失った。

  言葉を返すのも止まり、ただ呆然とアルのほうを見ている。
  だが、アルはその時ちょうど切り終わった野菜をシンクのほうへと移していて気づくことはなかった。
  朔良もそうだったし、ミュルテや、舞鼓だってそうだった。

  誰一人として気づかなかった。

  そして、話を振ったアルが顔を上げたとき、ルビーはやはり『いつも』のように困ったように小首を傾げていただけだった。

 「……………………どう、しよう?」
 「おいおい、それを俺に聞いてどうするんだよ。」

  お前の問題だろう、と逆に切り換えされて、ルビーはうん、と頷く。

 「…うん、そう…だね……どう、しよっか…」

  そんなこと考えてもみなかった。
  旅が終わるとき、そのときが、



 
  ルビーが、『すべて』を失うときだから。

  


 「アルは、お医者さん…に、なりに…勉強、するんだよ、ね?」
 「あー、俺はな。叶と舞鼓は自分の国に帰るだろうし、ミュルテもやることはあるみたいだしな。」

  旅は、それまでの道筋でしかなくって。
  『今』の自分がどれだけの人を守れるのか、知る機会でしかなくって。

  だって、終わってしまったら、もう守ることさえままならなくなってしまうからだ。

 「お前が大学ってのもどうもピンとこないんだよな…」
 「それって、とても、失礼…よ。アル。」
 「わりぃ。」

  全然悪く思っていない表情でそう言われても嬉しくないわ、と言っておいて、ルビーはそっと窓の外を眺めた。

  幸福な光で包まれた箱庭の楽園。
  ………それも、もうすぐ手放さなければならなくなる。

 「…そう、ね…旅が、終わったら……ゆっくり、したい…わ。」
 「ゆっくり?」
 「…うん。稽古も、魔法の勉強も、せずに……揺り椅子に、座って……日向ぼっこ、する…の。」
 「…………どこかのばばぁみたいだぞ、それ。」

  悪態をつきながらも、『まあ時間はたっぷりあるんだから考えてけばいいさ』と締めくくって、アルは洗った野菜を適当に千切ってサラダを作り始めた。

  ルビーもまた、窓の外を眺めながら朔良がやって来るのを待つ。
  そしてその間、思う。

  …旅が終わるそのとき。
  すべてを失う、そのとき。

  『戦友』も『同志』も、すべてを失ってしまったとき、自分はどうするのだろうか、と。



  それでも、『約束』は、守りたいとも思った。

 「すまない、待たせたな。」
 「ううん。いいよ……朔良…これ。」

  砂漠の月を見せるという、約束。
  その背中を守るという、戦友としての約束を。

 「……確かにちょっと足りないな。舞鼓さん、こっちに来て君も見てくれないか。」
 「あ、はい。ちょっとお待ちください。」

  世界中の美しいものを見せるという、約束。
  助けを請われれば、いつでも側にいくという、密やかな決意。

 「………私にはちょうど良いのですけど…」
 「これも人それぞれ好みがあるからな……中間、ぐらいに抑えておくか。」
 
  他にもたくさんの約束を、して。
  それを守りたいと思うのだけど。

  でも、もう少しで、すべては失われてしまうから。

  ごめんなさい、と心の中で謝罪する。
  けっして聞こえない声で、謝る。

 

  未来は、果てしなく遠く、儚くて、願うことさえ許されないような、そんな存在だったから。










 「……約束を。」

  そして、ルビーが思っているよりも『早く』、崩壊の時は近づいてきていた。
  ゆっくりと、けれど着実に。

  蝕んで、いく。

 「…約束、覆して、いかないと…」

  蝕み、取り上げ。
  そして、

 「……その前に、せなあかんことがあるな。」
 「と、いうよりケジメをつけたいだけなんでしょうけどね。」 

  奪い去っていこうと、牙を剥ける。
  根こそぎ、際限などなく『すべて』を奪い取ろうと、する。







  



  すべての始まりは、とある人物たちにそれぞれ届けられた二通の手紙。

  『戦争』への、鐘が鳴る。








 〜月光 に、つづく〜